フェリシー
「お嬢さま、無理にお話しにならなくても……」
コレットの驚く顔を見ながら、クロードは胸の疼きを表情に出さないようにと必死だった。前にも聞いた話だが、彼女が別な世界で結婚していた過去はなかなか昇華できるものではない。
「ありがとう、クロード。大丈夫よ」
フェリシーはハンカチを取り出して目元を拭った。
「私たちは結婚したばかりで新婚旅行中だったの。車で海岸線をドライブして、楽しい旅行になるはずだったのに些細なことで喧嘩になっちゃって。というか、私がつまらないことで彼を責めてしまったせいで……事故に……」
「そ、それはフェリシーのせいじゃないんじゃない?」
コレットが言うがフェリシーは首を横に振った。
「いいえ。私が悪かったの。言い争っているときに大きなトラックと正面から衝突してしまって。あれで助かるはずない。その事故で私も夫も死んだんだと思う」
ハンカチで目元を拭いながらフェリシーは話し続ける。
「で、でも、だからといってフェリシーの旦那さんもここに転生しているとは限らないんじゃ?」
子供ながらコレットは冷静だ。フェリシーは肩を落として頷いた。
「そうね。でも、同じタイミングで同じ場所で事故死したなら彼の魂の欠片が同じ世界に転生していてもおかしくない気がして……」
「それでお嬢さまはこの店で旦那さんの好物を客に出しているんです。噂が広がってもしかしたら耳に届くかもしれないと……」
「果てしなくゼロに近い可能性だけどね」
諦めたように俯くフェリシーに、コレットは励ますように笑いかけた。
「あのね。もしかしたら協力してくれる人がいるかもしれないわ」
「「え⁉」」
フェリシーとクロードが顔を上げる。
「そもそも、なんでか知らないけど私のママを捜していたのよね? ママは私を産んでるから『黒髪に赤い瞳の子供を産んだことのある女性』なんだけど」
「あ、そうだったわね。ごめんなさい。魂が見えることにスッカリ気を取られちゃって……」
珍しく照れくさそうにフェリシーがこめかみを掻いた。この少女が現れてから不思議とフェリシーの表情筋が動き出したようだ。
「クロードがあの『捜し人』の貼り紙を張ったの?」
「いや、俺じゃないんだ」
「その人たちは信用できる人?」
「ああ。俺の自慢の兄貴たちだよ」
「ふーん、そうなの」
コレットは腕を組んで考え込んでいる。
「じゃあ、パパとママに話してみるね。二人がいいって言ったら、屋敷に招待するわ。縁ってお店のクロードと、お兄さんたちはどんな方々?」
「え⁉ えーと、名前はカミーユとシャルルだ」
ここで王子だと明かしていいものか迷ったが、とりあえず名前だけを伝える。
「分かった! じゃあ、また来るわね。美味しかったわ! ご馳走様でした!」
「ま、待って! 帰り道は分かる……?」
フェリシーは家まで送っていこうと思っていたのにコレットは疾風のように去ってしまった。
「なんだか……不思議な子だったわね。でも、どこかで会ったことがあるような気がするんだけど……」
「偶然ですね。俺もです」
クロードとフェリシーは顔を見合わせた。
*****
縁の営業が終わり、フェリシーは後片付けに余念がない。
一心不乱に鍋を磨いているとクロードが厨房の入り口から顔を出した。
「お嬢さま、こちらは終わりました。何か手伝いましょうか?」
「いいえ。大丈夫よ。まだ時間がかかりそうだから先に屋敷に戻っていて。あとで馬車を送ってくれればいいから」
クロードの眉が片方だけ上がった。
(まずいな……)
こういう時の彼は絶対に言う通りにしてくれない。
「お嬢さまを置いて俺一人で帰れるわけないじゃないですか」
案の定、流し台に置かれていた大鍋を手に取ってフェリシーと同じように磨き始めた。
「あ、クロード、いいのよ、そんなことしなくて……」
「鍋から何から厨房を全部ピカピカにするまで終われないんでしょう? 前もそうだったじゃないですか。付き合いますよ。最後まで」
そう言うと黙って鍋を磨く手を動かしている。
縁が開店したばかりの頃、店を始めた理由を聞かれてクロードに前世や前世の夫の話をした後も二人でこうして鍋を磨いたのを思い出す。
フェリシーが『記憶持ち』であることは姉たちも知っている。でも、夫のことを誰かに話したのはその時が初めてだった。
**
本当に些細な喧嘩だった。新婚旅行中に夫が元カノからのメールに返信したとか、そんなくだらないことで私はへそを曲げてしまったのだ。
夫はメールのやり取りも見せてくれた。
何もやましいことがないのは分かっていたのに、新婚旅行中は自分のことだけを考えてほしいとか、他の女のことを考えないでほしいとか……わがままだった自分が恥ずかしい。
むすっとした新妻の機嫌を取るために夫は運転に集中できなかったのだと思う。そのせいで大事故を引き起こしてしまった。
この世界に生まれ変わった時から、フェリシーはずっと罪の意識を抱えていた。
(なんてことない世間話のメールに嫉妬してしまうほど彼が好きだったのに。私のせいで誰よりも大切だった人が……)
悔やんでも悔やみきれない。フェリシーは自分には幸せになる資格がないと思っている。楽しんだり笑ったりすることにすら罪悪感を覚える始末だ。
縁でカップルができて嬉しいのは贖罪の気持ちもあるのかもしれない。こんな自分でも誰かの役に立てると思うとホッとする。
「お嬢さま……。きっといつか見つかりますよ。昔の旦那さんが」
鍋を洗いながらクロードが口を開いた。いつも傍らにいて励ましてくれるクロードがいなかったら自分など何もできない。
「ありがとう、クロード」
心から礼を言うとフェリシーは鍋を洗う手に力を入れた。