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王子、壁を壊す

「例の件、どの子にするか」

「さようですか。いやはや、早く決めていただくに越したことはありません。今でしたら特別な女の子を──」

「ええ、あちらの女の子をお願いできますか」


 フィレンツェ男爵がさ指したのは、一枚の絵画。


「あちら……ですか?」

「ええ、あちらです」


 にこにこと、ふくよかに微笑むその姿にアニョロは困惑を隠せない。フィレンツェ男爵が指しているのはどこからどう見ても絵画であり、少女の姿など──。


「ああ、あの絵ですか。あの絵の少女。気に入っていただけているんでしたね。知人にも伝えておかないと。ですが、あれは特別な贈り物として譲り受けたものでして、お渡しするには……あ、別の絵でしたら」

「あちらです」


 微笑を一切崩すことなく、フィレンツェ男爵は穏やかにアニョロに視線を戻す。


「僕が欲しいのは──」

「ルイス様!」


 その瞬間、砕け散る壁と、隙間から見えていた応接間が一気に広がった。

 何が起きたのか。ただ分かるのは、目の前にフィレンツェ男爵がいるということ。


「見つけた、僕の宝石」


 そう言って、ルイスはソフィアの手を取り自身へと引き寄せる。

 木屑が空中を飛び交い、それらが陽光で光り輝く。そして微かに感じる魔力の温もり。


「フィ……フィレンツェ男爵?」


 ソフィアが呼びかけると、フィレンツェ男爵と名乗った男は、ああ、と気付いたような反応を見せた。それから、ぱちんと指を鳴らすと、瞬く間に黒髪が銀髪へと移り変わり、顔を覆っていた髭が消え、分かりやすく身長がぐんと伸びる。四十台から二十代前半とおぼしき若い男性が突然目の前に現れたことに、ソフィアはおどろいた。


「あれは仮の名なんだ」

「仮の名……?」

「ほんとうは、ルイス。そうだな……まあ今はルイスと覚えてもらえれば問題ないかな」

「ル、ルイスってまさか……」


 その名に慄き思わず腰を抜かしそうになったアニョロは目を剥き出しに、ソフィア以上におどろいていた。

 白銀のルイス。その名を知らないものはこの王都ではありえないと言われているほど有名であり、貴族でない限り対等に話せる存在でもない。

 なぜならルイスはこの王都の第二王子であり、ゆくゆくは王の座につくのではないかと噂されていた男だからだ。その男がなぜ、こんな辺鄙な場所に? 


「ルイス様、アニョロ様が壁を壊されたことで憤慨されております」


 マージが見当違いな判断を下すと、ルイスはたった今知ったかのような顔で「わお」と白々しい反応を見せた。


「本当だ、いつの間に壁が壊れていたんだ?」

「正真正銘ルイス様の仕業です」

「そうか、これは失敬。なにぶん僕は底辺魔術師なもので、力のコントロールができないみたいなんだ」


 なにを言ってるんだ、とマージの呆れは早速今日分のメーターを超えてしまった。

 魔術に関してはこの男の右に出る者はいないとまで言わせておきながら、底辺を自称するのだから趣味が悪い。最強エリートの名を欲しいままにして、それでも貪欲なルイスの背中をマージは長年見守ってきたのだ。


「あ、あの……変身されて……私、疲れているようで」

「おや、魔術を見るのは初めてかい?」

「魔術……」


 これが、噂に聞く魔術。

 ソフィアはこれまで魔術を使える者のそばにいたことがない環境にいたため、ルイスが指を鳴らして簡単に変身をしてしまったことは信じられなかった。

 魔力の温もりだけは何度か感じていたこともあったけれど、それでもみな、何かを唱えていた。にも関わらずルイスは今、なにか唱えただろうか。口元は動いていただろうか。ソフィアの目にはただただ指を鳴らす動作しか見えなかった。


「サプライズをするならもっと感動するものをしてあげたかったんだけど、それより先にこっちが気になるな」

「え……?」


 ルイスの視線は、一瞬ソフィアの右足へと流れた。そうして、ただ見つめるだけで、痛みがすうっと消えていく。


「どうだろう、歩きやすくなったかな」

「……まさか、これも魔術ですか?」

「そんなところさ」


 それを傍から見ていたマージからすれば、第二王子ともあろう男が、庶民に、しかも奴隷に癒しの魔術を使うことが禁止されていることを、どう誤魔化すか頭を悩ませていた。いっそチャップマンの息の根を止めてしまえば話は早いがそうもいかない。

 一方のソフィアは握られた手をルイスから抜こうとするが、頑なにほどかれることはない。


「もしかして壁が壊れたのが気がかりかな? それなら大丈夫。こんなの簡単に戻せるさ」


 たしかに掃除が大変だとか、旦那様のご機嫌取りが大変だとか、そういった類の悩みは一瞬駆け抜けていったが、しかしそうではない。ソフィアの頭の中は壁どころではない。


「なあマージ、言っただろう? 僕の宝石がここにいるって」

「ええ、あなたの慧眼には恐れ入ります。ただですね」


 マージと呼ばれた女性が、面倒くさそうにアニョロを見やる。


「こちらの問題が解決できていません」


 その場にいる全員が、一斉にアニョロへと視線を移す。そこには未だ目の前に王子がいるということが信じられない男の顔をした、恐怖を抱いた姿がそこにはあった。

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