第5話「入れ替わり」
撮影日時:2024年3月24日
位置情報:東京都××区
眠れなかった。
ベッドに横になっても、まぶたの裏に写真が浮かぶ。
笑顔の影。僕の顔をした何か。
午前三時を過ぎて、僕は決断した。
全部消そう。
写真を、全て削除すれば——影も消えるはずだ。
スマホを手に取る。ギャラリーを開く。
表示される写真の数、二千三百四十七枚。
高校入学から今日まで、撮り溜めてきた全ての記憶。
操作する指が震える。
でも——もう、これしか方法がない。
最初の一枚を長押しする。削除ボタン。
確認画面が出る。
『本当に削除しますか?』
タップする。
写真が消えた。
次は去年の夏祭りの写真。田島と山下と——。
あれ?誰だっけ、もう一人。
確か四人で行ったはずなのに…
もう一人、名前が、思い出せない。
まあ気のせいだ。疲れているんだ。
次の写真を削除する。また次を削除する。
十枚、二十枚、五十枚——。
削除を続けるうち、奇妙なことに気づいた。
今までの記憶が、曖昧になっている。
削除した写真の内容が、思い出せなくなっている。
誰と、どこで、何をしたのか——。
写真が消えると同時に、記憶も霧のように薄れていく。
でも止められない。
影を消すには、これしかないんだ。
削除、削除、削除——。
撮影日時:2024年3月24日 04:22
位置情報:東京都××区
千枚目を削除した時、スマホが震えた。
画面を見ると通知は来ていなかった。
何だろうと考えていると、画面全体が震えだした。
画面に文字が浮かび上がる。
『やめてください』
消す。無視する。
削除を続ける。
また画面に文字。
『それを消すと、あなたも消えます』
この文の意味が分からない。
写真を消しているだけだ。僕が消えるわけがない。
気にせず削除を続ける。
千五百枚ほど消した頃だろうか。
突然、体が軽くなった。
いや、違う——薄くなった?
ふと自分の手を見る。
確かにそこにある。
でも、何か——存在感が希薄になった気がする。
机の上にあった手鏡を見る。
変わらず、僕が映っている。
でも、輪郭が少しぼやけているような…
気のせいだ。きっと照明のせいだろう。
削除を続ける。
撮影日時:2024年3月24日 05:03
位置情報:東京都××区 自宅
二千枚目。
部屋が、明るくなってきた。
夜明けが近い。
あと三百枚くらい。
これを全部消せば、終わる。
あの影も、この恐怖も、全部——。
ふと手元を見ると、手が透けている。
いや、そんなはずはない。
スマホの画面に映る自分の手が、うっすらと透明になっている。
背景の壁紙が、透けて見える。
これはただの幻覚だ。
ずっと写真を削除していたから、疲労で、おかしくなっているだけだろう。
また削除を続ける。
二千百枚。
体が浮く感覚。
重力が、薄れている。
存在が、軽くなっている。
二千二百枚。
鏡の中の自分が、見えなくなってきた。
そこにあるだろう輪郭だけが、かろうじて残っている。
二千三百枚。
僕は——誰だっけ?
僕の名前は——。
いま——そうご。
今田総悟。
それが僕の名前。
忘れちゃいけない。
忘れたら——。
最後の写真。
指が震える。
これを消せば、終わる。
でも——。
写真を開く。
代々木公園で撮った、最初の集合写真だ。
僕と——誰だっけ?
写っているのは三人の友達。
名前が思い出せない。
でも、なんとなく楽しかった記憶がある。
みんなで笑った。
僕はたしか写真を撮る側で——。
あれ?
この写真、僕も写ってる。
じゃあこの写真、誰が撮ったんだ?
写真の中の僕を見つめる。
笑顔の僕。
これ、本当に僕か?
何かが違う。
顔は確かに僕だけど、表情が——。
まるで別人みたいに、楽しそうに笑っている。
僕は、こんな風に笑えていただろうか?
削除ボタンに指を置く。
その瞬間、スマホの画面が真っ黒になった。
なぜか強制的にカメラアプリが起動する。
インカメラが、僕を映す。
でも——。
画面映るのは僕の後ろの部屋の風景だけ。
僕だけが——。
その時、シャッター音が鳴った。
勝手に撮影が始まった。
保存された写真を確認する。
部屋の風景。
ベッド、机、本棚——。
誰もいない部屋。僕だけがいない。
もう一度、シャッター音。
また撮影される。
カシャ、カシャ、カシャ——。
連続撮影。
十枚、二十枚、三十枚——。
全ての写真に、僕が映っていない。
そこに存在しない。記録されない。
僕は——。
その時、スマホが手から滑り落ちる。
でも音がしない。
床に落ちたはずなのに、音がしない。
見ると、スマホが床を通り抜けて——。
いや、僕の手が、スマホをすり抜けた?
自分の手を見る。
完全に透明になっている。
輪郭すら、もう見えない。
鏡を見る。
そこには——誰もいない。
空っぽの部屋が映っているだけ。
僕は、もう——。
撮影日時:不明
位置情報:不明
気がつくと、真っ暗な場所にいた。
上下の感覚がない。音もない。
自分の体も見えない。ただ、意識だけがある。
ここは——どこだ?
遠くに、光が見える。
四角い光。
スマホの画面だろうか?
いや、違う——写真だ。
額縁に入った、一枚の写真。
近づこうとする。
でも、体がない。どうやって動けばいいのか分からない。
それでも、意識を集中すると、光に近づいていく。
写真が見えてくる。
代々木公園の集合写真。
四人が並んで、笑顔で——。
四人?
田島、山下、それから——。もう一人、誰だっけ?
ああ、思い出した。
春樹だ。
中村春樹。
僕の親友だった。
でも、もう一人いるはずだ。
写真を撮った人が——。
いや、違う。
この写真、僕も写ってる。
四人の中に、僕が——。
でも、それは僕じゃない。
僕の顔をしているけど、違う。
あれは——影だ。
影が、僕になりすましている。
僕の場所を、奪っている。
写真の中の偽物が、こちらを見た。
満面の笑みで、手を振っている。
『——ありがとう——』
声が聞こえた。
『——あなたの場所、もらいました——』
写真が遠ざかっていく。
いや、僕が落ちているようだ。
暗闇の奥へ。
光が小さくなる。
消えていく。
僕の存在が、記録から——記憶から——現実から——。
全て、消えていく。
撮影日時:2024年3月25日 12:34
位置情報:東京都××区 △公園
「やっぱり、四人の方がいいよな」
田島が笑いながら言った。
「そうだな。三人だと、なんか寂しい」
山下が頷く。
「でも、誰か忘れてない? 昨日まで、もう一人——」
「気のせいだろ。俺たち、ずっと三人だったじゃん」
「そう、だっけ?」
山下が首を傾げる。
でも、すぐに笑顔になる。
「まあいいや。集合写真、撮ろうぜ」
三人が並ぶ。
通りすがりの人にシャッターを頼む。
「はい、チーズ!」
カシャ、と音がする。
「いい写真ですね。あれ、四人で撮ったんですか?」
「え?」
画面を確認する。
田島、山下——それから、見知らぬ人物が一人。
いや、見知らぬ?
顔に見覚えがある。
ずっと一緒にいた気がする。
名前は——。
「この人、誰だっけ?」
田島が写真の人物を指差す。
「さあ? でも、いい笑顔だな」
山下が笑う。
写真の中の人物——僕の顔をした影は、満面の笑みで写っている。
三人の記憶に、違和感なく溶け込んでいる。
最初から、そこにいたかのように。
「なんか、この人がいると安心する」
「分かる。大事な友達って感じ」
「名前、何だっけ?」
三人は顔を見合わせる。
誰も答えられない。
「まあ、帰ろうか」
「ああ」
三人は公園を後にする。
誰も振り返らない。
ベンチの影に、透明な何かが立っていることに、気づかない。
輪郭すらない、存在しない何かが——。
かつて、今田総悟と呼ばれていた何かが——。
じっと、三人の背中を見送っている。
声も出せない。
触れることもできない。
ただ、見ていることしか——。
撮影日時:2024年3月25日 18:45
位置情報:東京都××区 某所
夕暮れ時。
古本屋の店先に、一台のフィルムカメラが置かれている。
値札には『ジャンク品・500円』。
誰が持ち込んだのか、店主も覚えていない。
一人の高校生が、カメラを手に取る。
「おっ、いい感じのカメラ。これください」
店主は首を傾げる。
「それ、売り物だったかな?」
「値札、ついてますよ」
「そうか。じゃあ、五百円で」
高校生はカメラを持ち帰る。
家に帰って、早速試し撮り。
自撮りをする。
フィルムを現像に出し、一週間後——。
受け取った写真を見て、高校生は首を傾げる。
「なんだこれ? 誰か写ってる」
自分の後ろ、ぼんやりと——。
黒い人影。
でも、気のせいかもしれない。
古いカメラに見えるし、ピントがずれただけだろう。
高校生は写真をSNSにアップする。
すぐに、友達からコメントが来る。
『後ろの人、誰?』
後ろ?
高校生は写真を拡大する。
人影が——少し、近づいている。
さっき見た時より、確実に——。
その夜、高校生のスマホに、見知らぬ番号から着信がある。
出ると——。
誰も話さない。ただ、遠くから——。
カシャ、カシャ、カシャ——。
シャッター音だけが、聞こえ続ける。
東京都××区在住、今田総悟(18)。
高校三年生。写真愛好家。
2024年3月25日を最後に、行方不明。
友人、家族、学校関係者——誰も、彼のことを覚えていない。
「そんな生徒、いたかな?」
「名簿にも、記録が残ってないんです」
「でも、この教室の写真——隅に誰か写ってますよね」
「ああ、これ? 影とかじゃないですか」
警察の捜索願も、受理されなかった。
存在を証明する記録が、どこにもなかったのだ。
写真は残っている。
でも、そこに写っているのは——影だけ。
名前も、顔も、記憶も——。
全てが、写真の中に閉じ込められた。
そして今も、どこかの写真の中で——。
今田総悟は、レンズの向こう側から、こちらを、見つめている。
誰にも気づかれず。誰にも記憶されず。
ただ、写真の隅に、ぼんやりと、黒い人影として——
存在し続けている。
それから数ヶ月後。
田島と山下は、卒業アルバムを見返していた。
「なあ、このクラス写真——人数、おかしくないか?」
「どういうこと?」
「確かこのクラス、四十人なのに、写真は四十一人写ってるんだ」
二人は写真を凝視する。
最後列の端、少しピントがずれた場所に——。
一人、誰だか分からない人物が写っている。
顔は不鮮明で、誰なのか判別できない。
でも——どこか懐かしい。
大切な、何かを忘れている気がする。
「誰だろうな、これ」
「さあ……でも、いい顔してるよな」
写真の人物は、カメラを見つめている。
満面の笑みで。
いや、よく見ると…
笑っているのか、泣いているのか、分からない表情で——。
ただじっと、こちらを、見つめている。
二人は、なぜか胸が締め付けられる思いがした。
大切な友達を、失った気がする。
でも——それが誰なのか、思い出せない。
アルバムを閉じる。
部屋の隅に置かれたスマホが、勝手に点灯した。
画面には、一枚の写真。
代々木公園で撮った、集合写真。
四人が並んで、笑っている。
でも——三人の表情は、どこか寂しげで。
一人だけ、満面の笑みで写っている人物の顔が…
じっと、画面の外を、
こちらを、
見つめていた。
【完】
あなたのスマホの写真フォルダを、今夜見返してみてください。
背景の隅に、見覚えのない人影が写っていませんか?
写真を撮るたび、少しずつ近づいていませんか?
そして、その人影の顔が、あなたに似ていませんか?
カメラの向こう側には、何がいますか?




