迷惑客
「何があったんですか?」
クロードが心配そうな顔でチャイティーをテーブルに置いた。ちなみに閉店後の店である。
「す、すみません。閉店後にこんなふうに押しかけてしまい……」
「いえいえ。スティーブさんはお得意さまですから。それで何があったんですか? あんなに幸せそうだったのに……」
スティーブの向かいの椅子に腰かけるとクロードも自分のために用意したチャイティーに口をつける。
それを見てスティーブも湯気の立ち昇るカップからチャイティーをすすった。
「美味しいですね。どこかほっとする味だ」
「茶葉をミルクで煮てシナモンやカルダモンといったスパイスを加えた後に濾すんです。お好みで砂糖を入れてもいいですよ」
「いや、このままでいい。とても味わい深い。初めて飲みました」
スティーブがほっと息を吐く。
「気持ちが落ち着きました。ありがとうございます。……僕にもよく分からないのです。うまくいっていると思っていたのにアネットから突然やっぱり結婚はできないと……。もう別れようと言われて僕自身も混乱しています。彼女の両親に挨拶に行く話もしていたのに……」
クロードが顎に指を当てて考えこんだ。
「アネットさんは最近当店には来られていないですね」
「知っています。僕がいるから避けているのかもしれません」
「ではスティーブさんはしばらく出張でこの店には来ないと共通のお友達を通じてアネットさんに伝えることはできますか?」
怪訝な顔つきのスティーブにクロードが笑いかけた。
「アネットさんも当店の会員になっていただいています。会員の皆様には季節のメニューなど郵送していますが、今度秋の味覚メニューをご案内する予定なんです。そこに割引券を入れておきます。そうしたら当店にまたいらっしゃるかもしれません。その時に私どもが話を聞いてみましょうか?」
「ありがとうございます! 是非! よろしくお願いします」
拝まんばかりのスティーブの肩に安心させるように手を置くクロード。
「あんなに幸せそうでお似合いの二人だったんですから。できるかぎりの協力をしますよ」
*****
「理解できないわ」
クロードから報告を聞き、フェリシーは珍しく片方の眉を上げた。
「喧嘩したわけでもない。両親に挨拶する話まで出ていたのに……。突然心変わりしてしまったということかしら?」
「そのようですね」
「彼女が店に来てくれるのを祈るばかりだわ」
そして、その日は案外すぐにやってきた。
アネットが女友達らしき女性と二人で現れたのである。アネットは少しオドオドした様子だが、同伴の女性は興味深げにきょろきょろと周囲を見回している。そしてお見合い掲示板を見つけるとすぐに立ち上がって駆け寄った。
クロードはアネットが一人座っているテーブルに近づいた。
「アネットさん、お久しぶりです。お元気ですか?」
「あ、はい。すみません。忙しくて……。あの、スティーブはまだこの店に来ていますか?」
「最近は出張とかでお顔は見ていませんね」
「そうですか。あの……」
ホッとしたように息を吐くアネットが何か言いかけたところで「アネット~! 何話してるの?」と連れの客が戻ってきた。
「あ、ううん。なんでもないわ」
「うわっ、すごいイイ男! やだ、こんなカッコいい人がいるなんて言ってなかったじゃん! 初めまして、私ブリジットといいます! 素敵なお兄さん、黒髪に赤い目なんて超レア! 背も高いしモデルになれそう! 既婚者? 彼女います?」
怒涛の猛攻にさすがのクロードもたじたじだ。
「あの、ご注文がお決まりになりましたらまた来ます」
脱兎のごとく逃げ出した。
***
「やだナニコレ~! 美味しい~!」
食事を配膳した後、クロードは極力彼女たちのテーブルには近づかないようにした。
「カッコイイお兄さん、名前は? 何歳? どこに住んでるの?」
ブリジットからの質問攻めを避けるためである。
「ブリジット……。ねぇ、迷惑だからやめた方が……」
小さな声でアネットが抗議したがブリジットは聞く耳を持たない。
「だって私は客なんだし、別に悪いこと聞いているわけじゃないわ。それに答えたくなかったら答えなきゃいいだけの話じゃない?」
自信満々のブリジットにアネットは口をつぐんだ。
「でもさぁ、美味しいんだけど、ちょっと量が少ないわよね?」
ブリジットが注文したのはローストビーフ定食だ。絶妙な火加減で調理された赤みのあるローストビーフにとろっと熱いグレービーソースがかかっている。
ご飯ではなく表面カリカリで中身はふわっとしたガーリックブレッドとセットになっている。ガーリックとバターの匂いが堪らないし、余ったソースをパンにつけて食べても美味しい。
「ブリジット、失礼よ。私も同じのを食べているけど十分お腹いっぱいになるわ。このあとデザートだってくるのに」
「なによ! けちけちしないでもっと山盛りにしてほしいわ! ローストビーフのおかわりはできないの?」
「だって、食事代がこんなにお手頃で山盛りのローストビーフなんて無理に決まってるじゃない」
小さい声でアネットが囁くがブリジットは聞こうとしない。
「カッコいい店員さーん!」
ブリジットが手を振っているので仕方なくクロードがテーブルに近づいた。
「あの、ローストビーフをもっと食べたいんですけど、おかわりってないですか?」
「追加料金を支払っていただければご提供できますよ?」
きっぱり笑顔でクロードが言う。ブリジットの表情が強張った。
「なにそれ? 追加料金ってケチね! こんな店来なきゃ良かったわ。あ、でも割引券があるのよね? それでローストビーフのおかわりをお願いします!」
「割引券はお食事の値段を割り引きする券で、おかわりの追加料金にはなりません」
「そうよ。ブリジット、止めて。それに割引券は私に送ってもらったんだから……」
「なによ! アネット、偉そうに! わざわざついてきてやってるのにその言い方⁉」
「だ、だって、ブリジットが勝手に私宛の郵便を開けて割引券を見つけたんじゃない! どうしても行ってみたいっていうから……」
クロードは不安になった。言い争いになると他の客に迷惑がかかる。現に近くのテーブルの客たちが話を止めてこちらを見ているのに気がついた。
「あの、今個室が空いていますので良かったらデザートはそちらで召し上がりませんか? ゆっくりとお話しできるでしょうし……」
「あら?」
個室と聞いてブリジットの機嫌は多少良くなったようだ。
「個室って特別な客しか使えないんでしょう? いいわ。そちらにうつらせてちょうだい」
「すみません……本当に。他の方にもご迷惑をおかけして……」
アネットは小さくなって、周囲にお辞儀を繰り返す。クロードは「まったく……」とため息をついた。