悪意
「ねぇねぇ、お兄さん」
クロードは給仕をしている最中に話しかけられることが増えた。
「はい?」
「あの掲示板に捜し人の貼り紙があるじゃないですか?」
「はい」
「あれってお兄さんの身内の方? 黒髪に赤い瞳ってものすごく珍しいよね。外国の方かなぁってずっと思っていたんだけど」
「そうなんですよ。実は母親と生き別れてしまって顔も覚えていなくて。それで少しでも手がかりがあれば、と思ったので」
嘘はついていない。できるだけあっさりと告げたつもりだが、それがかえって胸に響くのだろうか?
「まぁ! なんてお気の毒に! いいわ。私たち、協力します! そういう方がいるかどうか家族や友達に聞いてみますわ!」
「きっと見つかりますわ! お心を強くもって!」
情熱的に協力してくれる客が増え「案外本当に見つかるかもね」とフェリシーはボソッと呟いた。
***
「お嬢さま、新しい見合いの申し込みがありました……」
「もう閉店時間だけど他のお客様は?」
「皆さま、お帰りになりました」
「分かった。話を伺うわ。個室にご案内して」
フェリシーが個室の扉を開けると若い女性が座っていた。金髪のロングヘアを三つ編みにして高い位置にまとめて結っている。凝った髪型にほんのりと薄化粧の可愛らしい女性だ。
「お待たせしました」
「いえ、お願いしま~す♪」
フェリシーが向かいに座ると彼女も軽く腰を上げて挨拶をした。クロードは盆からティーカップと茶菓子の皿を持ち上げ女性の前に並べる。
「まぁ、美味しそうなお菓子! ありがとうございます!」
「フィナンシェとラングドシャでございます」
長方形のバターケーキと薄いクッキー生地にチョコレートクリームをサンドした焼き菓子を差し出すと女性の顔が輝いた。
「ありがとうございます! では遠慮なく」
真っ白な指がラングドシャを摘まみ、サクサクと口の中に消えていく。きらりと光るのは中指につけた高価そうな指輪だ。綺麗な指が何度も往復し、あっという間に皿が空になった。
「美味しかった~!」
客は満足そうに言うと紅茶をごくりと飲みこんだ。
「それではお名前とお見合いを申し込まれる理由、どんな方を希望されるのか教えてください」
フェリシーが淡々と尋ねる。
「私はアシルといいます。専業主婦希望です! 家族のために尽くしたいと思っています。家事と育児に専念したいので働かなくていいくらいの収入のある方を希望します!」
「裕福な方ということですね? 条件はそれだけですか?」
「はい、そうです」
(条件はそれだけでいいのか?)
そこはかとなくハラハラしながら見守るクロード。フェリシーは顔色一つ変えずに口を開いた。
「あなたは真剣にこのお見合いで結婚したいと思っていますか?」
「はい! もちろんです!」
一瞬の間を置いて、フェリシーが答えた。
「嘘ですね。あなたは見合い相手と結婚する気はないし、何か悪いたくらみがあって申し込みをしているのですね?」
「なっ⁉ いきなりなんですの⁉ し、しつれいですわよ!」
焦った様子のアシルの顔が急激に赤く染まる。
縁の噂を聞いて見合いを申し込む人間はかなりいるのだが、こうしてフェリシーとの面談で嘘がバレ、結局申し込みを拒否されるほうが実は多い。
「嘘をついているだけじゃない。強い悪意もありますね。お見合い相手に害を加えるようなことも考えていたのではないですか?」
「な、なにをいうの? そんなでたらめ……」
赤かったアシルの顔が、色が抜けたように真っ白になった。
「今つけている指輪を贈ってくれたのは男性ですか? その男性から頼まれたんですか?」
「なにあんた……気持ち悪い……」
ぶるぶる震えだしたアシルは指輪を隠すように両手を膝の上に置いた。
「もし、その男性があなたに悪いことをさせてお金にしようとしているのだったら、即刻縁を切ったほうがいいです。危険です。いずれ取返しがつかなくなりますよ」
「…………」
「彼はとても魅力的で耳障りのいいことを言うかもしれない。これでお金が入ったら一緒になろうとか。でも、それは起こらない。なんだかんだ言い訳して次の犯罪を唆す。愛する女性に悪いことをさせる男性はいません。あなたは大切にされていないんです」
「は、犯罪⁉ そんなつもりじゃ……。それに大切にされてるわ! あんたにあたしたちの何が分かるっていうのよ!」
「裕福で人の良さそうなお見合い相手を見つけてお金を騙し取ろうとしているのだとしたら、もうやめた方がいいです。いずれもっと凶悪な犯罪に手を染めるようになる。後悔してももう遅い。それでいいのですか?」
「な、なによ! こんな店! 来なきゃ良かった!」
怒りに震えていたアシルは荷物をまとめるとさっさと立ち上がり、バタンと扉を叩きつけるようにして店の外に駆け出していった。
「やれやれ。お嬢さま、大丈夫ですか? ああいうのは減らないですね」
これまでにも似たような申し込みは何度もあった。
「ええ。本当に人を騙すようなことはやめてくれたらいいんだけど……」
フェリシーの表情が憂いを帯びる。
「男女の仲って難しいですね。結局人の縁は神の領分という気がしますよ」
「その通りね。だからこそ縁を弄ぶようなことはしたくない。誠実な縁だけを結べるようにしたいのだけど……」
「そうですね。運命の人との縁をつなげられるといいんですが」
「運命……」
しばらく考えこんでいたフェリシーがクロードに尋ねた。
「ねぇ、魔族って魔法が使えるから魔族なのよね?」
「え、まぁ、そう聞いています。ただ、人間の血が入ると途端に魔法の力が無くなるみたいで……。俺はちっとも……」
「でも、国王陛下との謁見の時、私の魂の色は姉たちとは違うって言われたの」
「あ、ああ、そういえば……?」
「魔族には人間の魂の色が見えるのかしら?」
「すみません……俺にはちょっと分からないです」
フェリシーはハッとして頭を下げた。
「そうよね。困らせてごめんなさい。……厨房に戻るわ」
急いで個室を出ていくフェリシーの背中をクロードは切なそうに目で追った。