好物
マルゴワール公爵は百年前の革命を再現しようとしていた。
ただし自分は安全な場所で裏から糸を引く黒幕。
暴徒に金と武器を渡し王宮を強襲させ、どさくさに紛れて国王と息子たちを殺害する計画だったようだ。先祖は失敗したが今度こそ自分が国王の座を奪ってみせると謀っていたのだという。
新燃料の材料と偽って搬入された硝石から大量の火薬を作っていた証拠も押収された。偽装のために本物の技術者を置き、実際に新燃料の研究はさせていたらしい。
技術者はその事実を知らず純粋に開発に取り組んでいたと証言する者がおり、技術者はまもなく釈放された。リールと王都を結ぶ鉄道の事業は一旦中止となり再開のめどは立っていない。
また、オールブライト王国から鉄筒を大量輸入した事業者を精査したところ、アキテーヌ王国で登録されているものの実体のない事業者であることが判明した。取引の背後にマルゴワール公爵家が絡んでいる証拠が提出され、輸入された鉄筒は全て押収された。
スティーブ・オーウェンというオールブライト王国の優秀な渉外弁護士が全面的に調査に協力してくれたという。
マルゴワール公爵および関係者は、微罪の文書偽造から重罪の国家内乱罪まで多くの罪で起訴されることになる。裁判の判決次第では処刑やマルゴワール公爵家の廃爵もあり得ると王宮はとにかく騒がしい。
密かにマルゴワール公爵を支持していた貴族らは裁判で自分たちの名まで明らかになったらどうしようと頭を抱えているようだ。
アスラン伯爵家のレオンハルトからマルゴワール公爵派貴族の概要を掴んだフェリシーは、当然国王に報告済みである。今後、国王がどのような判断をくだすかは自分の手の及ぶところではないとフェリシーは言った。
「私は命じられた通りに調査しただけだから……。アスラン伯爵家がマルゴワール公爵派でなくて本当に良かったわ」
フェリシーが安堵したように呟き、クロードは紅茶の入ったティーカップを彼女の机の隅に置いた。
「そうですね。ただ、これから王宮はさらに混沌とするでしょうね」
「……それは仕方ないわね」
いずれにしても王宮内の力関係が大きく崩れたことになる。しばらく混迷が続くことは避けられないだろう。
***
事後処理で忙しいフェリシーを訪ねてオルガがグレゴワール邸にやってきた。
「お嬢さまはもうじき来られますので、こちらでお待ちください」
オルガを案内したクロードが優雅にお辞儀をする。
ティーワゴンから香りの良いお茶を淹れて差し出すと「ありがとう」とオルガが微笑んだ。
「しばらくベアトリスは忙しいだろうな」
「そうでしょうね」
クロードがため息を吐く。これほど大規模な内乱をたくらんでいたのに帳簿の監査だけではつかみきれなかった。反乱を防ぐもっと有効な手立てを考えろと国王より勅命が下ったという噂も聞く。
「まぁ、今回はフェリシーのお手柄だな」
「そうですね。お嬢さまが陰謀を暴いたようなものですから」
「国王陛下はリールの街での不穏な動きに気がついておられた。それで多くの諜報をリールに送っていたんだ。エミリア嬢も頻繁にリールに行っていたから、その時に君たちと遭遇したんだな」
「エミリア様は……どうなるのでしょう?」
「彼女ももう二十歳だ。責任能力はある。それに彼女がリールの街で火薬製造を指揮していたとも聞いている。裁判で父親に連座することになるだろうな」
「そうですか」
複雑そうな表情でクロードが俯いた。
「あの時はありがとう」
「はい? いつですか?」
「マルゴワール公爵邸で」
「俺は何もしてないですよ! まったく情けないですが……何もできませんでした」
「いや、そうじゃない。君は自分の価値を分かっていないな」
意味が分からず真剣にクロードが首を傾げる。
「まったく君は!」
オルガが明るい笑い声をあげた。
「フェリシーがマルゴワール公爵と対等に渡りあえたのは君が隣にいたからだよ」
「えっ⁉」
「そんなに驚くな。フェリシーは賢いかもしれないが普通の娘だ。自分より何倍も年上の百戦錬磨の公爵に怖気づかないわけがないだろう」
「でも、立派に相手をやりこめて……」
「君が支えになっていたからだよ。クロード、君はもっと自信を持ったほうがいい。フェリシーは君がいるから強くなれるんだ」
「…………」
クロードの顔が沸騰したように真っ赤に染まった。オルガは再び笑い声をあげる。
「いや、君は可愛いな。フェリシーも初心な娘だが……まぁ、頑張れ! グレゴワール姉妹は君を応援しているからな」
バシッと背中を叩かれて、思わずクロードはよろめいた。
*****
「いや~、やっぱりここに来ると落ち着きますね~」
縁の開店準備のためにせっせと掃除していたクロードが言った。
「そうね」
厨房を掃除していたフェリシーが答える。
「国王陛下はマルゴワール公爵の財産からしっかり賠償金を国庫に返還させたらしいわ」
「国庫に? え、あれは元々陛下の私財から支払ったものじゃ…?」
クロードが困惑した。
「ええ。クロードを解放するために私財を投じたのに、取り戻した賠償金は国のための国庫に入れたの。私、あの方、嫌いじゃないなって思ったわ。単純かしらね?」
「いえ、嬉しいです。俺の父親なので……」
生まれて初めて父親のことを誇らしいと思えた。
(お嬢さまに褒められただけで好感度がこんなに上がるなんて……。単純なのは俺のほうだな)
「お嬢さま、ありがとうございます!」
「何が?」
「父を褒めてくれて」
「良く分からないけど、どういたしまして?」
相変わらず表情筋は仕事をしていない。
「それよりね。国王陛下から褒美をとらせるって言われたのよね。クロード、何か欲しいものはある?」
「欲しいもの? なんだろうなぁ。俺は欲しいものはもう全部持っているから……」
「クロードは本当に無欲ね」
「俺はお嬢さまの隣にいられれば、他に何もいらないんですよ」
「はいはい。分かったわ。それより……何がいいかしらねぇ? 外国産の食材で王様の権威がないと手に入らないくらい高価なもの……? 鮑とか…あるのかしら、この世界に…?」
「国王の権力でお嬢さまの旦那様を見つけてもらったらどうですか?」
思わず口が滑った。フェリシーの指がぴたりと止まる。『しまった!』と内心自分の頭をぶん殴りたくなった。
「……国王陛下なら魂の色が……?」
クロードには聞こえないくらいの小さな声でフェリシーは呟いた。
「いえ、やっぱり無理よ。いくら国王陛下でも。それに…縁で彼の好物をメニューに入れているのも、いつか気がついてもらえるかもって思ってのことだから……」
「はい。分かっています。ごめんなさい」
何故かクロードのほうが泣きたくなってしまった。フェリシーは無表情のままクロードの頭をぽんぽんと撫でた。
「どうしてクロードが泣くの?」
「泣いてないです!」
「そっか。……ホットレモン飲む?」
自分の好物も知ってくれていることに胸が熱くなった。
レモンを絞りたっぷりの蜂蜜を加えて熱湯を注ぐだけなのに心も体も温かくなるような美味しさだ。
二人でふぅふぅ冷ましながらホットレモンを飲むこの瞬間が愛おしすぎて、このまま時間が止まればいいのに、とクロードは願った。