自転車と縁
自転車を押して歩き始めたまどかと、むかいから走ってきた自転車がすれ違った。
がっ!
何の音かと思って振り返ると、さきほどの自転車が倒れかけて止まっていた。
まどかは思わず声をかけた。
「大丈夫ですか?!」
自転車を置いて近づくと、その女性はびっくりしたように振り返った。
年齢は40歳前後であろうか。
肩まであるウェーブした髪に、整った目鼻立ち。
彼女はすぐに笑顔になり、答えてくれた。
「大丈夫よ……と言いたいけれど、チェーンがはずれたみたい。古い自転車は駄目ね」
そういいながら、下を見つめていた。
確かに、チェーンがはずれていた。
すれ違ったときにぶつかったのかなと心配したまどかも、ただチェーンがはずれて倒れただけだと解り、相手の女性も特に怪我も無いようで、ほっと安心した。
「直せますか?」
「どうだろう。あまり得意じゃないから、いつも自転車屋に持って行っちゃうんだけど………」
「私、直せます。私も自転車通学なので、何回か自分のを直したことがあります」
彼女は断るように、横に手を振った。
「いいのよ。手が汚れるわ。大丈夫よ。家もすぐそこだし」
まどかはそう言われながらも、ためらわずに自転車のたもとに片膝をつき、チェーンに手をかけた。
いつもはこうしてためらいなく動ける。考えずに身体が動いてくれる。
まどかは、手が汚れることもいとわず、チェーンをかけ直し始めた。
「あっ、きれいな手が……ごめんなさいね。ありがとう」
女性も、ここは素直にお礼を言うことにした。
「いいえ」
まどかもにっこり笑って、作業を続けた。
さほど難しい行程もなく、チェーンをはめてペダルを回すと、カタッと音を立ててチェーンは元の位置におさまった。
「良かった」
「すごい。なおった」
まどかは立ち上がって彼女に笑顔を向けた。
「チェーンにゆるみがあるとはずれやすいそうですよ。自転車屋さんで調整してもらうといいかも知れません」
「ありがとう。そうするわ。ねえ、手だけでも洗っていって。すぐ近くだから」
彼女はぜひに、という顔でまどかに声をかけてきた。
「部活の帰りで汗をかいているから、家に帰ってすぐにシャワーを浴びるので、大丈夫ですよ」
「それでは申し訳ないわ。本当に助かったの。お礼にもならないけれど、手ぐらいは洗っていって。ねっ」
彼女はまどかの腕をとって言った。
そのまま引っ張っていきそうな勢いだった。
「あっ、はい。では手だけ……私も自転車なので、ちょっと持ってきます」
「わかったわ」
そう言うと、彼女は満面の笑顔で答えてくれた。
『かわいらしい方だなぁ……』
その笑顔をみて、まどかはそう考えた。年は少し離れているのに、どこかかわいらしさの残る笑顔にまどかもひかれた。
二人は自転車をひいて、置き場にとめると、目の前の団地に入っていった。
「あなた高校生?」
「はい、朝陽高校の一年生です」
「あら、息子と同じ」
まどかの胸がどきっとした。
あきらめた運命が、頭をよぎった。
「如月まどか、と言います。1年1組です」
「同じクラスじゃない。一柳誠って言うの。知ってる? 目立たないと思うけど」
「わっ!」
まどかは思わず声を上げた。
鼓動が高まる。
「なっ、何?」
「いや、かみっ……じゃなくて、勉強ができるって噂を聞いていて。知ってます」
彼女は納得したようにうなずいた。
「そう言えば、高校の入学試験、首席だったらしいわね」
「しゅ……」
思わず声が詰まった。
まどかは自分の直感の正しさを感じながら、高すぎる山に頼ろうとしているのでは、と不安も出てきた。
「私は誠の母親で、真穂。一柳真穂。よろしくね、まどかさん」
「よろしくお願いします」
息子に比べ、母親は気さくな人柄なようだ。
ちょっとほっとしながらも、家の扉の前まで来ると、再び動悸がしてきていた。
「ただいま。誠いる?」
扉を開けて中に入りながら、真穂さんは奥に向かって話しかけた。