プロローグ4
「Kが告白したらお嬢さんはどうすると思う?」
弁当を食べ終わって『こころ』を読んでいた健司の頭上から陽菜の声がした。見ると陽菜は健司の持つ文庫本を覗き込んでいる。屋上から戻ってきたのだろう。取り巻き達は解散したようで陽菜ひとりだ。開かれているのは、お嬢さんがKの部屋で話し込んでいるところへ先生が帰ってくる場面のページだ。
「有栖さんて夏目漱石なんか読むの?」
健司は質問に答えるかわりに訊き返した。
「なに言ってんの。おじいちゃんが夏目漱石の研究者で、あたしもたくさん読んだって話したことあるでしょ」
随分まえにそんなこと聞いた気がしなくもない。
「おじいちゃんてイギリスだかアイルランドだかの?」
「ニュージーランド! 本当にあたしのことなんて興味ないんだね……」陽菜はふくれっ面をしてみせた。
「あ、いや、そんなことはない……ええと、まだ途中までしか読んでないから何とも言えないけど、お嬢さんとKはそういうのとは違うんじゃないかな」
「なんで? お嬢さんとKってすぐに親しくなった感じがしない?」
「なんとも思ってない相手のほうが気安く話せるとか? というか、なんだかこの展開、唐突な感じがするんだよね。いわゆるミスディレクションてやつだと思う」
ミスディレクションとは、推理小説などでわざと怪しい奴を登場させたりして、読者を誤らせることだ。
「ひねくれた読み方だね」陽菜は眉間にしわを寄せた。
「お陰様で」
「まあでも、三浦がまともに答えてくれるなんて珍しいね。話しかけても無視するから、あたしのこと嫌ってるのかと思ってたけど」陽菜は自分の席に戻りながら言った。
入学してすぐの頃は彼女からよく話しかけられた。しかし健司は、自分とまったく性格の違うこの美しいクラスメイトにどう接すればよいのか分からなかった。共通の話題などあるはずもない。かといって陽菜の話に適当に付き合うような器用な真似は、健司に出来るものでない。仕方ないので話しかけられても気のない素振りをしていたら、そのうち話しかけられることはなくなった。陽菜は自分が嫌われていると思っていたのだ。自分が嫌われたりするはずがないなどと自惚れるほど馬鹿ではないらしい。
「ああ、自分の知らないこと話したり、適当に話しを合わせたりするの苦手なんだ。有栖さんのこと嫌ってるわけじゃない」健司は文庫本を閉じて答えた。
「ミスディレクションだね」そう言って陽菜は笑った。
そのときダサい服装の数学教師が教室に入ってきて、午後の授業開始のチャイムが鳴った。