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第20話 静かな取り調べ


日没──月の六刻。


外壁を越えると、南の川べりは、宵の色で銅にくぐもっていた。


羊皮紙の“書き付け”にあったとおり──『南外・旧水車小屋 日没』。

半ば沈んだ歯車が斜めに突き出しているのが見える。風が葦を撫でる音だけが響く。


「ここに屍人しびとが?」


「ううん。もう少し辿らないと屍人は出ないよ。ここで“末端”を拾う。……その前に点検」


ニーナがしゃがんで俺の靴紐をきゅっと結び直し、鞘の角度を二指ぶん下げる。


「はい、これで走っても音が出ない」


「保護者かよ」


「姉だって言ってるでしょ?──じゃ、姉のありがたい講義、始めます」


「姉なのは自称だろ」


「異議は受け付けません。まず、今日のルール三つ。声を出さない、足跡を置かない、命は奪わない。……守れる?」


「あぁ」


「よろしい。それから、合図。私が“まばたき一回”で開始、“二回”で待て。“視線だけ右上”は危険、“左下”は退く。覚えた?」


「覚えました、先生」


「よくできました。はい、肩回して」


彼女は俺の背に指を添えて、凝っているところを一つずつ解いていく。


「首は長く、肩は落とす。呼吸は、浅く深く。吸って──止めて──吐く。そう、それ。……うん、今日のベリアは大丈夫」


「子ども扱いしすぎだろ」


「じゃあ“弟”扱いで」

ニーナはイタズラっぽく笑って、俺の胸元を指した。

「それ、ちゃんと結べてる?」


青い髪結びの端が少し覗いていた。俺が指で押し込むと、彼女は満足そうに頷く。


彼女は一歩進み、周囲を素早く見やる。風向き、土の沈み、葦の揺れ。


「逃げ道は三つ。北の土手、東の小道、西の川沿い。今日は“知る”のが目的。戦うなら一拍だけ。掴めなきゃ退く」


「了解」


軽口の調子のまま、彼女は俺の手首を軽く握った。体温が伝わり、脈が落ち着く。


来た。足音が三つ。

ひとりが先に小屋へ、二人は外で見張り──雑だ。慣れてない。


「二人、外。ひとり、中」


ニーナが指で示す。

俺は外の左、ニーナは右。合図は、彼女の睫毛が一度だけ静かに落ちる瞬間。


……落ちた。


影から出る。

左の男の背へ、柄頭で顎をコツと打ち上げ、みぞおちへ掌底。息が抜け、そのまま眠る。

右では、ニーナのつま先が土を撫でただけで、男の膝が折れた。刃は抜かない。音も出ない。


中の一人が勘付く前に、俺たちは小屋へ滑り込む。

──入ってきた俺たちに気がつくと、若い男は粉袋の隣で狼狽うろたえ、喉が上下し、視線が泳ぐ。


「大丈夫。──痛くしない」


ニーナがすっと距離を詰め、手のひらを胸の前に翳す。


空気が薄く澄み、若い男の呼吸が一段ゆっくりになる。瞳の焦点がやわらぎ、肩の震えが引いた。


「少しだけ“問う”ね。あなたの奥には入らない。表に浮いた言葉だけ」


いつもの柔らかい声。けれど芯は揺れない。


俺は手首を軽く押さえ、逃げない程度に帯で括る。

ニーナは指先をこめかみの少し外──皮膚に触れず、髪一本ぶん浮かせて止めた。


「“上の連絡役”の呼び名」

「……わ……分からない……」


「あなたへの情報は何処から?」

「……西の運河……マリサルの村の奥……“灰倉はいぐら”……」


「どうやって?」

「……“灰倉はいぐら”で……下役への“書き付け”を受け取る……」


「時刻」

「……月の、十刻……」


「合言葉」

「……『水は高きから低きへ』……返しは……『舟は流れに逆らわない』……」


ニーナが小さく頷き、魔法をそっと解く。

若い男の瞳に少しずつ焦点が戻る。


「ありがとう。あなたはここで座っていて。──今のことは、すぐ忘れる」


彼の肩から力が抜け、壁にもたれて静かに目を閉じた。眠りは浅い。命には別状ない。


「精神魔法、効くんだな」


俺が囁くと、ニーナは肩をすくめた。


「やり口を知らない相手に、だけね。無理やりこじ開けるのは嫌い。表層の言葉を口に乗せてもらうだけ──それで足りることが多いから」


外の二人を粉袋の陰へ寄せ、ニーナが二人の額へ、何かを送るように手を翳した。


「今のは?」


「記憶を曖昧に。殺さない、今日は“掴む日”だからね」


小屋を出る前、彼女は床の埃を指ですくい、足跡の濃いところへ軽く撒いた。

痕跡は“何も起きてない”顔に近づく。


外へ。川風が頬を撫でる。

俺は復唱するように口の中で転がした。


「……“灰倉はいぐら”、月の十刻。……『水は高きから低きへ』、『舟は流れに逆らわない』」


「完璧」

ニーナはうん、と頷き、俺の襟をちょいと直す。


「ほら、整った。……まだ、歩けそう?」


「……あぁ」


胸の奥の黒い塊は消えない。それでも、足に“向かう先”ができた。


「じゃ、川沿いへ。灰倉とやらはマリサルの村の奥。鍵は言葉。違えば退く。合えば──扉が開く」


「屍人、いると思うか?」


「半分。いれば幸運。どちらにしても、“上に近い場所”は確定」


歩き出す。

並ぶ足音は揃っている。

葦の匂いと穀倉の乾いた匂いが、宵の風に混じって流れてきた。


「ベリア」


「うん?」


「大事なのは順番。知る、近づく、触れる、揺らす。今日は“知る”と“近づく”まで。無理はしない」


「了解、ニーナ」


「うむ、よろしい」


俺は刀の柄に指を置き、胸ポケットの銀の徽章と青い髪結びの重みを確かめる。

止まっていた時間の端が、ほんの少しだけほどけていく。


杭の影が水面に伸びる。──その奥に、次の扉がある。


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