第27話 指名依頼
朝の宿に、控えめだが、どこか切羽詰まったノックが続いた。
部屋には、ニーナが焼いているパンの香ばしい匂いと、床の冷たさ。
扉を開けると、冒険者ギルドの若い書記が、胸の前で封書を捧げ持つようにして立っていた。
《緊急 王都南外の畑 地面の陥没多発 原因“地泳牙蛇”の疑い》
「ニーナ様、ベリア様。──指名依頼です。王都南外の畑で陥没が多発、原因は魔獣の疑い。対象は“地泳牙蛇”。もう一組、パーティ“氷乱槍”の皆さんを同時指名。合同でお願いしたいとのことです」
ニーナが札の端を軽く弾き、俺を見る。
「地泳牙蛇。……畑がやられるのは困るわね」
「受けるのか?」
「ええ。わざわざ指名なんて、誰かが裏で糸を引いてる匂いもするけど……無視するのも面倒だしね」
彼女は悪戯っぽく笑って、立ち上がった。
「分かったわ。身支度は三分。──ベリア、靴紐、いつもより半穴きつく」
「了解」
* * *
ギルドの裏口。
朝霧の中に、四つの影が待っていた。
視線の先、銀髪をひとつに束ねた若い男が手を上げた。剣の鞘に霜のような白が薄くついている。
氷乱槍のリーダー、クロムだ。
背後には、茶髪で杖を抱えた魔法使いの女の子、背に大斧を負った大男、黒髪の寡黙そうなシーフ。
四人とも、息が静かで揃っている。
「よう。──前は無理に勧誘して悪かったな」
クロムが爽やかに苦笑する。俺は首を横に振った。
「気にしてない。今日はよろしく頼む」
「改めて紹介する。魔法使いのマリン、戦士ドルロッドにシーフのソルだ」
マリンがぺこりと会釈し、ドルロッドが白い歯を見せる。黒髪短刈のソルは、目だけで鋭く挨拶を返した。
書記が咳払いし、地図に赤を打つ。
「陥没帯はここ、住民避難済みです。対象魔獣の想定魔火指数は“三十超”(アーデント)。地中からの奇襲に注意してください。よろしくお願いします!」
ニーナが地図をひと撫でし、折りたたんだ。
「行くよ」
* * *
南門を出て少し西に逸れた畑は、ところどころ土が“呼吸”していた。
畝が不自然にふくらみ、しゅう、と吸い込むような音とともに小石が沈む。遠くで農夫たちが、帽子を握りしめて不安そうに見ている。
地の下から、巨大な体が土を擦る、ザリザリという低い音が響く。
「近づくまで声は出さない。足音は薄く──合図は指の数で」
ニーナがいつもの調子で、しかし少しゆっくり言う。
「地表を“変える”のが先だ。俺の“氷楔”で土を締める。マリンは含水を凍らせて退路を塞ぐ。ドルロッドは土槍が来たら斧で叩き落とす。ソル、目印の糸、撒けるか」
クロムの言葉にソルが頷き、指先に光る糸を摘む。
マリンは眉をきゅっと上げて、「ブーツ、また泥だらけになるんだよね」と小声でぼやきつつ、杖先で地面の湿りを探る。
ニーナは頷くと俺の肩をトン、と指で叩いた。
「ベリアは“喉”。弱いところしか狙わない。深追い禁止。危なかったら、私が袖を引く」
「了解」
深呼吸をする。
胸の中がいったん空になり、周囲の音が整う。
風、草のこすれる音、遠い牛の鳴き声──そして、地の底で何かが擦る音。
ニーナが指を一本、立てた。開始。
* * *
畦道を、俺たちは“音の穴”だけを踏んで進む。
地中の影がふっと近づき、土が盛り上がった。
次の瞬間、円を描く大地から土槍が“生えた”。
前後から突き上げる茶色の刃。
ドルロッドが一歩踏み込み、斧の長い柄で叩き落とす。
カン、と乾いた音が連なる。
俺は後ろから迫る一本を鞘で払い、進路を少しずらした。
土の表がざわ、と波打ち、巨大な顎が地表を割った。牙が二本、濡れた土を滴らせる。
「凍てろ」
クロムが剣を地に突き立て、短い言葉を落とす。
白い筋が半径十歩ほど地面を走り、畝がぴしりと音を立てた。締まる土、薄い氷膜。蛇の潜行が鈍り、背中の鱗が一瞬、地表に露出する。
「見えた」
ソルの光る糸が地面に走り、蛇の軌跡が線になって浮かぶ。マリンが小さな氷柱を杭のように点々と打ち込み、退路を削る。軋む土。地中で巨体がもがいた。
ニーナが指を二本、立てた。牽制。
飛ぶ斬撃が、空気を裂く音もなく背鱗の継ぎ目をかすめた。浅い傷。怒りを引き出すための、わざと浅い線。
蛇の頭がぐるん、とこちらを向く。目がニーナを捉えた。
「いま」
彼女の声が、空気の中で一度だけ跳ねる。
足が前へ出た。
無音のまま、地上に飛び出た顎の内側──口の奥の柔いところへ、刀を横に“置く”。軽く、最短で。
ズヌ、と刃が粘膜を裂く感触。
そのまま横へ抜ける。返す刀で、外から頸の動脈線をなぞる。切り過ぎない。深追いしない。足元が崩れる前に、身を捻って離れる。
直後、足元が沼のように溶ける。
地が暴れた。のたうつ巨体が、周りに円を描いて“土槍”を乱発する。
マリンが杖を前に出し、扇状の“氷の幕”がぱん、と広がった。
土槍が氷にぶつかり、鈍い音だけを残す。
「下がって」
肩口を引かれた。ニーナの手だ。引かれるままに一歩下がる。
足を取られかけたドルロッドの背に、クロムが手を当てて支え、同時に剣先を顎へ滑らせる。
「──氷乱槍」
クロムの声に、空気が一瞬、凍った。
彼の剣先と、マリンが放った二本の氷槍が、蛇の頸椎へ三角で突き込む。縫い止める。
ニーナの飛ぶ斬撃が継ぎ目を縦に裂き、ドルロッドの斧が“留め”で頭を地面に叩き伏せた。
動きが、止まる。
草の間を、土と血の匂いが流れた。
遠巻きの農夫が帽子を胸に当て、ほっと息を吐く。
「膝、まだ固い。あとでほぐす」
ニーナが俺の肩に手を乗せ、小さく囁いた。俺は頷く。呼吸が、いつもの幅に戻っていく。
ソルが光る糸を巻き取り、マリンが自分のブーツを見てむくれる。
「ほら、泥だらけだと思った」
寡黙なソルが、無言で布を差し出す。
マリンは少しだけ口を尖らせて、それでも「ありがと」と受け取った。
ドルロッドは畦の脇で斧の刃を布で拭き、近寄ってきた畑の爺さんに「砥石貸してくれ」と笑っている。
クロムがこちらへ歩み寄り、手を差し出した。
「潜行系は、地表を変えたほうが早い。……それにしても」
彼は俺とニーナを交互に見て、感心したように息を吐いた。
「見事な連携だ。ベリア、お前が俺たちの勧誘を断った理由が分かった気がするよ。……相当、場数を踏んでるな」
「ニーナに引きずり回されてるだけだ」
「ハハッ、違いねぇ。また、並んで戦おうぜ」
握り返すと、手のひらの温度がしっかり残った。
* * *
地泳牙蛇の“土核”と牙を回収し、俺たちはギルドへ戻った。受付が報告書の写しを取っている最中──玄関がざわつく。
三尾の狐を金泥で染め抜いた旗印。
一人の文官が入ってくる。
背筋を伸ばし、真っ直ぐ歩いてきて、俺とニーナの前で立ち止まった。
「王室典礼局の者です。本日のご活躍、お見事でした。──王家より謝礼のほか、今後の連携を願い、謁見のお招きを預かっております」
差し出された封書。三尾の封蝋が灯にきらめく。
クロムが一歩退き、目で「受けてくれ」と合図する。
ニーナは静かに一礼して手に取った。
「ありがたく。──それと、今回の戦功は氷乱槍と等分です。報告末尾にも名を」
受付が力強く頷き、クロムが片手を上げる。
「感謝する。……王様によろしくな」
ニーナが俺に振り返って小声で囁く。
「また少し、動き始めた」
夕陽が干し束を赤く染め、畑と空の境目がゆっくり滲む。
明日は、城へ。




