第11話 嗅ぎ分ける夜
王都の西外れ。
家々の灯りが途絶え、並木道の闇が深くなる。
俺の前を歩く双子の背中は、夜の散歩でも楽しんでいるかのように軽やかだった。
「ところでベリア」
フィオネが振り返る。月明かりが金髪の輪郭を白く縁取った。
「あなたの名前、聞いたことないわね。魔火指数47なら、少しは名の通った冒険者なんでしょ?」
「いや、さっき登録したばかりだ。無名だよ」
「まあ。でも、戦いには身を置いていたのでしょう? 立ち方が素人じゃない」
「……記憶がなくてな。手がかりが欲しくてギルドへ行ったが、何も出なかった」
俺が正直に答えると、フィオネはパチリと目を瞬かせ、隣を見た。
「ソロモン?」
「……ええ。嘘の匂いはしませんね。どうやら本当のようです」
ソロモンが涼しい顔で頷く。
「そう。可哀想ね」
「棒読みだなぁ……。なぁ、その“匂い”って何なんだ? ギルドでも俺から恐怖の匂いがするとか言ってたよな」
「ソロモンは人の感情を嗅ぎ分けられるの。魔火の特殊な使い方らしいけど、私にもさっぱりよ」
「へぇ……。そんなこともできるのか」
「これは生まれつきの癖のようなものでして。人混みに行くと、嘘の腐臭や悪意の刺激臭で鼻が曲がりそうになりますよ。……今の貴方からは、雨上がりの土のような、何も混ざっていない匂いがします」
「褒めてるのか、それ」
「空っぽ、ということですよ」
ソロモンは悪気なく笑った。
俺は鼻に魔火を集めようとしてみるが、感覚が掴めない。ただ熱が散るだけだ。
特殊な魔火──やはりこの双子、只者ではない。
「無駄話をしてる場合ではないですよ。もうすぐです」
ソロモンの声で現実世界に帰ってくる。
辺りは並木が続く大きな公園が、広く途切れず前へ伸びている。
ぽつぽつと街灯はあるが、ほとんど真っ暗だった。遠くに西の外壁が見える。
「王都の西外れ。人は住まないけど、先に廃小屋がある。ベンの言ってた“渡し場所”ね」
フィオネが歩きながら辺りを見回す。
「詳しいな。二人、ここの出身?」
「いいえ。テゼリアには聖堂があるから、仕事で何度か」
「へぇ、いろんな街を回ってるのか。楽しそうだな」
「お祈りすれば、あなたも入れるわよ?」
「んー、聖女さまはパスで」
「全く、不敬な人ですねぇ」
ソロモンが笑みを浮かべる。
「……お客さんよ」
フィオネの声のトーンが、ふっと落ちた。
前方の暗がり。
廃小屋へ続く道の真ん中に、三つの人影が立っていた。
「あの餓鬼、喋りやがったか。……あとでぶっ殺す」
真ん中の男が唾を吐き捨てる。
腰にはサーベルのような長剣。チンピラ崩れか。
「いやいやフィオネ。我々が出向いているのですから、“客人”はこちらでは?」
「確かに。ということは、わざわざ出迎えに来てくれたのね。嬉しいわ」
双子は足を止めず、楽しげに言葉を交わす。
殺気立った男たちを前にして、緊張感の欠片もない。
「舐めてんのか餓鬼ども! 全員ぶっ殺す!」
三人が同時に剣を抜く。金属音が夜気に響いた。
「おもてなしは無さそうね」
「実に残念です。──ベリア、やってしまいなさい」
「……は? 俺?」
ソロモンの突然の指名に、俺は足を止めた。
「あなたを我々の“騎士”に任命します。刀を腰に差した姿、なかなか様になっていますしね」
「どう考えても、あんたら強いだろ。“守られる側”の人間じゃない」
「かよわく可愛い教徒を守るのが騎士の務めですよ」
「かよわくも可愛くもないけどな」
「ちょっと、それ私にも言ってる?」
フィオネがジロリと俺を睨む。
こいつら、俺の実力を測ろうとしている。
「……分かったよ。やればいいんだろ」
俺はため息をつき、前に出た。
柄を握り、親指で鯉口を撫でる。
「なんだ、一人でやるのか? いいぜ、最初にお前から──」
三人が同時に間合いを詰めてくる。
殺気は粗いが、速度はある。
「ベリア、真ん中だけ生かして」
背後からフィオネの声。
「物騒な聖職者だな。──了解」
俺は息を吸い、肺に魔火を充填する。
神経が研ぎ澄まされ、時間が泥のように遅く感じる。
右と左の男が剣を振り上げる。真ん中の男が突きの構え。
俺は半歩踏み込んだ。
真ん中の男の切っ先が伸びきる前、懐へ潜り込む。
抜刀はしない。鞘のまま、鳩尾へ突き入れた。
ドンッ。
魔火による衝撃。
骨を砕かない程度に加減した波が、男の内臓を揺らす。
男は白目を剥き、声もなく吹き飛んだ。
「なッ……!?」
左右の男が驚愕に目を見開く。
その隙だらけの胴体に、俺は刀を走らせた。
刃は抜かない。鞘と柄頭での連撃。
顎と首筋を正確に打ち抜く。
ドサ、ドサリ。
三人が地面に転がるまで、五秒とかからなかった。
静寂が戻る。
「……流石です、ベリア」
ソロモンがゆっくりと拍手をする。
「無駄がない。……やはり貴方、人を殺すことに慣れていますね?」
「……どうだろうな」
俺は刀を納めた。
ただ体が勝手に動いた結果だ。
「で、どうやって聞き出すんだ? 拷問でもするのか?」
「ええ。それは私の仕事です」
ソロモンが倒れたリーダー格の男へ歩み寄り、紺のローブに隠れていた腰から長い杖を抜いた。
先端が少し歪んだ焦げ茶の杖。
「起きてください」
杖先で男の頬を突く。
目に見えない“何か”が、男の頭部に滲み込むのが見えた気がした。
「あ、が……ッ!?」
男が弾かれたように目を覚まし、悲鳴を上げようとして──声が出ずに喉を鳴らした。
瞳孔が開いている。目の前に、俺たちではない“何か”を見ている目だ。
「おはようございます。私はソロモン、しがない教徒です」
ソロモンは穏やかに微笑んだ。
「あなた、“灰狼”ですね」
「あ……あぁ……」
男はガタガタと震えながら、ソロモンではなく虚空に怯えていた。
「いきなり当たりを引きましたか。……今日、女の子を攫いましたね? 彼女はどこです?」
「ド、ドゥーべの森だ……! 南門から真っ直ぐ西で……」
「はぁ」
ソロモンが深く、残念そうにため息をついた。
「嘘ですね。腐った卵のような臭いがします」
「ひッ!?」
「虚言の代償を」
ソロモンが杖を軽く振った。
「ぎ、ぎゃあああああああッ!!」
男がのたうち回った。
どこも切られていない。殴られてもいない。
なのに男は、自分の体をかきむしり、失禁し、ありもしない激痛に絶叫している。
「フィオネ、あれは?」
「精神魔法。脳に直接、恐怖や痛みの信号を送ってるの。……ソロモンはこの分野じゃ、かなり上位よ」
数秒後、ソロモンが杖を引くと、男はボロ雑巾のように力尽きていた。
心は既に折れている。
「さて、もう一度聞きます。……場所は?」
「ひ、氷滝の洞窟……! 南門から南東だ……!」
「期限は?」
「あ、明日の未明……陽の五刻に、“売り”の相手が来る……!」
「素直でよろしい」
ソロモンが満足げに頷き、俺たちを振り返った。
その笑顔は、さっきの拷問者と同じものだ。
「場所は氷滝の洞窟。……急げば二刻ほどです」
「どうする。衛兵に出すか?」
「国が動けば確実ですが、手続きをしていては“売り”に間に合いません」
ソロモンが俺を見る。
底まで値踏みするような、静かな目。
「どうしますか、ベリア」
試されている。
だが、迷う理由はなかった。
「……行こう。ここまで来たんだ。ベンとの約束もある」
「決まりですね。では、夜のうちに終わらせましょう」
ソロモンは微笑むと、踵を返した。
夜風が冷たく吹き抜ける。
その風に乗って、微かに鉄の匂いがした気がした。
* * *
俺たちは路地を駆けた。
ゼトやリュネルと走った時よりも、さらに速い。
双子の足取りには迷いがなく、呼吸も乱れていない。相当な練度だ。
西外れの公園から王都を斜めに横断し、南門へ。
出国手続きは要らない。衛兵が欠伸をしている隙に、俺たちは音もなく門を抜けた。
「“氷滝の洞窟”、場所の見当はついてるのか?」
走りながら問いかけると、フィオネが前を見たまま答えた。
「ええ。行ったことはないけど、大体の位置はね。昔はダグアイス鉱石が取れる名所だった場所よ」
「採掘が終わった後は魔獣の巣窟になってると聞いてましたが……」
ソロモンが付け加える。
「その魔獣を撃退してアジトにするほどの組織ってことか」
「灰狼は、そこらの野盗とは少し違いますからね」
ソロモンが淡々と言う。
「元はアイヴァンホーデンの辺りで、二十年ほど前に結成された旅団です。当時は悪党のみを襲う『義賊』として名を馳せていたそうですが」
「アイヴァンホーデン……」
聞いたことのない名だ。
「二十年前に滅んだ大国よ」
フィオネが補足する。
「彼らが民間人を襲い始めたのはここ数年。……頭が変わって、組織のタガが外れたんでしょうね。いずれにせよ、腕の立つ連中がいるのは間違いないわ」
「油断はできないってことか」
「そういうことです。頼りにしていますよ、ベリア」
「いや、お前らも強いんだから戦えよ」
「もちろん。貴方の手に負えないようなら助力しますよ。……微力ながらね」
嘘の匂いは嗅げないが、今の言葉が建前だということくらいは俺にも分かった。
やがて、川のせせらぎが聞こえてきた。
上流へ向かうにつれ、その音は低い轟音へと変わっていく。
「……そろそろね」
フィオネが速度を緩めた。
目の前に、巨大な岩壁が現れる。その裂け目から、白い帯のような滝が落ちていた。
月明かりを砕き、白い粉のようなしぶきが舞っている。
“氷滝”──その名の通り、辺りの空気が冷え切っていた。
「滝の裏、岩肌に沿って進むと洞窟があります」
ソロモンが小声で告げる。
「気配を消しましょう」
「先に渡るわよ」
フィオネが軽く地面を蹴った。
重力を無視したかのように、ふわりと対岸の岩場へ着地する。ソロモンもそれに続く。
俺も足裏に魔火を集め、音を殺して跳んだ。
岩肌を伝って進むと、木々の陰に黒い穴が口を開けていた。
馬車が一台通れるほどの大きさだ。
奥から、湿った腐臭と、微かな煙の匂いが漂ってくる。
「入口は一つのようですね」
「突入しかないわ。見つかったら、騒がれる前に落とす」
フィオネの声から、先ほどまでの軽さが消えていた。
彼女は背負っていた長棍を手に取り、ソロモンは杖を構える。
俺も刀を抜き、切っ先を下げて構えた。
「相変わらず、物騒な聖職者だな……」
俺の軽口に、二人はもう答えない。
ただの狩人の目になっていた。
冷たい風が吹き出す闇の口へ、三つの影が音もなく沈んでいった。




