思いの共有
翌日、陸上の練習が終わると、まどかは自転車に乗ってすぐに図書館へ向かった。
誠はきっとあの図書館の、いつもの場所に座っているはずだった。
まだ心に残っている気持ちが薄れる前に、誠に会って話がしたかった。
「はっ……はっ……」
陸上の後で疲れた身体で、一生懸命ペダルをこいだ。
風の中を切っていく。
図書館へ続く一本道を、まどかは走り続けた。
図書館についた。
まどかは息をきらしながら、自転車を置いて中へと走りだした。
図書館の中はさすがに走るわけにはいかない。
それに、ひとりジャージ姿のまどかは、目立ってしまった。
息を整えつつ、静かに誠の座る机へと向かった。
誠がいた。
いつもの席で、いつものように勉強していた。
まどかは声をかけようと思ったが、それをやめた。
誠に近寄っていき、すっと向かいの席に座った。
「…………」
まどかは誠が勉強をする姿を見るのが好きだった。
視線がとっても優しくて、楽しそうで、ずっと見ていたくなるのだ。
誠はしばらくまどかが来たことに気づかずに、勉強をしている姿を見せてくれていた。
まどかは微笑みを浮かべながら、しばらくその姿を眺めていた。
ふっ……と誠の顔が上がった。
上げた先にまどかの笑顔を認め、誠もにっこりと微笑んだ。
二人は図書館を出て、公園の中のベンチに座った。
汗ばむ陽気だったが、木陰は風も吹いていてだいぶ涼しい。
まどかが誠に語りかけた。
「昨日、読みました。吉野弘さんの詩集……全部読んだわけじゃないんですけど、でもその中にひとつとってもいい詩があって……」
誠がにっこり笑った。
「祝婚歌ですか?」
それを聞いてまどかがびっくりした。
「なんで解ったんですか?!」
「彼の代表的な作品の一つで、僕も大好きなので」
ああ、やっぱり。
まどかはすっかり嬉しくなってしまった。
「私、師匠のように何度も読んで、何度も書いて……といっても、100回までいきませんでしたけど……でも、師匠の雨にも負けず、の時みたいに憶えたんです」
まどかは誇らしげに言った。
誠はにこやかにうなずいた。
まどかはそんな誠の顔を確認して、目を閉じ、詩を暗唱し始めた。
「二人が睦まじくいるためには、愚かでいるほうがいい……」
まどかはゆっくりと、しすがに詩を朗読し始めた。
そして、途中から誠も一緒になって朗読してくれた。
大気の中を、二人の声が、詩が、音楽のように流れていく。
まどかは嬉しかった。
気持ちのそばに寄り添って、歩いているくれているような安心感に包まれていた。
やっぱり誠は、詩から同じ感動を感じていてくれた、まどかにはそんな気がした。
「そして……なぜ胸が熱くなるのか……黙っていても、二人にはわかるのであってほしい……」
終わるのが惜しいような感触を残し、二人は暗唱を終えて、ゆっくりと目を開いた。
互いに振り向いて、目を合わせ、ふふっ……と笑った。
まどかは安心したように息をはいて、つぶやいた。
「良かった……昨日、詩を読んでから、ずっと師匠と会いたかったんです」
「僕と?」
「はい、あの詩を読んだ時の感動を、解ってくれるのは師匠だけだと思って……思いが消えないうちに会って話がしたかったんです」
「話を?」
「はい。もうできました」
「?」
「一緒に詩を暗唱してくれて、思いを共有できたような気がしました。それで十分です」
「…………」
誠は穏やかな表情で、まどかの話を聞いていた。
「私もいつか、あんなふうに愛したり、愛されたりしたいです」
まどかの言葉に誠もうなずいた。
「僕もです」
二人はもう一度、顔を見合わせて、笑顔を浮かべた。
暖かな風が二人を包んで、流れていった。