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勉強の神様は人見知り  作者: 京夜
神様の弟子は天使
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陸上大会

 空は雲に覆われていたが、競技者にとってはその方が都合が良かった。

 今日、まどかは陸上の大会に参加していた。

 高校になってからは初めての大会で、いつものように100mの短距離走にエントリーしていた。


 部員は全員参加はしているが、個人競技で時間帯も違う。

 コーチの説明の後は、各自のペースに合わせてストレッチやアップを行っていた。

 まどかも、走るときの身軽なウェアのうえにジャージを着て、ストレッチを始めていた。

 競技が始まるには、まだ少しばかり時間があり、何度か顔を合わせたことのある人と挨拶を交わしたり、 中学で同じ学校だった仲間と「元気にしていた?!」などと懐かしい話に盛り上がったりしていた。


 高校初めての大会で緊張していたまどかも、ようやく気持ちが落ち着いてきていた。

 記録を気にせず、一本一本ベストを尽くして走ろう……そんなことを考えていた。


「如月さん!」


 ふいに声をかけられ、まどかは振り向いた。

 そこにいたのは、一番思い出深い、まどかが県で2位になった大会の時の、優勝した彼女だった。

 その時、お互いに声をかけあい、知り合いになった。

 まどかも名前を呼んで、返事を返した。


「武井さん! 久しぶり」


「久しぶり。良かった、高校でも陸上続けてくれていて。また一緒に走りたかったの」


「私とですか? ……嬉しいです」


 まどかは笑顔になって答えた。

 武井も嬉しそうに話を続けた。


「優勝したあの時、如月さんと走っていたからあのタイムが出たと思う。私にとって忘れ難い瞬間だったもの」


「武井さんもなんだ……私もです」


「そうなんだ……でも私、如月さんと一緒の高校になるかなっ……てちょっと期待していたのよ」


「一緒の高校って……付属高にですか?」


 武井の学校は、スポーツで有名な大学の付属高校だった。

 高校でもスポーツ推薦を盛んにとっているが、大学にはオリンピック選手までいる体育で有名な私学高だった。


「うん。スポーツ推薦をとってくるかな、って」


「私はそこまで優秀じゃないから……」


 まどかの言葉に、武井は頭を振った。


「私はあなたのフォームが好きなの。私は選手としては小さいから、あなたのような手足の長い、きれいな一歩一歩に本当に憧れていたの」


 まどかはびっくりした。


「憧れていたのは私の方です。スタートの正確さ。無駄のないフォーム。私は一回も勝てたことがありません」


「私はあなたに才能を感じた。私では肉体的な限界があるけれど、あなたならきっとまだ伸びるって」


「…………」


 武井は振り返って、自分チームのメンバーやコーチたちを見た。

 たくさんの部員。統一されたジャージ。コーチの人数も多く見られた。


「ここは環境が素晴らしかった。目標となる人もいるし、コーチも教え方が上手。陸上をのばすなら、入るべきだと思ったの」


 まどかは感じた。

 武井は陸上に真剣なのだと。

 あなたも同じように真剣で、一生懸命な仲間だよね、と問いかけられているとまどかは感じた。

 まどかは言うべきかためらいながら、武井に答えた。


「……武井さん。私は陸上が好きです。走ることが好きです。でも、夢はべつの所にあるんです……ごめんなさい」


「そうか……そうなんだ……」


 武井は残念そうに呟いた。


「私が欲しくてたまらないものを持っているのに……」


 武井の言葉に、まどかはどきっとした。

 すこし胸が苦しかった。


「ごめん。忘れて。とにかく今日も勝負よ。負けないわ。あとでね!」


 武井は笑顔でチームへ戻っていった。

 まどかは手を振って見送るしかなかった。


 まどかは考えてしまった。

 そうまで打ち込んでいるものがあるのか。

 真剣になっているか、と。


 師匠なら、何て答えてくれるかな……


 まどかは空を見上げ、そんなことを考えていた。



 まどかはスタートの瞬間が好きだった。


「位置について!」


 集中力を高めて、一瞬で動き出す前の緊張感。


「用意!」


 呼吸が整っていく。


 合図の音が響き渡り、まどかはスタートを切った。


 短い時間のあいだに、出来うる限り早くゴールへ着こうと、身体を走らせる。


 意識が高まると、自分の動きがスローに感じてくる。


 もっと動け、もっと早く!


 ゴールラインをきった。


 とたんに周りの音と色が戻ってくる。


 順位は2位だった。タイムもまずまず。

 ただ、ベストタイムでは無かった。


「難しいなぁ……」


 さっきのやりとりで、心に迷いがあった。

 真剣にやっていると思っていた陸上に、まだまだ甘さがあった。

 誠の様子を思い出し、勉強にもまだまだ甘さがあるのも解る。

 自分は中途半端だ、そう思ったら不安と迷いが出始めた。


 いつもの何も考えずに純粋に走りを楽しんでいたのに、今日はそれができなかった。


 心は難しい。



 まどかは、息を整えながら、次に走る武井の姿を見つめた。


 完ぺきなスタートダッシュ。頭ひとつ前に出た。


 やや小柄ながらダイナミックなフォームで、前よりもさらに無駄のない走り方になっていた。


 他の人とはすでに走る次元が違っていた。


 武井はそのまま1位でゴールした。


 それでも笑顔はない。もう次を見据えている目だった。



 厳しい、と思った。


 でも、同時にきれいな走りに心が奪われた。


 誠が話していた、「 飽きずたゆまず繰り返し、あらたな発見を見つけ出し、感じることが出来れば、素晴らしい宝物となります」 という言葉の意味を実感していた。


 彼女はきっと走る、という単純な繰り返しを、たゆまずに繰り返してきたに違いない。

 それを、少しずつ自らに問いかけて、発見し試行錯誤を続けてきた。


 それが今、まどかを感動させていた。


 まどかは思わず、武井に駆け寄っていった。


「武井さん!」


 武井も振り返った。


「如月さん……」


「武井さん。走っている姿、見ました。感動しました。……きっと忘れません」


 いろんな気持ちを伝えたかったが、言葉にならなかった。


 武井も走り終わったばかりで、まだ整わない息を繰り返しながら、うなずいた。


「ありがとう。お互い、がんばろうね」


「はい」


 武井はそういって、チームへ戻っていった。


 武井はおそらく、まどかの心を察してくれたのだと、感じた。

 だから、「お互い、がんばろうね」だったのではないか……と。


 まどか武井の後ろ姿を追いながら、そう考えていた。




 夜になり、まどかは誠と携帯電話で話をしていた。

 もちろん携帯は真穂のものだったが、誠に代わってくれ、今は二人で話をしていた。

 まどかはどうしても、今日あった出来事を誠に聞いて欲しかった。

 誠なら解るのではないか、という漠然とした期待があった。


 ひと通り話を聞いた後、誠はこうまどかに呟いた。


「その武井さんにとっては、陸上しかないのかも知れない」


「…………」


「苦しいほどに、それしか自分にはないのかも知れない」


 まどかにも何となく誠のいう意味が理解できた。


 好きであると同時に、それしかない苦しさ。

 それをとってしまったら、何も残らないような怖さ。

 だから、それにすがるように一生懸命になってしまう。

 苦しいほどに。


「それが本当にいいことかは解らないけれど、しょうがない」


 誠はそう呟いた。


「師匠が、勉強が好きだということ、しょうがないことじゃないと思いますよ。だから、武井さんも、大事な一つであって欲しいです」


「うん、そうだね」


 誠もうなずいてくれた。


「まどかさんも、それだけ真剣にならなくちゃ……と思い過ぎなくていいと思います」


「そうなんですか? そこまで一生懸命やらないと辿りつけないのかな……と」


 受話器の向こうで、すこし微笑んでくれたような気がした。


「一生懸命しないと辿りつけないこともあります。ただ、人間はあまり強くないとも思っています。苦しいと思ったことは、あまり続かないんじゃないかと」


「…………」


「一生懸命やれるものって、苦しくてもどこかで『やっぱり好き』という気持ちがあるからだと思うのです」


「苦しいけど、好き……」


「苦しくてもう嫌だ、と思って離れてみると、やっぱり好きだな、寂しいな、と思えるからこそ、頑張れる。そうしたものだけが、一生懸命になれたり、続けられると思います」


「……はい」


「まどかさんにとって、陸上はそうですよね」


「はい」


「勉強も私たちがそうしてあげますから、楽しみにしていてください」


「……はい! いつも有り難うございます」


 まどかは、すこし冷たくなっていた心が温かくなったような気がした。

 やっぱり師匠と話をして良かった。


「ねえ、師匠……師匠も携帯を持ちませんか?」


「えっ……?」


 まどかの言葉に、誠が戸惑った。

 まどかはそのまま、素直な思いを口にした。


「今日、師匠と電話したかったんです。……また電話させてください」


「……はい……」


 電話口で赤くなっている誠の様子が何となく想像できて、まどかは笑った。


 静かに、ゆっくりと、夜は過ぎていた。


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