完成 3
「…こんなに冷たくて勢いのある川に飛び込んだのね」
女は河原に座りこんで、手を川に浸して川の勢いと温度をはかった。
「冷たくて苦しかったでしょう…。謝罪をして欲しかったのはあいつで、土下座をして欲しかったのもあいつで…」
結局得られなかった謝罪は、家族による謝罪へと変わってしまった。
「貴方にそんな事をして欲しかったわけじゃないのに、ごめんなさい」
謝ってすむ問題ではない。もう彼女はこの川で随分先へと流されてしまったのだから。
「私一人で良かったのに、貴方まで巻き込んでごめんなさい」
女は一日も忘れられないあの男が怖かった。怖くて怖くて仕方なかった。
生きてる事も、また会うかもしれない事も。
だから自分の手ではなく、娘である千里に全て押し付けてしまった。
千里を動揺させ、恐怖に陥れさせ、親殺しをさせ、自分の命まで奪った。
それが今、河原で一人で土下座している女が成した事。
ようやくあの男がこの世から消えた事への安堵と、その代償のあまりの大きさにこうして謝る事しか出来ない。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
明け方、名雪の元へとあの川から流されたと思われる二人の女性の遺体が発見されたと連絡があった。
一人は名雪からの通報で探索していた千里。
もう一人は、千里が身を投げた橋の上流の河原から見つかった身分証明書により、元依頼人と判明。
二人は、ナイフで脅迫されていた加害者と被害者であると見られているが、当事者である加害者と被害者が亡くなった為に、まるで夢のように消えていった小さな事件となった。
代わりに世間では、性的暴行の被害者女性が加害者である男を殺害し、その場面を見た加害者の子供はショックのあまり気が動転して近くの川まで逃げて川へ落ちて亡くなった。と伝えられた。
殺人は本人死亡により書類送検される事となった。
元依頼人は偽りだらけの遺書を身分証明書と共に河原にわざと残した。
以前、加害者から性的暴行を受けて、今までずっと苦しんできた事。
たまたま家族三人幸せそうに歩いている姿を見て許せなかった。
だから、父親の命を奪った。
その場面を娘に見られて動揺した娘が、ナイフに触れて治療にあたろうとした事。
邪魔されたくなくて、娘を止めて、以前自分に起きた事を話すと、何も知らなかったらしい娘は大きなショックを受けたのか、走り出して川へ自ら飛び込んだ事。
娘の命まで奪うつもりはなかったのに、知らなかった父の前科と、目の前で亡くなっている父を見た事で動揺させてしまったのは間違いなく私です。
こんな事が罪滅ぼしになるわけはないけれど、せめて自分も彼女と共に同じ道を歩みます。
どうか、未成年である彼女の事はプライバシーに配慮された形での報道をお願いします。
そんな遺書と、名雪が消防に通報した時には若い女性としか伝えてなかったのと、どうにか千里の罪を軽く出来ないかと思惑していたので、警察にも詳細は告げずに、家に入り父親の死亡を確認した事、女性ものの靴がなかった事から娘は留守と判断し、帰ろうとした際に橋から身を投げる若い女性を見た。としか証言してなかったので、どうにか誤魔化せるかもしれない。
これは、父殺しと大きく報道される事を案じた元依頼人が、せめてそうならないように自分が殺した事に偽装して欲しいと依頼された為に、捻じ曲げた事件だ。
性的暴行の加害者が殺人の被害者として報道され、被害者であると同時に性的暴行の加害者として名前と顔写真も公開される。それは、元依頼人にとっての復讐の完成であったかもしれない。
これが正しい事かは分からない。
ただ事実として、命を奪われた被害者と身体を奪った加害者として、以前元依頼人の件で逮捕、起訴された時とは報じられ方は全く異なっていた。
実名と顔写真が性的暴行加害者として大きく取り上げられる事となった。
元依頼人は性的被害者として報道されるのを好まなかっただろうが、あの憎い男が大きく取り上げられるのと、どちらが彼女にとって勝るのだろうか。
復讐は何も生まないどころか、新たな被害者や罪を生むだけ。
そんな現実を突きつけてくる結果となった。
許される事であるはずがない。それは元より理解している。
でも、ろくな罪にも問われずに加害者の方が何も変わらずに生活してるのを知る程に屈辱な事などない。
事件とは関係のない娘を巻き込むプランを考えてきた時点で、依頼を解消するのではなく、きちんと向き合うべきだった。
中途半端に関わり突き放した結果、元依頼人は一人で暴走し、その火が燃え移るかのように千里まで燃やし尽くしてしまった。
元依頼人だって、復讐をやり遂げた後に命を絶つ可能性は考慮していただろうが、始めからそう決めていたわけではないと名雪は考えた。
自分が復讐を決行した結果、あの憎い男の血を引いてはいるが事件とは全く無関係な子供に父親を殺させ、自身の命を絶つ事までさせてしまった。
それに対する元依頼人が考えついた最大限の謝罪が、同じ様に命を絶つ事だけだった。
遺書などの工作をしてから自分も命をなくせば、事件関係者は全て亡くなっており、真相の解明は困難だ。
血液反応が一方からはみられないのに対して、千里は大量の血液反応があり、元依頼人の遺書が真実かどうかの判断は難しい部分があったが、ナイフの指紋は最初に握っていたのは元依頼人とみられ、元依頼人が握ったナイフを千里が握ったとする結果もあり、遺書は概ね事実を書き記したものとして扱われた。
しかし救護に携わっただけでは説明のつかない血液反応から父親の殺害容疑も払拭出来ない事から、千里の事は娘は後追い自殺したと見られる。
といった程度の報道であり、名前や顔写真等が報道される事もなかった。
世論も、性的犯罪への厳罰化を望む声が多く聞こえた。
真実が明るみに出る事よりもこうする事が、同じく未成年の千里の友達の心に少しでも心の傷が少ない結果である事を祈るばかりだ。




