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熊男

「いらっしゃいませ~!」


日が燦燦と降りそそぐゆかりの店内でクロードの爽やかな声が響く。


彼の声は耳に心地よいなと思いながら厨房で卵をかき混ぜるフェリシー。今日の定食の一つ、親子丼を作っている最中だ。


「こちらのお席にどうぞ~」


厨房に一番近い席に案内されたのは背の高い体のがっちりした男性だ。見るからに鍛え抜かれた筋肉のせいで白いシャツの袖が窮屈そうに見える。


クロードが出入りするので厨房の扉は開けたままになっている。ドア越しにその客とばちっと目が合った。


無視するのもなんだし、と無表情のまま軽く会釈すると男らしい顔が燃えるように真っ赤に染まった。


(あら……?)


どうしたのだろう?と怪訝に思いながらも料理する手は休めない。


鶏肉と薄切りにした玉ねぎを炒めてだし汁と調味料で味付けし少し煮たてた後、溶き卵を回すように流し入れる。そこに軽く蓋をして卵に火を通す間にどんぶり風の器にご飯を盛った。最後に卵の上に刻んだネギを散らしてご飯にのせると親子丼の出来上がりである。


「新規のお客様も親子丼定食です! あ、こちらは持っていきますね」


出来立ての親子丼、味噌汁、小さなサラダの定食をクロードが持っていく間にフェリシーは次の親子丼の準備に取り掛かっていた。


***


筋骨隆々とした男性客はその後も時折『ゆかり』に現れた。


ある日、営業終了間際にその客が会計をしながら熱心にクロードに話しかけているのが見えた。


『なんだろう?』と怪訝に思っていると頭を掻きながらクロードが厨房に歩いてくる。


「お嬢さま、どうしてもお嬢さまにご挨拶したいというお客様がいらして……」


どことなく不機嫌そうなクロードの顔と声に若干困惑しつつも、フェリシーは個室で面会することにした。


「お待たせしました」


フェリシーが個室に入ると例の筋肉客が待っていた。彼女の顔を見た途端、沸騰したように顔が赤くなり立ち上がってあたふたしている。


「どうかお座りください」


背後から冷ややかなクロードの声が聞こえた。


(クロードがお客様にこんな冷たい声を出すなんて珍しいわね……?)


優雅に緑茶と『お焼き』と呼ばれるゆかりの名物おやつを差し出しながらもクロードの眉間には微妙に皺が寄っている。


(このお客さんのこと苦手のかしら?)


それでも、甘味よりも塩気という客の好みをちゃんと分かっていて、がっつり食べられる『お焼き』を選ぶあたりはさすがクロードだと感心した。


お焼きは小麦粉を練った生地にいろいろなおかずを包み、こんがり焼け目をつけた後に蒸すおやつである。今回は茄子と紫蘇の葉を味噌炒めにした餡と微かな甘さのかぼちゃ餡が入っている。


「うわ~、これも美味いっすね! さすがです! 最高っす!」


案の定、客は一個を一口で食べる勢いであっという間に皿は空になった。


「お気に召して良かったです。それでご用件はなんでしょうか?」


フェリシーが声をかけると客の頬がピンク色に染まった。


「あ、え、えーと、できたらあなたと二人だけでお話しさせていただけませんか? あ、俺はジローといいます。決して変なことはしませんから……駄目ですか?」


最後の言葉はクロードに向けてのものだろう。クロードが物凄い形相で彼を睨みつけているからだ。萎縮するように大きな体を縮こまらせているジローが気の毒になったフェリシーはとりなすように言った。


「クロード、私は構わないわ。大丈夫よ?」

「いえ! お嬢さま、俺は絶対にお嬢さまをこんな熊男と二人きりなんて……」

「え⁉ どうして俺のあだ名を知っているんですか⁉ 俺は故郷でずっと熊男と言われていて……」

「「えぇ⁉」」


客にそんな失礼なことを言ってはいけないと注意しようとしたフェリシーと、まさか熊男なんていうあだ名が存在するとは思わなかったクロードの声が重なった。


「……何かあったらすぐに呼んでください。飛んできますから」


若干恨めしそうな眼差しのクロードがしぶしぶと個室から出ていった。ジローの言葉に嘘はないし、彼の薄灰色の瞳には誠実さが溢れていたから大丈夫なのに、やっぱり過保護だとフェリシーは思う。切ない男心に考えが及ばないのは仕方がない。


「俺は明日この王都から出ていきます。もう二度とあなたに会うことはないでしょう」

「そうなんですか」


ジローが突然真剣な顔つきになった。


「実は王都には出稼ぎにきたんです。リールと王都の間の鉄道を敷設する工事のために雇われていたんですが、工事が中止になってしまって……」


原因に心当たりのあるフェリシーはちょっと後ろめたい気持ちになった。


「はい……」

「故郷にいる母が病弱で薬代がかかり多額の借金を背負ってしまって……。あ、いや、そんなことはどうでもいいんです! 俺が伝えたかったのはそんなことじゃなくて!」

「はい」


彼の一生懸命さに思わずフェリシーの背筋も伸びる。


「失業してからも王都でずっと仕事を探していました。俺は頭も良くないし、取柄は力仕事くらいですが毎日必死に歩き回って……。結局どこも雇ってくれるところはなかったんですが」


苦笑いしながら頭を掻く。純朴な人柄なのだろう。


「金も底を尽きかけて誰も助けてくれない。なんでこんな冷たい場所に来たんだろうって絶望していたんです。そんな時にこの店に出会いました。こんな安い値段であんなに美味しい食事ができるところなんて他にありません! この食事ができただけでも王都に来て良かったと思えるくらいでした!」

「それは……どうも」


彼の熱意は伝わってくるが何と返事をしたら良いか分からない。


「ただもう本当に期限切れです。明後日までに故郷に帰らないと妹が売られてしまう。だからもうお別れなんです。あんなに素晴らしい食事を作ってくれてありがとうと最後に言いたかった」


彼の言葉に嘘はない。フェリシーはあまりの率直さに感動してしまった。


「俺みたいな人間がとてもおこがましいと思います。でももう二度と会えないだろうから、これも伝えたかった」


ジローの顔に緊張が走る。手も震えているようだ。それでもまっすぐにフェリシーの顔を見つめながら彼は言った。


「あなたが好きです」

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