栄光の影 1
「良いですか?万が一、この後一時間自分から連絡がない場合は、このプランは中止にしてすぐに帰宅してください」
名雪は今宵も復讐代行人として新たなプランを実行しようとしている。
しかし今回は不安事項の多いプランであった。
「失敗もあり得る。その時は自分一人での復讐はしない。それがプランを実行する上での条件でしたよね?」
返答のない依頼者に念を押すように、約束事をあえて口にした。
そこまで言われて、ようやく依頼者は納得いかなそうではあるが、頷いた。
今回のプランは復讐のターゲットが定年退職を迎えたとはいえ、定年する際には表彰もされた優秀な刑事であったからだ。
経歴も、殺人事件等の凶悪犯罪を何度も担当をしてきた。
そんな元刑事がターゲットとあれば、顔見知りではないものの名雪としても身構えずにはいられない相手だった。
温厚派ではなく、昭和の刑事ドラマで描かれているような昭和の刑事との噂はかねがね聞いている。
当然逆恨みをかう事も多く、襲われた事もあったとも聞く。
そういう経歴があれば、退職したからといって、警戒心が一気に薄れるという事はないであろう。
依頼人にとってもそうであるように、復讐のターゲットが現役かどうかは左程問題ではない。
恨みが続けば、その役職の任を解かれたとしてもターゲットしてあり続けるのだ。
元刑事を拉致して、此処で合流する。
二人で今の時間を確認して、名雪は合流場所を出た。
現在の行動パターンは把握済みだ。寝る前の日課の散歩。
退職し、時間が出来た事で新しく出来た日課なのだろう。
元刑事が遠目で視界に入ると緊張感が高まるが、落ち着く為に呼吸を深く繰り返して、周囲に元刑事しかいないのを確認してから、麻酔銃を構えた。
名雪はこれといって、刑事として秀でたものを持っていなかったが、唯一警察学校時代に褒められたのが射撃の腕前だった。
しかし、この国の警察において銃を発射した事のある者が一体何人いるのか。
警察官による、任務に適切な形での発砲件数と、警察官による自死へ使われた発砲件数なら左程差がないかもしれない。そんなレベルだ。
学校時代は熱心にしたが、学校を出てからは決められた回数をこなす程度で特に射撃訓練には力を入れてこなかった。
それでも、若さと希望があったあの学校時代に訓練した感覚は今もしっかりと体に染みついている。
狙いどおり、麻酔弾は元刑事にあたり、元刑事はそのまま意識を手放した。
名雪はすぐに手足の拘束をして、合流場所へと急いだ。
依頼者の復讐プランを聞いた時に、名雪は代行を受けるか悩んだ。
それは本来復讐するべき相手は既に逮捕されているからであったが、元刑事の事を肉体的に傷つけたりする意向は全くなかった事から引き受ける事にした。
麻酔から目覚めるのを沈黙と共に待って、ようやく依頼者は元刑事がうっすら瞼を開けるのを見た。
「今回はこの様な強引な手段で申し訳ありません」
依頼者の白石聡子は目を覚ました元刑事に深々と頭を下げた。
「傷つけたい意向はありません。ただ質問に答えて頂きたいです」
脅しの為に握っているナイフはあるが、極度の震えがある状態で、数々の修羅場を潜り抜けてきたであろう元刑事に対して、恐怖を与えられているかは分からない。
「私は白石聡子と言います」
依頼者には出来れば名前を明かしては欲しくなかったが、名前を明かさないと聞きたい確信が聞けない。そういう話だ。
「貴方の息子が…あの男が関わったとされる事件の中で唯一生き残った子の母親です」
白石はもうナイフを握る事も出来ず、立っている事も出来ずにもたれこんだ。
精神的に限界がきているのは分かっていた。
だから、元刑事が反撃してきたとか、命に危険が及ぶような時以外では手を貸さない事としていた。
だから、そのまま黙って遠くで見つめた。
「白石さん…?」
名字に聞き覚えがないというように元刑事は困惑していた。
「あの子は確かに命だけは助かりました。でも、事件をきっかけに父親を含めた男性全員に対して恐怖を抱くようになりました。その事に父親も心を痛めて、当初は見守るつもりでいました」
せめて命があって良かった。と人は言うのだろうか。
何度、我が子を殺してあげた方がこの子にとって幸せなんじゃないかと、自問したかは分からない。
もしも、死にたいけど一人じゃ死ぬのが怖い。自分では死ねない。と言われていたならば、聡子は励ますよりもナイフを手にしていたかもしれない。
「けれども仕事で疲れて帰宅して、怯え、酷い時は父を見て泣き叫ぶ我が子を見て、あの子の為にも離婚した方が良いと言われました。私は娘を連れて家を出ました。違う環境で、名字も自分の旧姓にした方が良いかと思ったからです。あの男の裁判は終わりました。今は償いの最中です。でも、あの子はあの日のままです」
それまで仲良かった父をも恐れて、当然学校へ通う事も出来ず、外出もままならない。
訪問診療してくれる女医を見つけて、何とか治療が出来ているが、男性のいない空間でも怯えて、寝ていてもあの日の事を夢に見ては起きてしまう生活が続いていた。
「父親との会話も出来ず、学校に行く事も出来ず、ただトラウマに支配されてる日々があの日からずっと続いてるんです」
年月が経てば少しは良くなるのかと期待していた時もあった。
「………子供の罪を親が何処まで責任をとるのか。まして、成人している子供の罪を何歳になっても親は見続けるのか。そう自分に言い聞かせて耐えてきました」
誰かを責めずにはいられなかったから、親を責めたかったのかもしれない。
怯え続ける娘に付き添う事しかできない聡子にはもう何も分からない。
「でも、最初の犯罪を起こすまでに何一つ兆候はありませんでしたか!?貴方の息子は突然モンスターになったのですか?」
それでもずっと巡る問い掛けが頭を離れなくて、自分までおかしくなりそうだった。




