突然の行幸
「いらっしゃいませ……え?」
『縁』も通常営業に戻り、クロードの爽やかな声が店に響く……かと思われたが何も聞こえない。フェリシーが厨房から視線を遣るとクロードは入り口で客を迎えながら固まっている。顔色も悪い。
(何があったのかしら?)
フェリシーが目を凝らすと、なんとそこには平民風の衣装を着た国王と娘のコレットが立っていた。
慌てて手を洗い厨房から出ていくと、そのころまでには立ち直ったクロードが二人を個室に案内していた。さすがに普通の席に国王と王女を座らせるわけにはいかない。
「あ、フェリシー!」
個室に入るとコレットが明るく手を振り、その向かいに座っている国王が目で挨拶をする。
「国王陛下、王女殿下、かような場所で御目文字でき恐悦至極に存じます」
フェリシーが美しいカーテシーを見せると国王が大声で笑い出した。
「無礼講だ。今はお忍びだからな。コレットも王女にする予定はない。今日は昼飯を食べにきた。君のお勧めを出してくれ」
「……分かりました。鶏肉と牛肉と魚、どれがよろしいですか?」
「うむ、コレット、お前はどうだ?」
「あたしは牛肉がいいですわ!」
「俺も同じものを」
「承知いたしました」
本日の牛肉メニューはビーフストロガノフである。薄切りの牛肉を玉ねぎなどと一緒に炒め、サワークリームやレモン、生クリームを加えて煮込んだものだ。サフランライスと一緒でも美味しいが、今日はフェットチーネのパスタと一緒に召しあがってもらう。
「俺が……持っていくんですね?」
「クロードの仕事でしょ?」
クロードは緊張した面持ちで個室に出来上がった料理を運んでいく。
(家族なのにやっぱりまだ緊張するものなのかしらね?)
フェリシーが考えているとクロードが戻ってきた。行くときよりも顔色がいい。
「大丈夫だったでしょ?」
「ええまぁ、王宮よりも機嫌が良くて助かりました」
ふぅっと大きく息を吐くとクロードは額をハンカチで拭った。
「ランチの営業の後、お嬢さまに話があるそうですよ」
「やっぱり、何かあったのかなと思っていたのよ」
「また厄介ごとじゃないといいのですが……」
不安そうなクロードだが、その予想は大きく外れることになる。
***
「フェリシー、バリエ侯爵領でのこと、今回もまたお手柄だったな。よくやった」
「いいえ。たまたま運が良かっただけです」
無表情で答えると国王が苦笑いを浮かべた。クロードはフェリシーの隣で居心地が悪そうに身じろぎをした。今でも父親の前だと緊張が解けないようだ。
「この店はすごいな。どれだけの陰謀を引きつけるのか?」
「それはこの店の目的とはかけ離れています」
「まぁそう言うな。また頼む」
「意図的ではありませんから」
あくまで冷静さを崩さないフェリシー。褒められて調子に乗ったりすることはない。
「そういえばね。フェリシー姉さま、ご存じ。最近国中で大人気になった物語がありますの」
コレットが瞳を輝かせた。
「物語? 小説のこと?」
「ええ、そうなんですの。異国から来た主人公が珍しい料理の力で次々に難問を解決していく物語なのよ! しかも、そこには肉じゃがとかおにぎりとか姉さまが作る料理がふんだんに描かれているんです!」
「ええ⁉ どういうことですか?」
クロードが声をあげる。しかし、フェリシーはどうしてそのような小説が書かれたのか分かるような気がした。
「もしかしてエルネストさんの新作かしら?」
「ああ! 小説家のエルネストさんとマリーさん! ブーヴロンに行かれた?」
「そうなの! あたしが初めてクロード兄さまとフェリシー姉さまにお会いした時にお見送りされていた二人のことでしょ?」
そういえばそんなこともあった。いろいろなことがありすぎて遠い昔のような気がしてしまうが。
「ふむ、やはりここには面白い客が集まるようだな。初めて食したが料理も美味かった」
国王が感心したように呟く。
「お父さま、そうなんですわ! フェリシー姉さまは本当にすごいんです!」
「すっかりなつかれたな」
「恐れ入ります」
「しかし、今日俺達が来たのはそなたに以前頼まれていた件についてなのだ」
フェリシーは国王の言葉に思わず身を乗り出した。
「それはもしかしたら……?」
「ああ。お前と似たような魂を持つ人間を見つけたぞ」
「「ええっ!?」」
個室で国王とコレットと向かい合うフェリシーとクロードは驚いて顔を見合わせた。
「お父さまに呼ばれて、私も後でコッソリ見たんです。姉さまみたいに光ってはなかったけど、変な文字みたいな、ひがらな……ひらがなって言ったっけ? 変な文字みたいなのがふわふわ漂っていたわ」
「どんな!? どんな文字だったか覚えている?」
珍しくフェリシーの口調に熱がこもったが、コレットは困ったように肩をすくめた。
「ごめんなさい。よく覚えていないわ。そもそも知らない文字だし……」
「そうよね。ごめんなさい。それで、その方は一体……」
「新しく雇った馬屋番だ。馬の扱いが上手いと評判でな。俺の馬の世話を任せることにしたんだ。グレゴワール伯爵領の出身だそうだ」
「……あの、会わせていただくことはできますか?」
「もちろんだ。そのためにわざわざここまで来たんだ」
「あ、ありがとうございます」
鼓動が激しくて胸が若干痛いくらいだ。フェリシーは胸を押さえながら何とか気持ちを落ち着かせようとする。
(まだその人が彼だと決まったわけじゃない。むしろ、違う可能性のほうが高いんだから)
そう自分に言い聞かせてもなかなか動悸はおさまらなかった。そんなフェリシーをクロードは複雑な表情で見つめている。
「フェリシー、そいつが捜している前世での夫だった場合、君はどうするつもりだ?」
試すような眼差しで国王は尋ねた。以前クロードにも似たような質問をされたのを思い出す。しかし、やはり今でもその答えは分からない。
「わかり、ません……。会ってから考えることにします」
「そうか……」
国王はふうっと息を吐いた。
「いずれにしても早めに対面できるようにしよう」
「ありがとうございます」
フェリシーは深く頭を下げた。