相席
縁結びの料理屋『縁』には個室を除くと二人掛けのテーブルが五つ置いてある。
一度に入れる客は最大十名。店の入り口で待っている人がいると落ち着いて食べられないから、と一度テーブルが埋まったら新規客が並ぶことを禁止している。
どうしても待ちたいという人たちには順番を書いた整理券を配り、店内から見えない裏庭に椅子を置いてそこで待ってもらっていた。ただ、昼食の開店前だけは店の前に並ぶことが許されている。
ある日、準備中の札がかけられた扉の前には九名の人間が並んでいた。
「あら……もう遅かったかしら?」
一人の女性が行列を見て表情を曇らせた。普通に考えたら五つのテーブルは全て埋まってしまう計算だ。
「仕方ないわね。また別の日に……」
小さな声で呟きながら踵を返そうとした時に「ねぇ、お嬢さん」という若い男性の声が聞こえた。
茶色い髪を綺麗に整えて知的な眼鏡がよく似合うスーツ姿の男性だ。彼は行列に並んでいる。
「僕は一人なんだ。もし、相席で良かったら一緒に昼食をどうだろうか?」
同じ列で待っていた別の男性がひゅうっと口笛を吹いた。
「おいおい。スティーブ、何いきなり口説いてるんだ~?」
からかうような口調にスティーブと呼ばれた男性の顔が赤くなった。
「い、いや、違う! そんなつもりはないんだ。ただ、料理屋の席がなくてがっかりしていたようだったから……」
眼鏡の真ん中を人差し指で押し上げながら必死になって弁明する。
「あの、もしお嫌でなかったら相席どうですか? このお店ではよくあるみたいで、こちらの方は常連さんで信用できると思いますよ」
列に並んでいた別な女性が笑顔で口添えする。そう言われて、帰ろうとしていた女性は少し安堵したようだった。
「あの、ではお言葉に甘えて相席させていただいてもいいですか? 実は何度か来たことがあるんですが、いつもいっぱいで……。ずっとここで食べてみたいと思っていたので有難いです」
「も、もちろんです。僕はスティーブ・オーウェンといいます。近所に住んでいてこの店の常連です」
「初めまして。私はアネット・シェロンといいます。同僚からこの店は美味しいと聞きましたが、何しろいつも混んでいて」
「珍しくて美味しい料理ばかりなんですよ。きっとアネットさんもお好きになりますよ」
「うわー、楽しみです~。本当にありがとうございます。ところでスティーブさんは外国のお名前ですか……?」
「僕は隣国のオールブライト王国の出身なんです。仕事でこのアキテーヌ王国に駐在しているんです」
「アキテーヌ語がお上手ですね。どんなお仕事をされていますの?」
「弁護士です。渉外弁護士なので両国に関わる企業法務や国際訴訟などを扱っています」
「すごいですね。難しそうなお仕事です」
「アネットさんは?」
「私はこの近くの病院で医療事務の仕事をしています。お昼休憩は一時間なので早くお店が開くといいのですが……」
「大丈夫。もうすぐ開きますよ。ほら、今クロードが出てきた」
長身で黒髪短髪の美青年が扉を開けて準備中の札を営業中に変えた。
「いらっしゃいませ~。お待たせしました。どうぞお入りください」
ぞろぞろと全員が店内に入りそれぞれ席につく。
「定食? 定食って何ですか?」
初めてメニューを見て戸惑うアネットにスティーブが丁寧に説明する。
「定食っていうのは決まった食事がセットになったメニューのことで、A定食、B定食、C定食の三つから選ぶことになっているんだ。大体おかず、付け合わせや汁物、サラダ、ご飯かパンが付いていて、満足できる内容になっていると思うよ。しかも、どれもデザートがついているんだ」
「わぁ、嬉しい。しかもお手頃で良心的。面白いやり方ですね。じゃあ、私はこの豚肉の生姜焼き定食っていうのにしてみます。ご飯は最近流行っていますよね。前は見たことなかったけど」
「オールブライトでも昔はカルナローリ米が一般的だったね。リゾットを作るためのちょっと粒が大きめのコメだったけど。最近は海外からジャポニカ米を輸入するようになってご飯食が人気になった。もちっとしていて美味しいからね」
「私も好きなんです」
スティーブは話しやすくアネットは初対面とは思えないほど打ち解けることができた。
その後、連絡先を交換し『縁』で何度も食事を共にした。
いつしかロマンティックな雰囲気が漂うようになり数か月後スティーブはアネットに告白。二人は結婚を前提に交際することになった。
***
「このお店のおかげです!」
スティーブが幸せそうにクロードに頭を下げる。
「いや、とんでもない。俺たちは何もしてませんし」
「美味しいお料理を一緒に食べているうちに距離が縮まりました。やっぱりこのお店のおかげですわ!」
アネットも瞳を輝かせる。
「こちらはオーナーシェフがいらっしゃるんですよね? 是非直接お礼が言えたら、と思ったのですが……」
躊躇いがちにスティーブが頼むとクロードは「うーん」と言いながら頭を掻いた。
「うちのオーナーシェフはちょっと不愛想なところがあるんですが……」
「直接お礼を言いたいだけなので」
アネットにもお願いされると断りづらい。
幸い、他の客たちは食事に舌鼓を打っていて、こちらに関心がないようだ。注文された料理は全部配膳したし、今ならちょっと時間があるだろう。
しばらく待つと妖精のように美しい女性が登場した。
「いや、こんな若い女性がオーナーシェフとは思いませんでした」
「あまり人には言わないでくださいね」
「はい。もちろんです。僕たちはこの店と料理のおかげで今度結婚することになりました。本当にありがとうございます」
スティーブが真面目な顔で頭を下げるとアネットもお辞儀をしながら「ありがとうございました」とお礼を言う。
「いえ。私は料理を提供しただけです。何もしていないのでお礼は必要ありません」
無表情で答えるフェリシーにハラハラして見守っていたクロードが何か口添えしようとした。
「えーと、あの、オーナーは人見知りで……」
「僕たちはシェフがどれだけ心を砕いて料理してくださっていたか分かっています。例えばステーキでも丁寧に一つ一つ肉のかたい筋を取りのぞいてくれていましたよね。とても柔らかかった。食べる人が喜ぶようにという思いを感じました。おかげで優しい気持ちになれたんです。仕事が上手くいかなくて苛々している時も疲れて落ち込んだ時も、ここの料理があれば元気が出ました。そして美味しいものを一緒に食べたいと思える人が現れた。この店のおかげです」
スティーブの言葉にアネットもうんうんと頷く。二人は顔を見合わせて幸せそうに微笑みあった。
フェリシーの頬が少し上気する。
「そのように言っていただけるのはシェフ冥利につきます。結婚してもまたお二人でいらしてください。こちらこそありがとうございました」
無表情のまま深くお辞儀をするとフェリシーは退散した。
その後、厨房の扉を閉めて涙ぐんでいたことはクロードしか知らない。
新たに幸せなカップルができたことをフェリシーとクロードは心から喜んでいた。
しかし数週間後、事件が起こったのである。
ヨレヨレのスーツに髪を乱したスティーブが現れて「振られました」と意気消沈して椅子に座りこんだのだ。
*オールブライト王国は英系、アキテーヌ王国は仏系というイメージです(^^♪ 言葉も違います