鐘の音
「最近ときめきがないのよね」
ぽつりとフェリシーが呟いた。耳ざといクロードはすかさず返事をする。
「お嬢さまが俺と恋に落ちれば、毎日飽きるほどときめかせてあげますよ」
「はいはい。最近まともなお見合いの申し込みがないからちょっと、ね……」
「こればかりは縁ですからね。仕方ないですよ。でも、店は相変わらず繁盛しているし」
「それは感謝しているけど……純愛がほしいわ」
「ここに教科書に載りそうなくらいの純愛の見本がいるんですがね」
「はいはい」
などという会話を交わしたその日の午後。
「お見合いをご希望とのことですね?」
「はい! すみません。よろしくお願いします」
テーブルに額がつきそうなほど深々とお辞儀をする女性を前にしてフェリシーは相変わらずの無表情だ。
隣にいるクロードが客の緊張をほぐすように話しかけた。
「ちょっと苦いかもしれませんが、こちらは緑茶という東洋のお茶と粉末にしたコメを豆腐と混ぜて丸めた団子という菓子です。串に刺さっているので手で持って食べてください」
「とーふ? コメは食べたことありますけど……。お菓子なんですか?」
「はい。炭火でこんがり焼いた後、あまじょっぱいソースをかけました。新しい食感だと思うので遠慮なくがぶりとどうぞ?」
「は、はい……」
クロードに微笑まれて頬を赤くした女性は手で串をつかむと焦げ目のついた白い球体を口の中に押し込んだ。
しばらくもぐもぐと咀嚼してごくりと飲み込んだ後「美味しい~」と驚いたように口に手を当てる。
「柔らかくてソースも美味しい! 本当に初めての味と食感です。このお茶ともよく合いますね」
嬉しそうに声をあげる女性は緊張もなくなったようだ。
(クロードはお客さまをリラックスさせるのも上手ね)
フェリシーは自分に足りない部分を補ってくれるクロードに感謝している。
「お名前とお相手に希望される条件をお願いします」
「マリ―といいます。『鐘の音』という曲が好きな方をお願いしたいんです」
「「『鐘の音』?」」
フェリシーとクロードが声を合わせて首を傾げた。マリーは恥ずかしそうに両手を膝の上でもじもじさせている。
「『鐘の音』っていうのは私の故郷の民謡なんです。あ、ものすごい田舎です。ブーヴロンっていう……」
「ああ、コルマール地方の村かな?」
「えっ⁉ ご存じなんですか? 王都で知っている人に初めて会いました!」
一応王族として教育を受けてきたクロードは知っていて当然かもしれないが、正直フェリシーも聞いたことがなかった。余程小さな村なのだろう。
マリーが嬉しそうに笑うとクロードが「それで?」と先を促した。
「この間、バイオリン弾きのバスカーがいて『鐘の音』を演奏していたんです」
バスカーとは路上で音楽を演奏し生計を立てている人のことを指す。
「一日、一生懸命働いて教会の鐘の音が聞こえたからみんな家に帰ろう、家族が待っているっていう歌なんです」
「素敵な歌ですね」
「はい。私は家族のために王都に出稼ぎに来ているんです。もう五年以上故郷には帰れていません。そんな時に『鐘の音』が聞こえて胸が震えたというか……とても懐かしくて」
懐かしい音楽を聴いて感動する気持ちは分かる気がするとフェリシーは頷いた。
「私はもう二十五歳なんです。ガラス細工の職人として働いていますが、ずっと仕事ばかりで将来のことなんてあまり考えていませんでした。仕事が終わって疲れて家に帰った時に誰かがいてくれたらいいな、と思うことも増えて……」
「なるほど」
「それで『鐘の音』が好きな男性は家族を大切にしてくれるんじゃないかなって」
フェリシーはふと疑問が湧いてきた。
「故郷でご結婚されないのですか?」
「故郷は大好きです。でも、旧弊なところもあって……」
マリーは躊躇しながらもまっすぐフェリシーの目を見ながら話し続けた。
「正直、故郷だと二十五歳を超えるともう結婚は無理だとか言われるんです。王都ならそれほど年齢にこだわる人はいないし女でもいろいろな仕事があります。故郷では女の仕事は家事と育児と家業の手伝いってもう決められている感じで」
言葉の端々に苦い針のようなものが混じるのは、これまで嫌な経験をしてきたからかもしれない。
「私はようやくガラス職人として一人前になれたので王都で仕事を続けたいんです」
「分かりました。『鐘の音』が好きな男性。条件はそれだけですか?」
「えと、私の年齢が二十五歳だと伝えてください。それでも構わないという人じゃないと……」
(マリーさんも年齢が気になってしまうのは、やはり故郷の影響なのかもしれないわね)
「はい。貼り紙には書きませんが、事前に必ず年齢をお伝えいたします。逆に、お相手の年齢でご希望はありませんか?」
「い、いいえ。こんな嫁き遅れた女を相手にしてくれるだけでもう十分です」
『マリーさんは謙虚が過ぎる』と思いつつ、フェリシーは黙って頷いた。