小説
クロードが王都を離れてから六か月が経った。組織犯罪の後始末や領地経営の立て直しが大変でクロードは滞在を延長せざるを得なかったらしい。
(いつになったら帰ってくるのかしら?)
クロードのいない縁の運営にも慣れてきた頃だが、やはり彼の存在が懐かしい。最近はろく手紙も寄こさないのでバリエ侯爵領の居心地が良いのかもしれない。このまま帰ってこなかったらどうしようとフェリシーは少し不安になった。相変わらず表情筋はぴくりとも動かないが。
そんな中、縁に手紙が届いた。差出人はエルネストとマリー。縁で結ばれたカップルだ。エルネストは小説家で、マリーの母親が病気で倒れたのをきっかけに彼女の故郷ブーヴロンに一時的に滞在している。
マリーの母親の病気は快復したが、エルネストに大説教されたマリーの父と弟達は家事を自分達ですることを学び始めたそうだ。母がビシビシと家族をしごいている様子が面白おかしく描写されていて、さすが小説家だとフェリシーは感心した。
ブーヴロンで結婚式を挙げ、家族も落ち着いたのでもうじき王都に戻ってくるという。そしてエルネストの新作『異界の料理屋』が人気作となったことも書かれていた。フェリシーの作った料理を登場させてもらったのでお礼がしたいという。
「そんな気にすることないのに」
フェリシーが独り言ちると料理屋を手伝ってくれている使用人が「お嬢さま? お聞きしたいことが……」と声をかけてくる。
「はい、今行くわ」
いつものように料理屋を開店した。
***
エルネストとマリーが縁にやってきたのはその一週間後のことだった。
「お久しぶりです! フェリシーさん!」
マリーが大きな笑顔を向けた。エルネストも幸せそうだ。この二人が出会った頃はクロードがいたのだな、と思うと少し胸が切なくなる。
ちょうど店が休憩に入る時間だったので、二人を個室に案内し緑茶とみたらし団子を差し出すと二人の顔が輝いた。
「あー、嬉しい! フェリシーさんのお料理がずっと食べたかったです!」
「やっぱり美味いなぁ。ブーヴロンの食事も美味かったがこういう料理は絶対に食べられないからな」
「フェリシーさんのお料理は唯一無二ですものね!」
過分な誉め言葉にフェリシーは照れて頬を染める。もっとも表情筋は動かない。
「これが手紙にも書いた新作なんです」
エルネストが光沢のある表紙の本を差し出す。その重みを受け取ってフェリシーは感動した。表紙には縁に雰囲気の似た料理屋と黒髪に黒い瞳の女性が描かれている。
「さすがにフェリシーさんをそのまま描いていただくわけにはいかなかったので。でも、店の雰囲気は似せていただいたんですが、良かったでしょうか?」
「ええ。構いませんわ」
パラパラとページをめくると、緑茶、みたらし団子、肉じゃが、おにぎりなど前世日本の食べ物が次々に登場する。
「嬉しいです。あとでゆっくり読ませていただきますわ」
全然嬉しくなさそうな顔でフェリシーは言った。しかし、エルネストもマリーも気を悪くすることはない。フェリシーのことを知っているからだ。
「ところでクロードさんは?」
「彼は今別の領地で働いています。修業……というか」
「ああ、そうですか。そうか……。クロードさんもいてくださった方がいいかなと思ったんですが……」
「何かありましたか?」
「いえ、実はね。フェリシーさんにどうしても会いたいという読者がいましてね」
「読者? 私に? どうして?」
多くの疑問符が頭に浮かぶ。
「この新作の本を読んで知っている料理ばかりだと。もしかしたら知っている人がモデルになっているかもしれない。その人のことをどうしても知りたいって出版社に連絡があったんです」
「まぁ」
「もしかしてモデルになった人は『ゆかり』っていう名前じゃないかって?」
「えっ!?」
フェリシーの顔が青ざめた。
「やはり心当たりがおありですか? 店の名前ですが偶然にしてはありえない」
「その方はどんな人ですか?」
「テランスという若い男性です。十九歳と言っていました。グレゴワール伯爵領の出身で……」
突如肩が震えだしたフェリシーを見て、エルネストとマリーは心配そうに顔を見合わせた。
「今度クロードさんにも同席していただいて、その方と面会したらどうでしょうか?」
「クロードに? ……そうね。手紙を書いてみるわ。ごめんなさい。私も少し混乱していて」
「それでは。今日はご挨拶だけなので。今度ゆっくりお食事させていただきに参ります」
そういってエルネストとマリーは去っていった。
フェリシーは迷ったものの正直にクロードへの手紙に事情をしたためた。エルネストの小説を読んで出版社に連絡してきたのは前世の夫ではないかと思う。
年齢的にも合う。グレゴワール伯爵領は精霊の国に近い。前世日本人の記憶がなければ小説の料理を知っているはずがない。そして自分の前世の名前である『ゆかり』を知っているのであれば前世の夫だった隆之の可能性が高いだろう。
(もし隆之だったとして……。私は彼に会って何をしたいのだろう?)
まだ答えは出ない。でも、リックの想いが『かのん』という前世の娘の名前に表れていたように、魂に紛れた文字が前世での心残りを表しているのなら、自分の望みが何なのか分かる気がした。
クロードからは比較的すぐに手紙の返事が戻ってきた。封筒を開き手紙を読み始めてフェリシーは眩暈がして体をよろめかせた。
『お嬢さま、前世のご主人様が見つかったかもしれないこと、心からお喜び申し上げます。お嬢さまの幸せが私の何よりの望みであります。ただ、現在はバリエ侯爵領で任されている仕事が多いうえ、こちらで恋仲になった女性がおり、簡単に王都に戻れる状況ではございません。大変申し訳ありませんがご主人様との対面に同席は叶わないかと思います』
バリエ侯爵領でクロードは充実した生活を送っているようだ。仕事だけでなく恋人までできていたのなら王都に帰ってこなくて当然だ。
(私が今まで彼に甘えすぎていたのよね)
フェリシーは一人で立ち向かう決意を固めた。