表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/34

第33話 南門、落つ


ドンッ——!


音よりも先に、質量を持った大気が全身を叩く。

胸板を巨人の掌で殴りつけられたような圧迫感。俺の体は石畳から浮き上がり、ニーナとともに路地の壁へと叩きつけられた。


「ぐ、っ……!」


肺から空気が強制的に絞り出される。

視界が揺れ、明滅する。

耳の奥で、キーンという鋭い金属音が鳴り続けて、すべての音を遠ざけていく。


覆いかぶさってくれたニーナの外套の隙間から、熱風が頬を焼いた。

口の中がじゃりつく。石灰の粉と、鉄の味。


(なにが……起きた……?)


霞む視界で、南門の方角を見る。


そこにあったはずの堅牢な石造りの門楼が、内側から膨れ上がっていた。

まるで熟した果実が破裂するように、石と木材が四方へ飛び散る。

俺たちが見つけた「薪」──火薬と黒油の樽が、一斉に牙を剥いたのだ。


ドォォォン……!


二度目の爆発。腹の底に響く重低音。

門のそばにあった倉庫の屋根が吹き飛び、炎の舌が夜空を舐める。


「……ぁ、……あぁ……!」


耳鳴りの向こうから、悲鳴が戻ってくる。

さっきまで笑っていた人々の声が、恐怖の金切り声に変わる。


俺の足元に、砕けた胡桃の飴が散らばっていた。

つい数秒前、ニーナと分け合うはずだった小さな約束。

それが今、逃げ惑う人々の靴底で粉々に踏み砕かれていく。


「……ッ、止まらないで! 走って!」


ニーナの声だ。

痺れる腕を無理やり動かし、俺は身体を起こした。

隣でニーナが既に動いている。彼女は瓦礫を避けるのではなく、舞い落ちる板片を鞘だけで弾き飛ばしていた。


「あっち! 火の手が回る!」


兵士たちの叫び声。

門楼の上に取り残された見張り番たちが、炎に巻かれようとしていた。


梯子はしごだ! 縄を出せ!」


下から数人の兵が、救助用の縄梯子を投げ上げる。

縄は空中で弧を描き、楼上の手すりに掛かろうとした──その瞬間。


ヒュン。


風の音とも違う、鋭い刃鳴りが、煙を切り裂いた。


空中に伸びた縄が、ふつりと切れた。

命綱を失った梯子が、蛇のように力なく地面へ落ちる。

それだけではない。

逃げ場を失った兵たちが掴まろうとした手すり、避難用の木枠の足場。それらが一瞬で、積み木を崩すように斜めに断ち切られた。


「え……?」


誰かの呆けた声。

崩れ落ちる足場の粉塵の中を、黒い影がすうっと通り抜ける。

重力を感じさせない、不自然な軽さ。

影の肩には、身の丈ほどもある巨大な大鎌が担がれていた。


影は立ち止まらない。

ただ通りすがりに、そこに在る命綱を「刈り取った」だけ。


「おいおい、足場が泣いてるぜ」


煙の向こうで、軽い声が嘲笑う。

大鎌の男──その背中が放つ、人を肉塊としか見ていないような冷たい気配が、俺の背筋を凍らせた。


直後、崩れた足場と共に、数人の兵が炎の中へ落下した。


「──ァアアアッ!!」


絶叫。

助けようと伸ばした手は、熱波に阻まれる。


「上!」


ニーナの鋭い声。

反射的に見上げると、南門近くの民家の屋根に、小柄な影があった。

楽しげに足をぶらつかせている、少年のような影。


「ははっ、きれいだねぇ」


無邪気な、本当に心から楽しんでいるような笑い声。

少年は手にした瓶を、ボール遊びのように軽く放り投げた。


パリン。


瓶が石畳で割れた瞬間、紅蓮の炎が花のように咲いた。

ただの油じゃない。魔火によって燃え広がる、粘り着く炎だ。

逃げ惑う群衆の進路を塞ぐように、赤い壁が立ち上がる。


「こっちも、そっちも。……もっと明るくしようか」


少年は屋根の上を軽やかに飛び跳ねながら、次々と瓶を投下していく。

爆炎が連鎖する。

倉庫街の樽が誘爆し、南区画一帯が、巨大なかまどの中に放り込まれたような熱気に包まれる。


風が炎を煽り、火の粉が雪のように舞う。

三尾の狐の旗が燃え落ち、黒い蝶になって空へ舞い上がっていく。


守りたかった日常が。

エドナが灯そうとした火とは違う、破壊の炎が、街を食い荒らしていく。


俺は歯が砕けるほど奥歯を噛み締め、ギルバートの刀の柄を握った。

熱い。鞘越しに伝わる熱か、それとも俺自身の血の熱か。


「──ベリア」


ニーナの手が、俺の肩を掴んだ。

強く、痛いくらいに。


「呑まれないで。……怒りは、あと」


彼女の声は、炎の爆ぜる音よりも静かで、俺の熱を冷ますように響いた。

彼女は南門の方角を見つめ、掌を地面に当てた。

地面から伝わる振動を、指先で読んでいる。


「まだ序の口。……門が落ちるよ」


ニーナの言葉と同時。

爆発に耐えきれなくなった南門の主柱が、悲鳴のような音を立てて折れた。

巨大な石の塊が崩落し、もうもうと土煙が舞い上がる。

ぽっかりと開いた、街の傷口。


「……ここからが本番」


ニーナが鯉口を切り、腰を落とす。

俺も呼吸を整え、熱くなった空気を肺に押し込んだ。


屋根の上の少年が、崩れ落ちる門を見下ろし、クスクスと笑った。


* * *


「——ギャアアアッ!」

「押すな! 子どもがいるんだぞ!」

「どいて! 早く!」


悲鳴と怒号が、熱風の中で渦を巻く。

逃げ惑う人々が将棋倒しになり、その上を更に人が乗り越えようとする。

恐怖の連鎖。このままでは炎に焼かれる前に、パニックで人が人を殺すことになる。


「ベリア、右! 柱が落ちる!」


ニーナの声が矢のように飛んでくる。

視線の先、市場の屋根を支えていた太い木柱が、根本から焼け落ちて傾いていた。

その下には、逃げ遅れた老人と、それを庇う母親の姿。


(間に合え……ッ!)


俺は地面を蹴った。

思考するより先に、血管の中の魔火が跳ねる。

足裏に熱を流し、爆発的な加速で二人の前へ滑り込む。


ズォォォ……!


倒れてくる柱の質量と軌道を、眼球がスローモーションのように捉える。

真正面から受け止めたら潰れる。

俺は柱の側面に鞘を振り、魔火を一瞬だけ噴かせて衝撃を流し込んだ。


「……フッ!」


ドンッ!

軌道が逸れる。

崩れた木材が、老人のわずか半歩横へズレて、轟音と共に地面にめり込んだ。


「走れ! 立ち止まるな!」


俺が叫ぶと、母親が涙目で頷き、老人の手を引いて走り出した。


「こっち! 北小門へ!」


煙の向こうで、ニーナの声が響く。

彼女は通りの壁の前に立ち、掌をかざしていた。


ボッ!


彼女の手から橙色の猛火が噴き出し、石壁を一瞬で焦がす。

描かれたのは、太く、明確な「矢印」。

煙の中でもはっきりと見えるその焦げ跡が、逃げ惑う人々の視線を吸い寄せた。


「この印を辿って! 私の声が聞こえる限り、道はある!」


ニーナの透き通った声が、パニックの雑音を切り裂いていく。

その凛とした立ち姿は、恐怖に支配された人々にとって、唯一の道標に見えたのだろう。

無秩序だった人の流れが、一本の太い川となって北へ向かい始めた。


「ベリア、水!」


「ああ!」


俺は燃え盛る倉庫の脇へ走った。

積み上げられた樽──防火用水の樽だ。

魔火を腕と腰に回す。重さを無視して樽を抱え上げ、炎の勢いが強い路地へと放り投げる。


バシャアッ!


樽が割れ、水が弾ける。

焼け落ちた梁が水蒸気を上げ、炎の壁に一瞬の風穴が開く。


「今だ、通れッ!」


俺の指示に合わせて、逃げ遅れた数人がその隙間を駆け抜ける。


その時。

城の方角から、低く、腹に響く音が届いた。


ブォォォォォ──ッ!


角笛だ。

二回。短く、強く。


見上げれば、城壁の櫓に旗が上がっていた。

白地に紅、そして白。

『総員、戦闘配置』の合図。


トン、トン、トン、トン──。


整然とした小太鼓のリズムが、爆発音の合間を縫って聞こえてくる。

城門が開き、銀色の甲冑の波が動き出すのが見えた。

騎士団だ。ダンクたちが動いた。


(まだだ……まだ、この街は死んでない!)


俺は煤けた顔を拭い、刀の柄を握り直す。

バウウェルの時とは違う。

何も知らず、何も間に合わなかったあの時とは。

俺たちは今、抗っている。


だが──敵は、そんな俺たちの希望を嘲笑うように、次の絶望を注ぎ込んできた。


メリメリメリ……ッ!


南門の瓦礫が、内側から押し広げられる。

炎の向こうから、異様な「音」が近づいてくる。


金属が擦れる音。

規則性のない足音。

そして、含み笑いのような、低い呻き声。


「……来た」


ニーナが壁から手を離し、スッと半身に構える。


崩れ落ちた門の暗がりから、まず黒い影が一つ。

ついで二つ、三つ。

それは瞬く間に、せきを切った濁流のように溢れ出した。


黒いローブ。白い仮面。

手には歪な剣や、血に錆びた斧。

屍人しびと


「ハハッ……燃えてる、燃えてる」

「いい声だ、もっと鳴かせろ」


先頭の男たちが、瓦礫を踏み台にして高く跳躍する。

獣のような身のこなしで石畳に着地し、ギラつく目で逃げ惑う市民の背中を睨んだ。


屋根の上で、あの少年が足をぶらつかせながら、楽しそうに指を鳴らした。


「さぁ、音楽は鳴った。舞台は燃えた」


少年の視線が、路地に立つ俺とニーナを捉え、三日月のように目を細めた。


「芸術の国よ──踊ろうか」


俺は息を吐き出し、重心を落とす。

日常は終わった。

ここからは、戦場だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ