ハッピーエンド
『もうお嬢さまとは一緒にいられません。好きな人ができたんです』
『そう。それは仕方がないわね。どうかお幸せにね』
(ちゃんと普通の顔でいられているかしら?)
不安に思いながらクロードの顔を見上げると、幸せそうな笑顔が目に入った。
(彼が幸せなら私も嬉しい……はずなのに)
テレンスこと隆之の幸せは心の底から祝福できたのに、クロードが自分以外の女性の隣で幸福そうに笑う姿を想像しただけで喉に何かが詰まったように息が苦しくなる。きしむように胸がいたい。
『お嬢さまもお幸せに』
爽やかに手を振る姿に思わず縋りつきたくなる自分を叱咤した。
(駄目よ! クロードの幸せを邪魔したら……)
気がついたら頬が濡れるほど泣いている自分に気がつく。今さら自分の想いに気がつくなんて……。
いつもクロードは自分の隣にいてくれると思っていた。国王の言葉が身に沁みる。
『一緒にいすぎるとその価値がだんだん分からなくなっていくからな』
(私はなんて愚かだったのだろう……)
胸を掻きむしるようにして心の奥にある痛みを堪えようとしたときに目が覚めた。
***
「お嬢さま! 大丈夫ですか⁉ お嬢さま!」
必死の形相でフェリシーの肩を揺さぶっているのはクロードだった。紙のように真っ白な顔色で今にも泣きだしそうな表情の彼を見て『あれは夢だったの……?』とぼんやりした頭で考える。
「クロード? どうして?」
「申し訳ありません! 俺は臆病で逃げてしまったんです」
「逃げた……? どうして?」
「俺は嘘をつきました。本当に合わせる顔がない。申し訳ありませんでした」
彼の言っていることがよく分からない。でも、ひとつだけ分かることがある。
「クロード、会えて嬉しい。寂しかった……」
赤い瞳が潤んで光っている。ルビーみたいに綺麗だとフェリシーはその場にそぐわないことを考えた。
「お疲れでしょう? 一度屋敷に戻ってお休みになってください。マリーさん、エルネストさん、今日はありがとうございました。また後日改めてお礼を……」
「そんなの気になさらないで。早くフェリシーさんを休ませてあげてください」
「ありがとうございます」
まだ頭が働かないままフェリシーはクロードに横抱きにされて馬車に移動する。
(これって姫抱っこってやつじゃない?)
以前もこんなふうに運ばれたことがあるのに妙に照れくさく感じるのはどうしてだろう?
「クロード、私、一人で歩けるから」
「駄目です」
有無を言わさないクロードの凛々しい横顔を見ながら、フェリシーは泣きたいような不思議な気持ちになった。
***
テランスに会った衝撃は思っていたよりも大きかったらしい。その後フェリシーは高熱を発し、しばらく寝込むことになった。
クロードはさすがに寝室でしどけなく横たわっているフェリシーに近づこうとはしなかった。クロードに一体何が起こったのか分からないままである。
数週間後。ようやく回復したフェリシーはクロードと向かい合って『縁』の個室でお茶を飲んでいた。やはりここが一番落ち着く。ちなみにフェリシーの体調不良のため縁はずっと休業中である。
「無事に回復されて良かったです」
「ええ、ありがとう」
そのまま沈黙が続く。以前はどのように会話をしていたか思い出せないくらいぎこちない。
「あの、本当に申し訳ありませんでした」
「何を謝るの?」
「お嬢さまが大変な時に隣にいられなくて……しかも、俺は逃げたんです」
「前もそう言っていたわよね? 逃げたってどういうこと?」
クロードは肩を落として俯いた。どうしても子犬がしょげているように見えてしまう。
「俺は手紙で嘘をつきました……」
「嘘を? 気がつかなかったわ」
フェリシーは驚いて頬に手を当てた。
「前に兄上達についた父上の嘘がお嬢さまには分からなかったじゃないですか? 直接でないと嘘が分からないのかな、と……。だから手紙だったら嘘がバレないかもしれないと思ったんです。ごめんなさい……」
主人の咎めるような視線にクロードは再びしゅんとなる。
「それで? どんな嘘をついたの?」
クロードは観念したように顔を上げた。
「バリエ侯爵領で結構頼りにされていて忙しかったのは本当です。でも、帰りたかったら好きな時に帰っていいと言われていました」
「なるほど……。でも、たいした嘘じゃないわね。長く滞在した方が勉強になるだろうし」
「あとバリエ侯爵領で好きな人ができたというのも嘘です」
「え⁉」
フェリシーは純粋に驚いた。クロードがそんな訳の分からない嘘をついたことに。そして、それが嘘だったと知って驚くほど胸が軽くなった自分に。
「……どうして?」
「生まれ変わった旦那さんを見つけたら、きっとお嬢さまはその人と結ばれたいだろうと思って……。そんな時に俺がいたら邪魔になるんじゃないかと……。再会できて良かったですね。おめでとうございます……」
「はぁ!?」
またまた驚きである。どうしてそんな風に思ってしまったのか?と考えて、自分が前世の夫を見つけて何をしたいのか明確に答えを出せなかったせいだと思いいたる。
「ごめんなさい! 私がちゃんとクロードに伝えていなかったからね。前世の夫が生まれ変わっていないか捜していたのは、彼に謝りたかったからなの。結ばれたいなんて考えもしなかったわ」
クロードがぽかんと口を開けた。
「え⁉ そうなんですか?」
「そうよ! あとね、これは彼に会って分かったことなんだけど、彼が幸せでいてくれることを確認したかったの。彼は幼馴染と結婚して来年には赤ちゃんも生まれるんですって! とても幸せそうだったわ! それで私も吹っ切れたの。ちゃんと謝れたし、もう罪悪感に縛られて暮らすことないんだって。とても嬉しかった」
「彼が他の人と結婚していて……嬉しかったんですか?」
呆然とした顔つきで尋ねるクロードにフェリシーは華やかな笑顔を見せた。彼の顔が真っ赤に染まる。
「お嬢さま……が笑ってる!?」
「ええ! 笑うことが申し訳ないってもう思う必要はないのよ」
「可愛すぎる……。危険です。お嬢さまはこれまでのように無表情の冷徹な顔でいていただいたほうが……」
動揺したクロードは自分が何を言っているのかよく分かっていない。フェリシーはくすくすと笑いだした。
「じゃあ、あなたといる時だけ笑うことにするわ。クロード、私はあなたの隣にいたいの。ダメかしら?」
「くぅぅぅぅ」
クロードは頭を抱えて蹲った。肩が震えて嗚咽が聞こえる。フェリシーは心配になって彼の背中を擦りながら話し続けた。
「ごめんなさい。いきなりこんなこと言われても困るだけよね」
ガバッと頭を上げるとクロードはフェリシーの両手を握りしめた。彼の瞳は涙で光っている。
「困りません! 俺も、俺もお嬢さまの隣にいたいです! ずっと!」
「ホント? 私ね、結構独占欲が強いみたいなの。今まで気がつかなかったけど」
「ぜんっぜん問題ないです! 多分、いや絶対俺のほうが独占欲は強いので!」
あははと大きな口を開けてフェリシーが笑う。初めて見る表情ばかりでクロードは戸惑いながらも幸せそうにフェリシーを抱きしめた。
「もう、絶対に離さないんで。俺がこれまでどれだけ我慢してきたか思い知らせてあげますよ!」
フェリシーの顔も真っ赤になる。それでもクロードの背中に両手を回して抱きしめ返した。
「お嬢さま、どうか俺と結婚してください!」
「気が早いわ!」
「いいです。毎日プロポーズしますから」
「それは逆にイエスと言いづらくなるんだけど……」
「ホントっすか⁉ じゃあ、記念日にプロポーズのほうがいい?」
「記念日なんてあったかしら?」
「ありますよ! 初めてお嬢さまと出会った日。縁が開店した日。今日だって記念日です!」
「そんなに!? ごめんなさい、正直私は覚えてないのだけど……そうね。クロードにお任せするわ」
二人は幸せそうに微笑みあうと徐々に互いの顔を近づけていった。
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