渋い紅茶と甘いジャム(前編)
「最悪」
思わず口の中で小さく呟いたその言葉は、水を吸った砂のようにどっしりと胸の中に落ちていった。
銀細工師のターニャは、街の外れの森の中を、地面だけを見つめながら歩いていた。
ターニャは年若い娘ながらも、街一番といって差し支えない腕前の銀細工師だ。
しかしながら、ターニャは仕事に対して完璧主義な上に、世渡りがあまり上手くなかった。
職場の工房では、今日も他の職人達と衝突したばかりだ。「お前の細工は緻密すぎて息苦しい」「もう少し愛想を良くしろ」「そんなのでは嫁にいけない」云々………勝手なことばかり言う。
仕事の腕や作品に対してではなく、自分自身に投げかけられる批評ややっかみの類に、ターニャはほとほと疲れていた。年若い女が自分よりも上にいるというのが面白くないのだろう。
「…完璧を求めて、何が悪いのよ。」
不意に、ガラス細工師の幼馴染の顔が浮かび、ターニャはぐっと溜息を飲み込んだ。
幼馴染 …彼はルーカと言う…との婚約は、親同士が勝手に決めたものだった。けれど、同じ職人として高め合い、お互いの仕事に刺激を与えながら暮らしていくのも、そう悪くないと思っていた。
……それなのに。 あいつが選んだのは、自分とは正反対の、花のように小さくて、甘い声で笑う刺繍の得意な女の子だった。
「ごめんね。でも、ターニャは完璧で強い女の子だから、僕なんかがいなくても一人で歩いていけると思うんだ。」
「昔婚約の証としてもらった銀細工は、申し訳ないからきちんと返すよ。」
ルーカから返された銀細工の指輪は、何年も手入れされてなかったのか黒ずんで汚れていた。
不意に立ち止まり、自分の手を見る。 銀を叩き、削り、磨き続けた指先は、節くれだってゴツゴツと逞しい。美しい職人の手だと誇っていたそれが、今は酷く不恰好に見えた。
記憶の中のお針子の彼女の白魚のような指が脳裏によぎり、頭を振る。
記憶を振り払うかのようにずんずんと森の方へ歩いていると、視界が急に白くなった。 いつの間にか深い霧が立ち込め、さっきまで歩いていたはずの街の灯はどこにもない。 ただ、湿った風の中に、微かに甘いスパイスのような香りと古い木の匂いが混じっている。
「……何、ここ」
顔を上げると、霧の向こうに信じられない光景が浮かび上がっていた。
それは、巨大な白樺の木。しかし普通の木ではない。 先のねじ曲がった大きな白樺の幹そのものが家になっており、小さな庭には薬草が茂っている。その家と庭を下で支えているのは、鶏の脚のような形の古木だった。
精神的に疲れすぎて、幻覚でも見ているのか。
ターニャは戸惑いながらも、吸い寄せられるようにその奇妙な「家」の扉へと向かっていく。
重厚な木の扉には、古びた真鍮で「カフェ・クリューチ」と彫られた表札が掛けてあった。
ギィ、と重い音を立てて扉が開いた。 温かな蒸気と共に、低く落ち着いた女の声が届く。
「いらっしゃい。……ずいぶんと重たい鍵を持ってこられたのね。」
少々不気味な外観とは裏腹に、内装はどこか落ち着く雰囲気だった。
窓際のステンドグラスからは、柔らかな光が差し込んでいる。店の中央には天井まで届きそうな大きな置き時計が置いてあり、文字盤には月と太陽のモチーフが嵌め込まれていた。銀細工師のターニャから見ても見事な出来だが、壊れているのか時計の針は動いていない。時計の隣には何やら様々なガラクタと透明な液体の詰められた、そこそこの大きさの瓶が置いてあるようだ。
天井からは水晶やら薬草やらが所々にぶら下がっており、全体的に雑多な印象はあるのだが、なぜかまとまりのある空間だった。そして何よりー…
「ここは無くした自分を見つける場所。迷っている人だけが辿り着くところよ。」
飴色のカウンターの向こうに佇む店主は、作り物のように美しい女だった。
地面につくほどに長いプラチナブロンドは緩く肩口で結ばれており、銀の糸を解いたように揺らめいている。琥珀色の瞳はどこまでも澄んでいて、覗き込むと自分の時間さえもが、その黄金色の樹脂の中に絡め取られて止まってしまうかのようだった。




