体育祭と初恋
新学期が始まってすぐ、まどか達の通う学校では体育祭が行われる。
ソフトボール、サッカー、バレーボール、バスケットといった球技のどこかに参加して、一日を過ごす。
男女混合で、入っている部活の競技には出てはいけない、というルールがあるだけだった。
誠は一番人数が多いので迷惑をかけないのでは、という理由でサッカーを。
まどかは、足が速いのと持久力が役立つかな、という理由でやはりサッカーを選んでいた。
男女が混合だし、交流がメインの目的なためか、真剣というよりは楽しみながら試合をする雰囲気があった。
勝っても負けても総当りのため、何試合かはこなさないといけないし、あいた時間には他の競技の応援に行くことになっていた。
まどかと誠が参加しているためか、サッカーの応援がいつにもましてすごい数になっていた。
どうも、噂を聞いた他のクラスや違う学年も来ているようだった。
「なんか、観客がすごい数になっているね」
まどかが周りを見てつぶやくと、
「たぶん、あなた達のせいだけどね」
と曜子が返した。
「えぇー、そんなこと……」
ない……と思うが、曜子のコメントは当たっていることが多い。
えーと……見るほどのものでもないと思うけど……と、まどかは理解できずにいた。
誠にいたっては、自分が当事者の一人とはかけらも感じておらず、いつものように迷惑をかけないように、ひっそりと目立たずにいようとしていた。
ときおり女子生徒からの声援が飛んでいたが、自分に対してとはまったく気づいていない様子だった。
「うーん、これだけ意識をしていない二人というのも、問題があるような……」
曜子は思わずつぶやいたが、まどかも誠も首を傾げるばかりだった。
「まどかさんは綺麗で解りますが、僕は違いますよ」
「なに言っているんですか、私は男みたいな格好で色気もありません。師匠は、いつもより男らしくて素敵ですよ」
「はいはい、ふたりで互いにのろけない。お互いに自覚してください」
曜子のコメントに不満げながら、ふたりは「はぁい」と返事をした。
試合が始まった。
男女混合のためか男子が控えめに動いていることもあり、まどかの活躍が目立った。
フリーになったボールへの一歩の駆け出しが早く、思い切りの良さもあってボールを確保することが多い。
「まどかちゃん、いいぞ! こちら、こちら!」
宗志が走りこみ、パスを要求した。
慣れないながらも、持ち前のセンスで瞬時にパスを出し、ボールは宗志に通った。
「すげぇ、女の子なのに動きがいい」
「細くて、格好いい!」
「あの子が噂の子? かわいいなぁ」
観客から、まどかが動くたびにどよめきが生じていた。
まどかは楽しくなってきて、しだいに試合に集中しはじめ、外からの声はまったく耳に入らなくなっていた。
ボールに向かって走りだすと、すっと人の波から一歩出る開放感。
まどかはいつしか笑顔で、ボールを追っていた。
その一方で見ている方は、まどかの伸びやかな走りと、楽しそうなプレーに魅了され、応援はいっそう大きくなっていた。
誠はディフェンスをやっていたが、自分としてはプレッシャーをかけるだけで精一杯だった。
ただ相手としては、誠の身体に立ちふさがれ、突破できずにパスをするしかなく、実はそれなりに役に立っていた。
そこでも女の子から、
「一柳くん、頑張って!」
「立っているだけで、格好いい!」
「背が高い!」
「でも顔立ちは可愛らしいよね」
という声が上がっていたが、これも自分に対してとは本人は気づいていない。
もともと、クラスの仲が良いためかチームプレイも悪くなく、まどかや宗志の突破力もあって、試合は優勢に進めていた。
一瞬の出来事だった。
ディフェンスをしている誠がボールのパスカットをしようと、出した足でバランスを崩し、倒れてしまった。
「いたっ!」
さいわいボールは足に当たって前に出て試合は続いていたが、そのまま立てずにいた誠のことをまどかは見逃さなかった。
誠のもとへ走り寄り、一緒に座って声をかける。
「師匠、大丈夫ですか?」
「まどかさん、大丈夫です……」
そう言いながら誠は立ち上がろうとしたが、はっきりと痛みを我慢している様子が解った。
「足をくじいたのですね。無理に動いちゃ駄目です」
まどかは誠の横に入り込み、誠の腕を自分の肩にかけて、立ち上がる。
痛みでつけない足を保護するように、まどかが誠に肩を貸す形となった。
「えっ……」
「足をつかないで、私に寄りかかってください。保健室に行きましょう」
そう言って、まどかはゆっくりと歩き始める。
誠はようやく状況を把握すると、顔だけでなく耳まで赤くして恥ずかしがった。
まどかも、いつもの調子で男女別け隔てなく身体が動いてしまったが、ここにいたって少し恥ずかしくなってきていた。
頬が赤く、熱くなるのを感じていたが、誠をそのままにしておくことは出来なかった。
チームメイトも、観客も、起こった出来事に呆然としながら、ふたりを見つめている。
ただ時間とともに、ひそひそと小さな声で話し合っているのが聞こえた。
さすがのまどかも、今の状況は理解できたが、誠を心配する気持ちの方が大きい。
「師匠、恥ずかしがらないで。しっかりつかまってください」
まどかは自分にも言い聞かせるように、誠に声をかけた。
「はい」
誠は恥ずかしかったが、まどかの好意を無駄には出来ず、肩に乗せられた左手でまどかの肩をしっかりつかまらせてもらった。
思っていた以上に華奢な体つきに、つかまった手の力が抜けそうになる。
運動は得意でも、やっぱりまどかは女の子の身体だった。
しかも誠の脇には、まどかの胸があたっていた。
その感じたことのない柔らかな感触に、誠は意識をしてはいけないと思いつつも、意識が集中してしまう。
信じられない柔らかさで、温かくて、華奢な身体の割に大きい、と感じる感触。
うわーーーーっっっ!!
心の叫びが、頭の先から飛び出しそうになる。
心臓の動悸もあまりに強くなりすぎて、まどかに聞こえてしまうのではないか、と心配になるほどだった。
高校生男子にはきつすぎる刺激に、誠は保健室までの道のりが果てしなく遠く感じていた。
まどかも、誠の思っていた以上にたくましい体つきと、つかまれた力の強さに、男女の違いを感じて、恥ずかしくなっていた。
今まで誰に対しても男女を意識せずにいたのに、急に感じた違いにまどかも戸惑ってしまう。
うわぁ、胸がドキドキする……。
まどかもまた保健室までの道のりを遠く感じていた。
ようやく着いた保健室に、ふたりは顔を真っ赤にしながら入っていった。
誠は椅子に座りこむと、支えを下ろしたまどかは傍らに立って心配そうに見ている。
保健室の先生が誠のやや腫れた足を見て、「ああ、これは捻挫ね」と言いながら、処置の道具を探し始めた。
「まどかさん、有り難うございました。もう大丈夫です。競技に戻ってください」
「でも、歩けますか?」
「休んでいれば、歩けるようになると思います。迷惑かけました」
「いえ……そんな……」
まどかはどうしようか悩んでいたが、保健室の先生が、
「しばらく休んでもらうから、あなたは競技に戻りなさい。歩けないようなら、また連絡するから」
と言われたので、まどかは「はい」と言ってその場を離れることにした。
「師匠、じゃあ行きます。無理をしないでくだいね」
まどかが最後に心配そうに声をかけた。
「はい。有り難うございます。まどかさんも気をつけて」
まどかは一礼をして、保健室を出て行った。
廊下は歩く音がだんだんと遠くなり、やがて静かになった。
誠はほっとしたような、でもなにか寂しいような気がしていた。
その表情の変化を読み取ったのか、保健室の先生が笑って誠に話しかけた。
「いて欲しいなら、いて下さいって、素直にいうのも大切よ」
「えっ、あっ……」
言い当てられて顔を赤くした誠の足を取り、先生は慣れた手つきでテーピングを始めた。
誠もしばらくして落ち着いたのか、つぶやくように本音を漏らした。
「迷惑をかけられませんから」
誠の言葉に、先生はくすっと笑った。
「学生のうちはね、迷惑をかけて当たり前。そんなことを気にする前に、素直な気持ちを言えるようにする方が大切よ。あの子も、頼って欲しそうな顔していたわよ」
「……そうなんですか?」
「言わないと解らない気持ち、伝わらない思いがあるものよ。それを伝えられるようにならなくちゃね」
先生はふふっ、と笑ってテーピングを終えた。
いて欲しい、といって相手は困らないだろうか。
もしそう言って、嫌な顔をされたらどうすればいいのだろうか。
誠には、素直な気持ちを言うのは簡単なようで高いハードルだと感じた。
ただ、伝えてもいいのかな、と思えたのは成長だったのかも知れない。
ふと、まどかが触れていた感触を思い出して、誠の顔が赤くなった。
細くて、柔らかい。
今までに感じたことのない感触にびっくりした。
また触ってみたい……と思って、その考えにまたびっくりして頭をブンブンと振った。
先生が氷嚢を作ってくれて、クスクスと笑いながら渡してくれた。
「恋してるのね。いいわね」
「えっ……」
恋? これが……恋?
えっ、えっ……?
言われて、誠は戸惑った。
頭の中でいろいろな言葉が飛び交って、ショートしそうだった。
でも、言葉にされて、それが恋だということに、納得し始める自分を感じていた。
うわっっっ! まどかさんに恋っっ!
無理、無理だ。
相手はクラスでも評判の可愛い子で、性格もいい。
自分は勉強を教えているだけの存在で、絶対に釣り合わない。
あちらはまったく、自分のことを男として認識しているとも思えないし……。
始まったばかりの恋だったが、もう誠には結果が見えているような気がして落ち込んだ。
初恋なんて、実らなくて普通か……第一、高校生で初恋って……。
誠の頭の中で、言葉が格闘していた。
「ほらほら固まってないで、氷で足を冷やしてしばらく休んでいなさい。私はちょっと仕事しているから」
「あっ、はい」
誠は部屋に壁際にあるベッドに移動して、足に氷嚢をのせて、横になった。
横になると、よけいにまどかのことを思い出してしまい、その度に胸が苦しくなって、頭を振って忘れようとするが、また思い出してしまう。
何なんだこれは…………誠は初めての経験に戸惑っていた。
これで素直な気持ちを伝えるなんて、絶対無理だ。
まどかさんは二人から告白された、って言っていたけど、自分には無理だ……こればっかりは勉強してもできそうにない……。
誠はひとりで落ち込んでしまった。
いったいどうすればいいのか、解らなかった。
相談できる友達もいないし……。
「はあ……」
思わず大きなため息をついた。
書類を書いていた先生が、それを聞いて声をかけてくれた。
「どうかしたの?」
誠は声をかけられて動転してしまったが、誰もいない部屋なのをいいことに、試しに素直な気持ちを伝えてみることにした。
「あの……素直な気持ちを伝える勇気がありません……」
先生は、誠のその言葉だけで大体の事情を察したようで、ふふっと笑うと書類を書きながら、言葉だけで返答した。
「そのうち、我慢ができなくなって、嫌でも、怖くても、伝える日が来るわよ」
「……そうなんですか?」
「思いが溢れて、どうにも止められない時がね」
「…………」
今は無理でも、いつかそんな日が来るのだろうか。
ただ伝えたとしても、報われる気がどうしてもしないが。
誠はもう一度ため息をつきつつ、どうしても浮かんでくる思いをしばらく持て余していた。
そんな様子の誠を見て、先生は楽しそうに笑っていた。




