肉じゃが
マリーとエルネストのお見合いは順調だった。
「は、はじめまして。エルネストといいます」
「マリーといいます。どうかよろしくお願いします」
初々しい二人のためにフェリシーは肉じゃがを作ることにした。どこか温かい家庭の雰囲気があると前世から思っていたからだ。
脂身多めの牛薄切り肉をたっぷり使い、ジャガイモ、人参、玉ねぎを濃い目のだし汁と調味料を加えてコトコト煮るだけなのに味の沁みたジャガイモはホクホクで、最高のご飯のお供になる。肉じゃが、ご飯、お味噌汁、ミニサラダの心のこもった定食である。
二人とも料理も気に入ったらしく目を輝かせながら食べ始めた。
「美味いなぁ。これは何という料理ですか?」
エルネストが上機嫌でクロードに尋ねた。
「肉じゃがといいます。スープは味噌汁です」
「いやー、実に美味い。これも今度の新作で書いてもいいですか?」
「もちろんですよ」
「本当に美味しいですものね。こんな料理、初めて食べます」
マリーも頬を上気させて嬉しそうに笑う。
「エルネストさんの小説を読んでみたいです。一番のお勧めは何ですか?」
「そうだなぁ。俺的には初期の作品を読んでもらいたいんだけど、とっかかりとしては……」
『楽しそうだ』と安堵してクロードは厨房に戻った。個室の二人はもう大丈夫だろう。
「どんな雰囲気だった⁉」
フェリシーが頬をリンゴのように真っ赤にしながら尋ねた。
(本当にこういう時しか、こんな顔をしてくれないんだよな。まったく……。そこも可愛いんだけど)
クロードがぶほっと噴き出しながら「順調! まとまる気がしますよ」と言うと、フェリシーは「よしっ」と鼻息を荒くした。
「良かったですね。久しぶりの純愛っぽいですよ」
「ええ! これから二人の純愛をたっぷり堪能させていただくわ!」
***
エルネストとマリーはその後、何度も『縁』で食事を楽しみ、遠出や旅行にも行きながら順調に愛を育んでいるようだった。
「クロードさん、この抹茶アイスクリーム? いや、少し苦みがあるけどコクがあって美味いねぇ。これも……」
「小説に書いていいですか?…でしょ?」
エルネストの大きな声と少しからかうようなマリーの声が聞こえてくる。厨房で料理しながらフェリシーは思わず身悶えしそうになった。
その後、真っ赤になって頭を掻きながらプロポーズを受け入れてもらえたとエルネストが報告に来た時は、フェリシーとクロードも手を取り合って喜んだ。もっともフェリシーの表情は変わらなかったが。
しかし、順風満帆に見えた二人に思いがけない試練が待ち受けていたのである。
***
「……大変申し訳ありません」
縁の閉店後に突然やってきたマリーは真剣な表情でクロードとフェリシーに深々と頭を下げた。
「なにがあったんですか?」
今にも泣きだしそうなマリーの肩を支えてフェリシーは彼女を個室に連れていった。
クロードが並べた焼き菓子と紅茶にも手をつけず、マリーは俯いて両手を膝の上で握りしめている。
「せっかく素晴らしい方を紹介してくださったのに本当に申し訳ありません!」
「ど、どうしたの? 事情を説明してもらえないかな?」
マリーの瞳には涙が滲んでいる。クロードはハンカチを手渡しながらなだめるように事情を聞き出した。
「実は故郷の父から手紙がきて……。母が病気で臥せっているそうなんです。命にかかわるかもと……。それでもし母が亡くなったら女手が無くなって家族が困るから故郷に戻ってくるようにって……」
深刻な事情にフェリシーとクロードも言葉を失った。
「それはエルネストさんに伝えたの?」
「いいえ、クロードさん。そんなこと彼に言っても……うっ」
マリーがぽろぽろと大粒の涙をこぼした。
「エルネストにあんな田舎町に一緒に来てほしいなんて言えません。もしかしたら、すぐに別れ話になるかもしれない……。それも怖くて……。まだ彼には話せてません」
「マリーさんはガラス職人として王都で仕事を続けたいと言っていましたよね? それはどうするのですか?」
フェリシーは冷静に尋ねた。
「父と弟たちだけになったら家のことをする人がいなくて生活になりません。だから、母に万が一のことがあったら私が故郷に帰って家族の面倒を看るしかないと思っています」
フェリシーは無表情ながらいたわるようにマリーを見つめている。
「まずは病気のお母さまのためにすぐに故郷に帰ること。これは絶対です。でも、その後のことはまだ何も決まっていません。だから、悲観的にならずにすぐにエルネストさんに相談してください」
「え?」
涙を拭っていたマリーがぽかんと口を開けた。
「お母さまは助かるかもしれない。あるいは考えたくないけれど無理だった場合でも、お父さまと弟さんたちで家事を覚えれば、マリーさんはまた王都に戻ってこられるかもしれない。勝手に自分の未来を決めて可能性を狭めないで」
彼女の言葉の真剣さがマリーの心に届いたのかもしれない。ハッと目が覚めたようにマリーの涙が止まり表情が引き締まった。
「そ、そうですね。確かに……。まずは村に帰ってどういう状況か把握するのが先決ですよね。王都に帰ってこられないわけじゃない。エルネストさんに相談してみます!」
「そうだね。そして、多分今ちょうどエルネストさんが到着しましたよ」
クロードが個室の扉を開けると、ちょうど店の入り口に息を切らしたエルネストが立っているところだった。