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第12話 亡国の剣


岩肌から滲み出た水滴が、一定のリズムで闇を叩いていた。


洞窟内は冷たい。だが、奥へ進むにつれて空気が澱み始めている。

鼻につく除獣香じょじゅうこうの匂い。魔獣を遠ざけるためのものだろう。


俺たちは音もなく進んだ。

足裏に薄く魔火を張り、砂利を踏む音すら殺す。

ソロモンが不意に足を止め、顎で前方を示した。


道の分岐点。角の向こうから、人の気配と話し声が漏れてきている。


「……二人。松明持ちです」

ソロモンの唇が囁く。


「暗がりのこちらが有利です。……この中で気配を“消す”のが一番上手いのは、ベリアですね」


ソロモンが俺を見た。フィオネも無言で俺に視線を流す。

拒否権はないらしい。

俺は小さく息を吐き、前に出た。


角にへばりつき、折れた道の先を伺う。

男が二人。右の男が卑猥な身振りで笑い話をしていた。左の男がそれに相槌を打っている。

まだ気づいていない。


(……行くぞ)


俺は影から滑り出た。

呼吸を止め、心臓の音すら抑え込むイメージ。


距離が縮まる。

あと十歩。五歩。

左の男が、ふと視線を上げた。


「あ?」


声になる前に、踏み込む。

抜刀はしない。音が出る。

俺は鞘の鯉口を抑えたまま、右手の拳で男の喉仏を打ち砕いた。


ゴッ。


男が声もなく崩れ落ちる。

その倒れる音が出る前に、右の男へ転じる。

男は驚愕に目を見開き、腰の剣へ手を伸ばしかけていた。

遅い。


俺は男の懐へ潜り込み、顎の下へ掌底を叩き込んだ。

脳を揺らす。

男の目が白黒し、意識が飛ぶ。


二つの体が地面に倒れる寸前、俺は両手でそれぞれの襟首を掴み、そっと床へ寝かせた。


静寂。

水滴の音だけが戻ってくる。


「……流石ですね」


背後から、衣擦れの音すらさせずにソロモンたちが現れた。


「次は私たちの番」

フィオネが短く告げ、先を促す。


さらに奥へ。

通路は緩やかに下り、やがて開けた空間に出た。


広い。

巨大な空洞が、無数の松明で照らされている。

熱気。

除獣香の香りに混じって、腐った酒、古い油、そして男たちの汗の臭いが充満している。


「……本陣ですね」


岩陰から覗く。

ざっと三十人。

木箱を椅子代わりに酒盛りをする者、剣の手入れをする者、石床で眠る者。

その奥、一段高い場所に置かれた豪奢な椅子に、一人の女が座っていた。


長いコートに、荒れた髪。

手にはグラスを持っているが、その目は酒を楽しんでいない。

ただ乾いた目で、虚空を見つめている。

かしらだ。只者ではない。


その背後に、さらに奥へ続く通路が見えた。人質はあそこか。


「どうする? 真正面からでは数が多い」

「奇襲で減らしても、騒がれたら人質が危ないわね」


「……」

ソロモンが顎に手を当てた、その時だった。


「──!」


フィオネが弾かれたように振り返り、通路の闇を睨んだ。


「来るわ。……強いのが二つ」


俺たちの背後──入り口側から、重い足音が近づいてきていた。

巡回か、あるいは外からの戻りか。

隠れる場所はない。


「私がやる。ベリアたちは中を」


フィオネが長棍を構え、獰猛な笑みを浮かべた。

その背中から、楽しげな殺気が立ち上る。


「じゃあね」


彼女は風のように駆け出し、闇の奥へと消えていった。


直後。

洞窟内に、腹を揺らすような警笛の音が鳴り響いた。


ブォォォォォォォッ!!


広間の空気が凍りつく。

三十人の盗賊たちが、一斉にこちらを向いた。


「警笛ですか。……仕方ありませんね」


ソロモンが肩をすくめ、杖を握り直した。


「強行突破です。死なないでくださいよ、ベリア」

「ソロモンこそな」


俺たちは同時に、広間の中へ飛び出した。


「敵襲ッ!!」

「殺せぇぇッ!!」


怒号が爆発する。

俺は最短距離で敵の群れへ突っ込んだ。


右から剣、左から斧。

俺は魔火を足裏で爆ぜさせ、加速する。

右の剣を潜り抜け、すれ違いざまに太腿を斬る。

左の斧は大振りの隙を突き、手首を斬り落とす。


「ぐあっ!?」

「速ぇッ……!」


即座に狙いを変え、次の標的へ地を這う。


隣では、ソロモンが杖を長棒のように回していた。

杖先から、透明な砲弾のようなものが放たれる。


ドォン!


衝撃弾。

直線上にいた盗賊たちがピンのような勢いで吹き飛んでいく。


「な、なんだコリャ!?」

「魔法使いかッ!」


混乱が広がる。だが、数は多い。

俺は足を止めず、奥へ──頭のいる場所を目指して走る。


「そこだァッ!」


横合いから巨大な男がタックルを仕掛けてきた。

躱せない。

俺は刀を盾に受け──ようとして、視界の隅で熱を感じた。


「ベリア、伏せて」


ソロモンの声。

俺は反射的に身を低くした。


頭上を、見えない衝撃弾が通過した。

巨漢の胸板が陥没し、ボールのように後方へ弾き飛ばされ、背後の数人を巻き込んで転がった。


「助かる!」

「借りは高いですよ」


俺たちは背中合わせになりながら、波のように押し寄せる敵を捌く。


だが、群衆の奥。

椅子に座っていた女が、ゆっくりと立ち上がった。

手にしていたグラスを放り投げ、腰のサーベルを抜く。


「……どこの手の者かは知らんが、いい度胸だ」


低い声。だが、怒号渦巻く広場の隅々まで届くような、腹に響く声だった。


女がサーベルを一閃させる。

ただの素振り。

だが、その切っ先から放たれた風圧が、手前の盗賊たちを転ばせ、俺の頬まで届いた。


「──ッ!?」


俺は刀を構え直す。

空気が変わった。

雑魚の群れとは違う。本物の“死”の匂いがする。


「私はアンネ。灰狼の頭だ。私の庭で暴れた落とし前、高くつくぞ。坊主」


女──アンネはサーベルをだらりと下げ、乾いた瞳で俺を射抜く。


「……いい目だ」


ふと、アンネはそう呟くと、手にしていたサーベルを無造作に放り捨てた。

カラン、と乾いた音が石床に響く。


「なんのつもりだ?」


俺の問いに、彼女は不敵に笑うと腰の鞘から別の剣を抜き放った。

装飾こそ剥げているが、手入れの行き届いた直剣だ。盗賊の武器ではない。騎士が持つような剣だ。


「盗賊にはサーベルが似合うが……今日は本気で遊んでやる」


彼女は剣を掲げ、周囲の部下たちへ顎をしゃくった。


「こいつは私がやる。お前らはその金髪を殺せ。無理でも時間を稼げ。さっきの警笛はカルマン兄弟だ、すぐに戻る」


「お頭が本気だぞ!」

「兄弟が戻るまで粘れぇッ!」


盗賊たちの士気が上がる。


「アンネに、カルマン兄弟……。どこかで聞き覚えがありますね」


ソロモンが杖で敵の刃を捌きながら、涼しい顔で呟いた。


「どうします? 貴方をご指名のようですが」


「やる。……今の俺がどこまで通じるか、試したい」


「死なないでくださいよ」


「ああ」


俺は刀を正眼に構えた。

アンネが上段に構える。

洞窟の空気が、質量を持ったかのように重く澱んだ。


──来る。


アンネが踏み込んだ。

速い。だが、それ以上に重い。

俺は正面からの打ち合いを避け、刃に魔火を流して軌道を逸らす。


ギャリッ!


火花が散る。

魔火で受け流したはずの腕が痺れた。

(重い……!)


「どうした、防戦一方か!」


アンネの剣が嵐のように迫る。

袈裟懸け、突き、切り上げ。

技に無駄がない。教科書通りの騎士剣術に、盗賊としての卑怯な崩しが混じっている。

足払いを跳んで躱した直後、柄頭つかがしらでの殴打が頬を掠めた。


俺は大きく後ろへ跳び、距離を取った。

呼吸を整える。魔火を練り直す。


「速いな。だが軽い。……覚悟が足りない剣だ」


アンネが嘲笑う。

図星かもしれない。俺の刃には、こいつのような泥の重みがない。


だが、速さなら負けない。


俺は息を吐き、全身の血管に魔火を走らせた。

世界の色が褪せ、音だけが鋭敏になる。


踏み込む。

一撃目を剣の腹で弾き、二撃目を屈んで躱す。

アンネの目が驚愕に見開かれる。

剣戟の隙へ、刃ではなく鞘での短打を三発。肘、手首、膝。


「チッ……!」


アンネの体勢が崩れる。

だが、倒れない。経験値が違う。崩れた体勢から強引に剣を振り回し、俺を遠ざける。


(……環境を使うか)


俺は視線を巡らせた。

地面は湿っている。特に右側の岩壁付近は、結露で濡れていた。

アンネは踏み込みの際、右足に体重を乗せる癖がある。


* * *


ソロモンは、襲いかかる盗賊たちを最小限の動きで処理していた。

杖先から放つ衝撃弾で吹き飛ばし、近づく者は杖術でいなして関節を外す。横目でベリアの戦況を見る。


「よそ見すんな!」

「おっと」

斬りかかってきた盗賊の刃を杖で弾き、回転から胸へ突き──衝撃を乗せて吹き飛ばす。


「こいつ……!」

「魔法使いのくせに、なんで接近戦ができるんだ!?」


盗賊たちが攻めあぐねる中、一人が叫んだ。


「怯むな! お頭が押してる! それにカルマン兄弟が戻れば、こんな奴ら……!」


ソロモンは杖を振る手を止めず、冷淡に告げた。


「貴方たちの目は節穴ですか? 苦しい顔をしているのは、むしろ貴方たちの頭の方ですよ」


「あ?」


盗賊たちが視線を向ける。

そこでは、アンネがベリアの速さに翻弄され、徐々に後退していた。


「そ、そんな……」


「それにカルマン兄弟とやらは、もう来ませんよ」


「嘘つくな! あいつらが負けるわけねぇ!」


その時だった。

入り口の方から、何かが転がってくる音がした。

ゴロリ、ゴロリ。

二つの塊が、松明の明かりの中に転がり出た。


男の生首だった。

恐怖に歪んだその顔は、間違いなく彼らが頼りにしていたカルマン兄弟のものだ。


「……え?」


「お待たせ。随分と強かったわよ、その兄弟」


闇の中から、フィオネが姿を現した。

長棍を肩に担ぎ、まるで散歩から戻ったかのような足取りで。

その服には、返り血ひとつ付いていない。


「嘘だろ……」

「化け物かよ……」


盗賊たちの手から、カランと武器が滑り落ちた。


* * *


(……終わったか)


アンネは部下たちの動揺を背中で感じ取っていた。

カルマン兄弟が死んだ。あの金髪の女にやられたのだ。

目の前の少年も、底が見えない。

こちらの剣筋に慣れ始め、徐々に間合いを詰めてきている。


「……クソが」


アンネは覚悟を決めた。

全魔火を込めた、捨て身の一撃。

これで少年を叩き斬り、包囲を抜ける。


彼女は大きく息を吸い込み、右足を深く踏み込んだ。


* * *


(そこだ)


俺はその瞬間を待っていた。

彼女が踏み込んだ場所は、岩壁からの水滴で濡れた石床だ。


ズルッ。


アンネの右足が、わずかに滑る。

致命的な隙。

振り下ろされる剣の軌道がブレた。


俺は半歩、内側へ滑り込んだ。

落ちてくる剣を刀で受け流し、火花と共にすれ違う。

がら空きの懐。


「──ッ!」


返す刀で腰から胸元へ斬り上げる。刃が吸い込まれる。右足をさらに踏み込み、魔火で衝撃を乗せる。


ドォォォン!!


アンネの体が、後方の岩壁まで吹き飛んだ。

壁に激突し、どさっと崩れ落ちる。

手から剣が離れ、乾いた音を立てた。


勝負あり。


俺はゆっくりと近づく。

アンネは血を吐きながら、天井を見上げていた。


「……見事だ」


掠れた声。


「因果応報、か。……私はどこで間違えたんだろうな、ハイデン……」


その声は、誰に向けたものだったのか。

彼女はそのまま意識を失った。


周囲の盗賊たちは、戦意を喪失して座り込んでいた。

ソロモンとフィオネが歩み寄ってくる。


「お疲れ様、ベリア。いい動きだったわ」

「流石です。……さて」


ソロモンは倒れたアンネを見下ろした。


「その剣技、やはり亡国アイヴァンホーデンの騎士──アンネ・ブルクマンですね」


ソロモンは杖先をアンネの胸に向けた。

淡い光が傷口を包む。


「……治療するのか?」


「ええ。死なれては困ります。証言が必要ですし、生かして騎士団へ突き出すのが一番の罰でしょう」


ソロモンの声は事務的で、慈悲の色はなかった。

傷が塞がると、彼は手際よくアンネを縛り上げた。


「さあ、奥へ。ベンとの約束を果たしましょう」


俺たちは広場の奥、小部屋へと続く通路へ向かった。


* * *


中は粗末な牢屋のようになっていた。

十数人の女と子供たちが、身を寄せ合って震えている。

俺たちが姿を見せると、悲鳴が上がりかけた。


「安心してください。聖女教会です。助けに来ました」


ソロモンが穏やかな声で告げると、沈黙の後、安堵の泣き声が爆発した。


「ベンの妹は?」


俺が問うと、隅の方で小さな手が挙がった。

煤で汚れた顔。だが、その目はベンによく似ていた。


「お兄ちゃんが、呼んでくれたの?」


「ああ。街で待ってる」


フィオネが優しく頭を撫でる。

少女の目に涙が溜まり、やがて大粒の雫となって溢れ出した。


「……よかった」


俺は大きく息を吐き、刀を納めた。

冷たい洞窟の中に、ようやく体温のある空気が戻ってきた気がした。


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