別れ
「スティーブ、どうしてここに……⁉」
「クロードさんが連絡をくれたんだ。君が現れたら連絡してほしいってお願いしていたからね」
「ど、どうして……はっ、それより私、あなたに謝らないと……」
「いや、いいんだ」
疲れきった表情だが、前に来た時と違いスティーブはきちんとスーツを着て髪も綺麗に整えている。
「実はね。職場で異動の辞令がでてね。本国、つまりオールブライト王国に帰国することになった。君はこの国を離れるのは嫌だと言っていただろう? だからお別れしてちょうど良かったんだと思う」
「え……? でも、前は私のためにこの国に永住してもいいって……。辞令がおりても転職できるからって……そう言ってくれたじゃない?」
呆然と呟くアネットにスティーブは軽く苦笑した。
「それは君のことが本当に好きだったから。別れ話をされた後でも同じだと思われたら困るな。君だって振った男が近くにいたら不愉快だろう?」
「そ、それは……あの、本当に申し訳ないと思っているの。私、人に影響されやすくて……」
「なによ⁉ あんたは昔から人のせいにばかりして!」
あまりのことに無言で成り行きを見ていたブリジットが大声で叫んだ。
「誰だい?」
「あ、彼女はブリジットといって、私の幼馴染で…親友なの。彼女の影響で私、ちゃんとした判断ができなくなっちゃって……」
アネットは目に涙を滲ませながら必死にスティーブに弁明しようとする。しかし、スティーブはすっかり冷めてしまったようだ。
「でも、別れるって決めたのは君自身の判断だ。人のせいにしちゃいけないよ」
ぐっと言葉に詰まったアネットの瞳から涙があふれた。
「もう……私たち、お終いなの?」
「変だな。お終いにしようと言い出したのは君なのに」
「ごめんなさい! どうしても、やり直しはできないの⁉ 本当にもう駄目なの?」
「ごめん。もう僕は疲れてしまって。異動の辞令も受けた。僕はこの国を離れるよ。その前に君からもらったり、預かったりした物を返したかったんだ」
スティーブは手に持っていた紙袋をアネットに手渡した。
アネットは嗚咽しながらそれを受け取るが、スティーブは慰めの言葉をかけることもなくそのまま部屋から出ていった。
***
「ま、思っていたよりもいい男だったけどもう忘れなよ! 次いこう! 次! もっといい男見つかるって!」
ブリジットが明るい声でバンッとアネットの背中を叩くと、号泣していた彼女がブリジットにつかみかかった。
「なに笑ってるのよ⁉」
「はぁっ⁉ あたしは励ましてやろうとしているんじゃないの? 自分で別れ話をしておいて今さら後悔したって遅いんじゃない?」
「わ、わたしが莫迦だったわ! なんて愚かなことを……うっうっうっ」
アネットはスティーブから受け取った紙袋を抱きしめると大声で泣き続けた。
「……お嬢さま、大丈夫ですか?」
個室に入ってきたクロードは心配そうにフェリシーに声をかける。
「とりあえず後片付けは俺がやりますから、お嬢さまは厨房に戻ってください」
「ありがとう」
フェリシーは重い心のまま部屋を出ていった。
*****
数週間後、営業時間が終わった店にアネットが一人で訪ねてきた。
「本当に申し訳ありませんでした!」
フェリシーとクロードに向かって深く頭を下げるアネット。
「いえ、お気になさらず」
「ブリジットが失礼なことばかり言って、大変なご迷惑をおかけしました。もう二度と連れてくることはありませんので……」
「あれからどうなりました?」
クロードが心配そうに尋ねた。
「はい。ブリジットとは完全に縁を切りました」
「「えっ⁉」」
「幼馴染で親同士も仲が良くて親友だと思っていましたが、向こうはそうではなかったようです。彼女は私以外に友達がいないのでいろいろと騒ぎ立てているようですが……」
「あの方は性根がよろしくないですから仕方がありませんね。自業自得です」
フェリシーの言い方にアネットは苦笑いした。
「これまでも人間関係で問題を起こしてばかりでした。私だけは友達でいないと、と思っていましたが莫迦でしたね。そのせいで本当に大切な人を失ってしまいました」
しんみりとした口調でアネットの瞳が潤んだ。
「私はオールブライト王国に行くつもりです」
「まぁ」
「なんとかスティーブを捜してもう一度友人からやり直してもらえないか、お願いしようと思っています。もちろん、許してもらえないかもしれませんが……。それくらい酷いことをしたと分かっています。……後悔ばかりです。私は本当に愚かでした」
「捜すといっても広い国です。時間がかかると思いますよ」
「はい。本腰を入れて探すために正式に移住する予定です。渉外弁護士を雇っている法律事務所を片っ端から当たっていくつもりです」
「言葉も違うのに大丈夫ですか?」
「オールブライト語はスティーブと付き合いはじめてからずっと勉強してきました。職場も退職して正式に移住する査証や書類は集めましたし、就職活動もしています。」
「そこまでして失恋したらどうします?」
「するかもしれませんね」
アネットは微かに笑った。でも、苦い笑みではない。
「失恋しても数年はオールブライト王国で頑張るつもりです。私は世間知らずで甘やかされていました。失恋したとしても良い経験になると思います」
「自分で決めたのですね?」
「はい。私の人生です。他人に口を挟ませるなんて莫迦ですよね。もっと早く分かっていたら……。でも、後悔しても仕方がないので。失恋を覚悟してもう一度告白します。それにオールブライト王国に引っ越したほうがブリジットと完全に縁が切れるし」
「家族や友達がいるこの国から離れたくないと言っていたのに?」
「家族や友人は大事です。でも今、一番失いたくないのはスティーブだと分かったので」
アネットの凛とした顔つきには固い決意がにじみでている。その風貌がとても潔く見えた。
「クロード、お願い」
「かしこまりました。お嬢さま」
クロードが立ち上がって会計用のデスクから一枚の紙を持ってきた。
「これがオールブライト王国でのスティーブさんの連絡先です。もし、アネットさんが連絡を取りたいなら渡してほしいと言われました」
「えっ⁉」
アネットが両手で口を押さえると、手が震えているのが分かる。両目の目尻から透明な涙が一筋こぼれた。
「いいの……ですか?」
フェリシーの表情筋は相変わらずぴくりともしないが口調は柔らかい。
「スティーブさんとちゃんと話し合ってください」
「はい! 本当にありがとうございました!」
爽やかな笑顔を残してアネットは旅立った。
*****
数か月後、結婚しましたという報告と共にスティーブとアネットの幸せそうな結婚式の写真が送られてきた。
ウェディングドレス姿のアネットにフェリシーが悶えまくったことは言うまでもない。
余談だが、ブリジットは『縁』に嫌がらせするために入り口に汚物をまこうとして警備の騎士に取り押さえられ、現行犯で警察に逮捕されたという。