交渉
マルゴワール公爵邸は古風だが荘厳な建築物であった。フェリシーとクロードが乗る馬車が大きな正門をくぐって屋敷の正面玄関へと向かう。
脇を走る騎馬にはオルガが乗っている。今日は国王から特別な許可を得て護衛騎士として同行することになったのだ。
エミリアに会うかもしれないので最初はクロード無しで行こうとしていたフェリシーだが、「絶対についていきますから!」と必死に食いさがる彼を拒否することはできなかった。
「ようこそお越しくださいました。お待ちしていましたよ。おやおや、オルガ・グレゴワール団長まで同行されるとは、話が大事になりましたなぁ」
正面玄関で三人を迎えたのが現当主マルゴワール公爵である。明るい金髪に海のような青い瞳。既に中年といっていい年齢だが、いわゆる前世の『イケオジ』というカテゴリーに入るのだろう。
「さぁ、こちらへどうぞ」
当主自らが交渉場所に案内してくれる。不自然なくらいにこやかな態度にフェリシーとクロードの警戒度は急上昇した。
***
重厚な家具に囲まれた応接室に案内されるとフェリシーとクロードはマルゴワール公爵と向かうあう形でソファに腰かけた。
オルガは普通の護衛騎士と同様に部屋の片隅に立っている。
「グレゴワール騎士団長もよろしかったらおかけください」
「いや、私はここで結構」
素っ気ない返答だがマルゴワール公爵は気にする様子もない。
大理石のテーブルに紅茶と茶菓子を置いて侍女が下がると、フェリシーは早速鞄から分厚い書類を取り出した。
「おや、いきなり本題ですか? 良かったらゆっくり菓子とお茶を召し上がって……」
「ありがとうございます。でも、本日は歓談をしにこちらに参ったわけではありませんので」
そう言うとフェリシーは一番上にあった書類をテーブルの空いている隙間に広げた。クロードがティーカップや皿をうまく移動させる。
「まず、こちらがクロード殿下とエミリア様が婚約解消するにあたり、国王陛下とマルゴワール公爵閣下との間で交わされた契約書の写しです。ご確認をお願いします」
書類を手に取りパラパラとページをめくった後、公爵は軽い笑みを浮かべながら頷いた。
「そうですな。国王陛下の御璽とマルゴワール公爵家の押印もある」
「はい。契約書の写しであるとご確認いただきました。そして……」
フェリシーは契約書の写しからあるページを見開き、公爵へ見せる。
「第十七条三項 本契約に定める義務(接近禁止命令の遵守)に違反した場合、甲は同契約に基づき、受領済みの賠償金全額の返還を請求できる。その場合、乙はすみやかに賠償金返還請求に応じるものとする、とあります」
公爵の表情が不愉快そうに歪んだ。
「甲とは国王陛下、乙とはマルゴワール公爵閣下を指します。先日、エミリア様は許可なくクロード殿下に近づきました。声をかけたのはエミリア様のほうです。私がその場にいた証人です。また他にも証言者がおります。こちらが証言者による陳述書。宣誓証明もされています」
「なるほど……。それで? 私に何をしろと?」
「すみやかに国王陛下に受領済みの賠償金全額を返還してください。以上です」
「いや、こりゃ参ったな! はははっ」
公爵が額を押さえて笑い出した。
「……何がおかしいですか?」
「娘はただ挨拶をしただけだ。それで賠償金返還なんておかしいだろう?」
「接近禁止命令とは文字通り近づいてはいけないという命令です。挨拶なんてとんでもない。しかも、エミリア様はクロード殿下を傷つけるような物言いまでしました」
「いや、でも、いくらなんでも大袈裟すぎる。エミリアに尋ねてみたが攻撃的なことは一切言っていないと。偶然街で会うのも命令違反なんですかな? エミリアだってわざわざ会いにいったわけじゃない。街で偶然会うことを避けられない場合もあるだろう? 不可抗力だよ」
「なるほど……不可抗力」
「そうですよ! 不可抗力だから仕方がなかった。そのように国王陛下にお伝えください」
フェリシーを小娘だと侮っているのかもしれない。余裕たっぷりのマルゴワール公爵が白い歯を見せた。
「いいえ。あの時、エミリア様は後ろから声をかけてきました。もし、声をかけなかったら私たちは気づかずに通り過ぎていたことでしょう。なぜそうしなかったのですか?」
「そ、それは、つい懐かしくなって声をかけてしまったのだろう? なんといっても子供の頃からの許嫁だったのだから」
「論理の矛盾がありますね。『不可抗力』と『避けたければ避けられたけど懐かしくてつい声をかけてしまった』には大きな違いがあります。エミリア様は避けたければ避けられたのに敢えて避けずに声をかけた、ということですね?」
「うっ……。いや、それは揚げ足取りだな。街で偶然会ってしまうのは不可抗力というだけで……」
「声をかける、声をかけない、は選べる行動です。不可抗力ではありません」
公爵はハンカチを取り出して額を拭うとふぅっと息を吐いてソファに座り直した。
「君は屁理屈がうまいね」