表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/25

第1話 お伽話

 

──十七年前

 


鈴の音が、した気がした。

ちりん、と笑うような、乾いた音がひとつ。

 

直後、女の悲鳴が夜を裂いた。

 

窓ガラスが内側へ爆ぜ、赤い光が雪崩れ込む。

暖炉の火が一瞬で吸い出され、部屋の温度が消えた。

 

「ヘレン、ニーナ──走れ!!」

 

家の主──ニーナの養父が剣を抜く。

いつもの優しい父ではない。見たことのない、鉄のような背中だった。

 

崩れた壁の向こうに、黒いローブ。

白い、無表情の仮面。

その奥から、また鈴の音が聞こえた。

 

石畳に灰が降る。吸い込む息が、鉄と脂の匂いで熱い。

 

ニーナは隣のヘレンの手を握った。二人の年は七つ。

(離したら、終わる)

誰に教わったわけでもない。生物としての本能が、全身でそう告げていた。

 

戸口の外で、養父は仮面の一人を正面から剣で受けた。白い火花が散り、肉を叩く鈍い音と、骨が砕ける甲高い音だけが響く。

重く、速い。飾り気のない一撃が、恐ろしいほど正確に急所をえぐる。


二撃、三撃。

影から次々と、新しい白面が湧き出る。

(……多すぎる)

養父の横顔が、絶望を殺して叫んだ。

 

「角を右だ! 村から離れろ! 振り返るなッ!」

 

ニーナは頷き、凍りついたヘレンの手を引いた。靴が石を噛んで滑る。

 

角を曲がる。

また仮面。

また走る。

 

胸の奥で、ちいさな熱がぱち、と鳴った。

恐怖で足がすくむより早く、体の芯にある“何か”が勝手に巡りだす。

 

魔火まか

 

それを細く、足裏へ落とす。踏み出しが爆ぜるように軽くなる。

 

もう一度、指先に糸のように魔火まかを通す。

頭上の酒場の吊り看板──その鎖へ向けて、空を指で薙ぐ。

 

カィン、と硬い音がして鎖が断たれた。

巨大な看板が落下し、路地を塞ぐ。追ってきた仮面の足が止まった。

 

* * *

 

——ほんの少し前まで、暖炉の前でお伽話とぎばなしを読んでもらっていた。

父の低い声と、爆ぜる薪の音。

 

『むかし、ある王様がいました。

王妃を愛し、民に愛された、心優しき王様でした。

だがある夜、王妃は殺され、王様は泣きました。』

 

——悲鳴。怒号。誰かが肉を焼かれる臭い。

——ヘレンの掌が、痛いほど冷たい。

 

『悪い神が囁きました。“復讐を”。王様は犯人を討ちました。

神はさらに囁きました。“王妃を戻す術がある。

代価は——人の命だ”。

王様は悲しみの果てに頷き、禁忌の力を受け取りました。』

 

——路地が燃えて赤い。仮面の群れ。

——養父の剣はもう見えない。人垣の向こうで、何か重いものが倒れる音がした。

 

『王様は自らの子と、配下以外の全ての民を殺し始めました。

やがて他国にも刃を向け、人々は彼を“魔王”と呼ぶようになりました。

人が半ばまで減った頃、一人の聖女が立ちました。

聖女は人々に、体内の炎《魔火まか》の扱いを教え、長い戦いの果てに魔王を討ちました。』

 

——角を切るたび、肺が焼ける。

——ニーナはヘレンの手を握り直す。爪が食い込む。

——魔火を薄く回して、心臓の早鐘を無理やり抑え込む。

 

『しかし魔王は最期に、呪いのように言ったのです。

「私は死なない。我が血が絶えぬ限り、必ず復活する」』

 

——その言葉だけが、耳の奥で冷たく光る。

 

『人々は恐れ、叫びました。

“血が残れば、またあの悪夢が始まる”

“魔王の血を断て!”

“一滴たりとも残すな、根絶やしにせよ!”』

 

——叫びが、呪いのように世界を覆う。

——けれど皮肉にも、少女は今、生きるためにその血を燃やして走っている。

 

* * *

 

「……ァ……逃げ……ろ……ッ!」

 

背後で、養父の声が泡立つ音と共に途切れた。

ドサリ、と何かが投げ捨てられる音。

次いで、雪でもない灰が、はらはらと夜空から落ちてきた。

 

前方で、民家の柱が倒れて道を塞いでいる。

炎が壁を作っていた。行き止まり。

 

ニーナは指先に魔火を絞り出した。熱い。指が焼けるようだ。

炎の向こうにある「隙間」をイメージする。

柱の脇、燃え落ちそうな絡み蔦──そこを、切る。

 

一閃。

蔦が落ち、柱がわずかにずれた。人が一人通れる隙間が開く。

 

その隙間から、泥だらけの手が伸びた。

「こっち!」

ヘレンの手を引き、向こう側へ滑り込ませる。

いつも一緒に走っていた、一つ年下の子──サラだった。

 

唇だけが動く。「しずかに」

ニーナは頷き、自分も炎の隙間をくぐり抜ける。

 

仮面の視線が、炎越しにこちらを探して跳ねる。

影が三つ、四つ。

その奥に、楽しそうに揺れる鈴を持った影が見えた。

 

(……あいつだ)

 

本能が告げる。あいつが、父を殺した。あいつが、この夜を連れてきた。

 

サラが手招きする。三つの呼吸が、同じ速さになる。

 

(いまは、ここを抜ける。……生きて、抜ける)

 

最後の角を抜けると、冷たい風が通った。

丘だ。血と脂の匂いが薄れ、草の匂いが混じる。

村の端。

この先は、夜の色が少しだけ薄い。

 

三人で駆け上がる丘。

ヘレンの手を握り直す。サラが先に立って獣道を示す。

指先にはまだ、ちいさな熱が残っていた。人を殺せるかもしれない、鋭利な熱が。

 

頂上で、一度だけ、ニーナは振り返った。

 

村は燃えていた。

父も、母代わりの隣人も、昨日話したパン屋も、すべてが赤い色に溶けていた。

鈴の音は、もう聞こえない。


見えないまま、目を閉じる。


『人々は魔王の血を探しました。けれど、探しても探しても血は見つからず、やがて人々は魔王のことなんて忘れてしまいました。

そして時は過ぎ──

どこかで今も“魔王の血”は息をしているのかもしれません』

 

まだ泣かない。泣けば、足が止まる。

 

村は滅びた。

その事実だけが、灰となって夜に積もる。

 

この夜、七歳のニーナの内側で、火が点いた。

復讐という名の、消えない火種。

それは長い時間をかけて、あかりになる。



剣と魔法、そして世界の闇を正面から描く“硬派ファンタジー”を作りたくて書き始めました。

物語は長編になりますが、少しずつ世界が広がっていきます。

面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。



【オーリア大陸地図】

※詳細は物語が進むにつれて登場予定です


挿絵(By みてみん)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ