第二話
変身できてしまった。もちろん驚きもあったが、感動がまさり胸がいっぱいになった。
上蓋内側のミラーで自分の姿を見てみる。ヘアメイクは自分の知る限りで一番の仕上がりだった。髪色は明るいピンクになっていたが違和感もなく、ブラシで丁寧にケアしたようにサラサラでツヤがあった。パウダーが何で出来ているか不明だが、肌の透明感が倍増している。リップも自分のものかと思うぐらいみずみずしく光沢があった。
もはや、モデルやアイドルを担当するメイクアップアーティストのレベルじゃないだろうか。しかも、体感ではほんの十数秒だった。外出前に私がするメイクはいつも二〇分程度はかかるが、この完成度はとても再現できない。もし一時間か二時間をかけたとしても無理だろう。
ミラーを遠ざけてドレスのほうもたしかめてみる。トップスは、白とピンクを基調にしたビスチェで、正面に配された編み上げ部分の留め具は星形だ。白のフリルキャップスリーブが活発さとかわいさとを両立させている。腰あたりからはピンクのバックリボンがのぞく。ボトムスは、三つの段差の付いたミニ丈のティアードスカート、色は白とピンクでトップスと揃えられている。裾にはオーガンジーのフリルがあしらってある。シューズも、ピンクのリボンで飾られた白いロングブーツで、折り返しの部分がパステルピンクのスカラップとなっていた。
ディテールもかなり凝っていてどっしりと重そうだが、実際はTシャツやジャージのように動きやすかった。通気性も抜群で全然暑くないし、もちろん寒くもない。
ハイブランドのドレスはさすがに着たことないけれど、それにも劣らないだろう最上級の作りだ。専門家でなくともわかる。小さい頃に変身コスチュームを買ってもらったが、あれはサテン地のテカリが今考えるとちょっと安っぽかった――なりきって遊ぶのは楽しかったけどね。そういったものとはまるで別物だ。
一つだけ、どうしても納得できないことがあった。はしゃいでいるぬいぐるみに声をかける。
「あの、この服……」
「すてきキャル! プリンセスタにふさわしいキャル‼」
素敵なのは間違いなかった。だが、大学に通う年齢の女子には、もはや似合わない気がしている。
自分がタイトワンピやロング丈のトレンチコートをばっちり着こなせるタイプだとは思わない。昔から憧れてはいるけれど。でも、それでなくてもガーリーすぎる。アニメのメインキャラだって、女の子向けの作品の場合はたいてい中学生、たまに高校生か小学生なわけで。私があと五年、もしくは十年若かったらな。若さがまぶしい。
「やっぱ恥ずかしいな」
ここがコスプレのイベント会場だったら私も気にしない。が、残念ながら近所の公園だ。
ぬいぐるみが答えた。
「なら心配いらないキャル。とっておきがあるキャル」
疑問に思った。ぬいぐるみが真顔になる。そして、満面の笑みでウィンクしながら右手の親指を立てた。
「いいね、キャル!」
ぬいぐるみが横目でこちらを見る。
「――おかしいキャルね。こうすればだいたいの人は喜ぶって聞いたキャルが。アンチキャルか?」
「どこのSNSなの」
私はあきれていた。二人の会話をさえぎるようにワニ人間がしゃべる。そういえばいたんだっけ。律儀に待っていてくれたなんて。
「まさか伝説の戦士が出てくるとはよお。だったらキライーヤ、お前の出番だぜえ‼」
どこかでガラスの割れる音がして、犬の鳴き声が聞こえた。
滑り台のあたりに、真っ黒な人影のようなものが急に現れた。全体は滑り台の三倍ぐらいあるが、ぼやけていて、なんとか頭、胴体、腕と足はわかる。体型や表情なんかはさっぱりだ。影を寄せ集めて粘土細工のように作ったら、こんな感じになるだろうか。
もぞもぞと人影が動き、滑り台にぶつかった。彼――と呼んでいいのか不明だが、滑り台を地面から引き抜いて近くに投げ飛ばした。
こいつがキライーヤだな。ぬいぐるみが私の右腕にしがみついた。先程までとは変わって本気でおびえているようだ。
キライーヤは園内をのそのそと歩きまわっている。ブランコの支柱に腕が当たって押し曲げられた。大きいだけあってパワーもすごい。
怖さを感じた。あの傾いたブランコが自分の身体だとしたら。アニメの展開ならば、変身した自分にはキライーヤに対抗できる力が備わっているはず――といっても、いきなり恐怖が消えるわけではない。安全だとわかっていれば、何のためらいなくバンジージャンプを飛べるか。パラシュートを背負ってヘリから飛び降りられるか。たぶん、私は本来そういう人間でないのだ。
キライーヤは砂場のほうに向かっていた。ふと、砂場の中に見覚えのある白いビニール袋が落ちているのに気づいた。私の買った映画のパンフレットだ。こんなときに思い返してみても、やっぱり最高の作品だった。
『プラチナドリーミングス』の女の子達はアイドルだけれど、新しいことにどんどん前向きに挑戦し進んでいって。一方の自分はただのオタクだった。そういう彼女達に憧れてはいても、隣に並ぶことはできない。
いや、彼女達だって悩んだり苦しんだり落ち込んで涙を流したりするエピソードがあったじゃないか。しみじみひたっていると、終わる頃にはキライーヤが市内全体をめちゃくちゃにしているだろうから我慢するが。きらめきだけでない。裏では、並々でない頑張りを重ねていた。つらいときにも顔を上げ、先に進んでいく勇気があった。彼女達のたくさんの魅力の中には、決してくじけない強さもたしかに含まれていた。
私は『プラチナドリーミングス』の何を見てきたんだ。作品からもらった大切なものを活用できなくて何がオタクだよ。今まで何のために生かされてきたと思っている。
「心の超火力、舐めるなよ!」
そして、震えているぬいぐるみに、優しく言い聞かせた。
「大丈夫。あいつをやっつけるから。少し離れていて」
地面を蹴ると、一気に公園全体を見下ろせる高さまでジャンプできた。動体視力も向上しているのか、落下の速度がゆっくりに感じる。
キライーヤの正面に着地した。彼が腕を振り上げて払いのけようとしてくる。とっさに自分の両腕をクロスさせて打撃を防いだ。信じられないほど、ノートか何かではたかれたように軽かった。
これなら勝てるかも。反対の手でキライーヤが再び私を狙う。完全に見切った。相手の腕をつかむ。そのまま自分の両手に力を入れる。今ならイメージ通りにできる気がした。
キライーヤはすんなり持ち上がった。振りかぶって、思いっきり地面に叩きつける。少し湿った土のにおいが広がった。
苦しそうに彼はうめいている。効いているらしい。
また存在を忘れかけていたわけだが、ワニ人間が叫んだ。
「おい! キライーヤ‼」
キライーヤは倒れ込んだままで起き上がらない。かなりのダメージを受けたようだ。
「……ドウシテ……ミンナヤスミ……オレ……アシタ……シゴトナンダ」
これはキライーヤの心の声か。樹木の陰に隠れていたぬいぐるみが顔だけのぞかせた。
「キライーヤにされた人の心が戻りかけているキャル。プリンセスタの力で暗闇から助け出してあげるキャル」
「力で、ってどうやって⁉」
「星が教えてくれるキャル」
星とかいわれても。プリンセスタになってから、一〇分ぐらいしか経っていないのに。
とりあえず、夜空を見上げた。夜の闇に星々がグリッターやラメをまぶしたように輝いている。星座とかには詳しくないが、あのひときわ目立つ星が北極星だろうか。
そのとき、不思議なことに私はひらめいた。左目の高さぐらい、最上級のかわいさで横ピース。
「チカキラりんっ」
両腕を肩と平行になるようにまっすぐ伸ばす。そのまま顔の正面へと移動しながら、指先をダイヤモンドの形に構える。技の名前も頭の中にはっきりと思い浮かんでいた。
「ステラ・ブリリアント・シャワー‼」
組み合わせた両手から、ベビーピンクの光がキライーヤへと一直線に放たれる。キライーヤの黒い身体が灰のように崩れて消えていく。
あとには、二、三〇代の男性が残った。この人がキライーヤにされていたのだ。
「明日に備えてそろそろ寝ないと。くうー連勤が終わったら寿司でも食ってぜいたくしよ」
なぜだか男性はプリンセスタの格好をしたこちらには目をくれず、足早に公園を去っていった。
キライーヤの破壊した滑り台やブランコが元通りになる。
と同時に、私の着ていたドレスは光と化し、一瞬で水風船のように細かくはじけた。そして、変身する前の元々の服に戻っていた。
ワニ人間は舌打ちをした。
「伝説の戦士なんてよお、聞いてないぜえ」
言い残して、またたく間にワニ人間は消えた。
しばらく私は呆然と立っていた。だが、ふと気づいて砂場へ行った。
パンフレットは三分の一ほどが袋の口から投げ出されていた。拾い上げようとして、濡れた砂粒が指先に触れる。今日は一日晴れ、雨は降っていない。水気は夜露のためだった。春先、日が暮れて気温が大幅に下がるとよく起こるそうだ。
おずおずとパンフレットについた砂を払い落とした。最悪な予感がよぎった――やっぱりというか、その予感は現実で、砂の跡には茶色いシミがぽつぽつとあった。
最悪だった。作品が最高なだけに悲しみも大きい。幸福のいただきから失望のどん底に転落、なんて残酷なんだ。
ぬいぐるみは浮遊しながら後ろについてきていた。はっと私は思い出した。
「なんでこのパンフレットは戻ってないわけ? 公園の遊具は元に戻ったのに」
「戻せるのは、星の力が使われてからの出来事だけキャル」
「星の力?」
「プリンセスタに変身する力キャル。あとはキライーヤにするときも使われているみたいキャル。女王様から盗んだキャル。許せないキャル」
私は汚れてしまったパンフレットを見つめた。さよなら、私の幸せな金曜日。




