傍観者 2
加古川なりに力を込めて振り下ろしたはずが、ナイフが肉を貫く感触はなく、電気音が響いたので加古川は思わず閉じていた瞼を開けた。
「こいつは貴方が手を汚す価値もないゴミです」
加古川が振り下ろすよりも前に、名雪がスタンガンで加害者を気絶させていて、ナイフは宙をさまよっていただけだった。
「ゴミはゴミ箱に。清宮さんが言った通り、こいつは俺が責任持ってしかるべき場所に届けます。それで、どうですか?」
毎日学校へ行くのを楽しみにしていた明るい孫が、あの日を境に学校へも行けなくなり家族とさえ話せなくなっていくのを傍で見てきて、せめてあの時何があったのか知りたくても、事件であんなにも変わってしまった孫だって、事件について証言したわけでもなく、ただの傍観者。
その家族は事件にとっては無関係な人間。裁判を傍聴する事も出来ず、孫の変わってしまった生活を思えば募っていく思い。
しかし、あの加害者にとってあの事件は心の底からどうでも良い何でもない一日のムカつくだけの出来事でしかなかったのだ。
そんな事を聞いて、何故精錬潔白だった清宮が亡くなり、明るい孫が閉じこもる日々を送り続けてるのか、憎悪しか湧かないのは当然理解出来る。
「貴方が生きてる間に、お孫さんの気持ちがほんの少しでも上向きになる事は難しいかもしれません。それでも、その事がきっかけで貴方が犯罪を犯したとお孫さんに伝えるわけにはいきません」
これ以上加古川家に悲しい知らせは聞かせたくない。
「このゴミには俺が責任を持って、生きている方が辛いと思うまで、拷問してゴミ箱に戻しますから。俺に預けてくれませんか?」
確かに孫に今日あった事を知られたくはない。殺人犯の家族という重過ぎる枷を背負わせたくもない。
それでも自分の復讐を何もかも彼に押し付けても良いものだろうか。
「体に麻痺等があって自分で復讐を果たす事が出来ない人には、実行役もやってますので、細かい事は気にしなくて良いですよ」
このゴミに相応しいゴミ箱は何処か、それだけを考えている。
「それより、事前に渡していた紙はまだお持ちですか?」
名雪はプランを相談した時に、用意しておいた紙の所在を確認したが、加古川は深く頷いた。
「では、此処から先はその紙に書かれた通りに歩いて家に帰ってください」
此処から加古川の帰宅ルートを事前に調べておいた。
此処を知り合い等に会わずに帰る事が出来れば、防犯カメラに映らずに帰る事が出来るはずだ。
万が一拉致がバレた時の保険だ。
「もしも知り合いがいたら、出来そうであれば立ち去るのを待ってください。無理そうな場合は普段と変わらず挨拶なり話をしてください。けど、必ずこの道で帰ってください」
そう伝えて加古川を帰宅するように促した。
「守…ちょっと良いか」
無事に知り合いには遭遇せずに家へと帰ってこれたので、これも指示されていた通りすぐに帰宅ルートが書かれた紙をシュレッダーへ投げ入れた。
あまりスマートフォンの操作が得意ではない自分の為に、あえて紙に印刷してくれたのだ。
あんな人が何故、復讐代行なんてやっているのか。
「どうしたの、父さん」
素性も何も分からないが、彼に手伝ってもらって、自分を犯罪者にするわけにはいかない。と送り出してくれたのだから一つだけ孫に伝えたい事があった。
「俺の余命を悟に伝えたい」
長年連れ添った妻を病気で亡くして、数年経過した今年に健康診断で癌が見つかった。
年齢とステージを考えると、根治を目指すよりも、余生を好きなように楽しんだり、少しでも楽に出来る道を模索した方が良いという医師の勧めに従い、手術等はしない道を選んだ。
「まだ塞いでいるあの子には辛い話だとは思う。でも、残り時間が少ないからこそ、挨拶だけも良いから孫の…悟の声が聞きたい」
妻の時は悟の状態を考えて何も話さずにいたから、悟にとっては突然祖母が亡くなった形となった。それが良かったのか、悪かったのは分からない。
勿論、心のケアをしてくれている先生にも相談してみたり、両親の意向もよく聞いてからの決断にはなるが、もう妻の元へ行くのに抵抗は感じていない。
「おはようとか、それだけで良いんだ」
あの事件から聞く事のなくなった孫の声をもう一度だけ聞きたい。
それだけが、唯一の心残りだった。
「さて、どういうゴミ箱が良いと思う?」
血だらけになって、顔が先ほどの加害者かどうかの判別も出来ない程にあちこちが膨れ上がっている加害者の顔を掴んで持ち上げた。
まだ生きてはいるが、つい先程意識を手放したようだ。
反応がないと退屈になるので拷問はそろそろ終了で良いだろう。
こんなゴミでも臓器移植とか、まだ役に立てる事は少しは残ってる。
こんなゴミ野郎の臓器を使ってでも生きたいのかという話になるが、金持ち程、そういう細かい事よりも命が大事って奴は多い。そして高く売れる。
復讐代行も思ったよりコストがかかる仕事だ。そもそも無報酬でやってるから当然の話ではあるが。
「上手くマッチすれば、活動資金にはなるか。そういう需要がなければ海の餌か…」
まだ若い加害者なので失踪届を出される可能性が高いと思ったが、ゴミはゴミ箱に入れてから数ヶ月経った今も出されていない。
未成年だから名前や顔写真が出なかったとはいえ、近所にはバレていたただろうし、ネットで暴露される事もある。
家族も、事件後も落ち着く様子を見せない加害者に手を焼いていたという事なのかもしれない。
事件が起きれば加害者と被害者だけがクローズアップされるが、実際には他の多くの人達へ影響を起こす事もある。
傍観者でしかない孫が引き篭もり、傍観者でさえない孫の家族が塞ぎ込む孫を見て心を痛めるように、一つの事件は沢山の関係者を作りあげていく。
それが例え裁判記録にも記載されず、ニュースにも報道されないような人達だったとしても蝕まれた現実は、事件の発端となった男がこの世から消えても続いていくのだ。




