手紙
「クロード、しばらく『縁』はお休みするわね。店に貼り紙をしておいてくれる?」
忙しそうに執務室で仕事をするフェリシーの指示にクロードの顔が少し曇った。
「マルゴワール公爵との交渉に向けての準備ですか?」
「ええ。面会したのに、はぐらかされて終わりなんて困るから。あの国王陛下は成果をお求めだし」
「お嬢さま、申し訳ありません! 俺のせいで……」
「止めなさい。クロードは何一つ悪くないわ。何度言ったら分かるのかしら? これ以上言ったら『ばーかばーか』って罵ってやるから」
無表情で『ばーかばーか』と罵られるのも悪くないとクロードはぶふっと噴き出した。
「笑いごとじゃないのよ。今回は難敵ですからね」
「ええ、ところでお嬢は何を……? 手紙?」
主君は何をしているのだろうと机を覗きこんだクロードに、一心不乱に書き物をしていたフェリシーは顔を上げた。
「ええ。幾つか調べたいことがあってね……」
「スティーブ・オーウェン? オールブライト王国の? 何故彼に手紙を?」
「渉外弁護士っていろいろな国際契約や国際取引に詳しいのよ」
「へぇ。他に……レオンハルト・アスラン伯爵令息? なんでまた?」
クロードはさりげなくフェリシーの机にある宛先の書かれた封筒をめくっていく。
「アスラン伯爵家がマルゴワール公爵派なのか知りたくて。マルゴワール公爵はなかなかしっぽを見せないでしょ。誰が公爵の派閥にいるのか知っておきたいから」
「なるほど。……え? エマニュエルにも手紙? 友達ゼロ人の?」
エマニュエル・ジュペと宛名が書かれた封筒を見て驚くクロードに、フェリシーはくすっと笑った。
「エマニュエルさんとは文通をしているのよ」
「文通⁉ どうしてお嬢さまが?」
「あの方は頑張ってお友達を作っている最中なの。だから、私も協力しているのよ」
「いや、何もわざわざお嬢さまがしなくても⁉ 俺が代わりに文通しますよ!」
「いいのよ。エマニュエルさんが『今日は〇〇っていう同僚とこういう話をした』とか『昼食で入った店の店員さんに話しかけてみた』とか報告してくれるの。私も楽しんでいるのよ」
「そうですか」
腕を組んでむすっと押し黙ったクロードに戸惑うように首を傾げるフェリシー。
「どうして怒っているの?」
「怒っていません」
「いや、怒っているわ。ちゃんと理由を言いなさい」
子供のように頬まで膨らませているクロードは明らかに拗ねている。
(これが二十歳の男性かしら?)
フェリシーは思わず噴き出しそうになった。もちろん表情筋はぴくりともしないが。
「お嬢さまが俺に隠し事をしていたっていうのが気に食わないんです。お嬢に一番近いのは俺だと思っていたのに」
意外な答えにフェリシーは目を見開いた。珍しく上眼瞼挙筋が仕事をしたらしい。
「隠していたわけじゃないわ。私に一番近いのはクロードよ。当たり前じゃない!」
ふくれっ面をしていたクロードの頬が一気に緩んだ。
「……ま、まぁ、当然です。でも、エマニュエルさんの友達作りに協力して俺も文通相手になりますから……」
「そうね。文通相手が二人できたなら、エマニュエルさんの友達作りの自信にもつながるでしょうし。早速そのことも書かなくちゃ」
再びペンを持ったフェリシーに切なげな視線を向けるとクロードは執務室から出ていった。
*****
その日の夕方、他家に嫁いでいる長女のオルガと次女ベアトリスがグレゴワール伯爵邸にやってきた。
「久しぶりに四姉妹で夕食にしようってお姉さまが提案してくださったの」
相変わらず無表情のフェリシーだが、瞳に光があるので喜んでいるのだろう。
使用人たちも生き生きしている。グレゴワール伯爵はずっと領地で暮らしているので王都の屋敷にはアリーヌとフェリシーしかいない。二人とも良い女主人であるが、自立していてあまり使用人に頼らないため寂しいと思っている者も多いようだ。
「「オルガ姉さま、ベアトリス姉さま、ようこそお越しくださいました」」
「久しぶりだね」
「元気だった~?」
長女のオルガは背が高く姿勢が良い。きりりとした精悍な顔立ちの美人で男装したら令嬢たちに騒がれそうだ。目の前に立っているだけで見下ろされているような威圧感がある。
オルガは近衛騎士団の前団長と結婚して子供が二人いる。
オルガの異能は身体強化。筋力、体力、持久力、耐久力、反応速度を異常なレベルに高めることが可能である。当然ながら人類最強と評判で『自分より強い男でないと結婚しない』と宣言していた。
当時の近衛騎士団団長はオルガと死闘を繰り広げ辛くも勝利し、彼女と結婚することができたわけだが、オルガが無傷でぴんぴんしていたのに対し、骨折六本など重傷を負い長期の自宅療養を余儀なくされた。
その間、オルガが近衛騎士団団長代行を務めることになり彼女の下でかつてないくらい近衛騎士団の士気が上昇した。なおかつ家で子供達の面倒をみていた前団長が育児の悦びに目覚め引退。オルガが代行ではなく正式な近衛騎士団団長となったのである。
次女ベアトリスは聡明さが顔に現れている。知的な眼鏡だけでなくひっつめにした髪やきっちりした服装も学者のような雰囲気だ。
彼女の夫はディディエ・フォートレル宰相(公爵)である。半分魔族の国王を即位させた噂のフォートレル宰相の孫にあたる。
ディディエは数字に強く『汚職許すまじ』の精神で王宮の会計予算を厳しく管理している優秀な宰相であり、あの国王が信用している数少ない人間でもある。
ベアトリスには異常な数字の才があり、帳簿を見ただけで数字が合わない箇所、問題がある箇所がすぐに分かる。ディディエは数字の神の化身のような妻を崇拝しており、公私に渡り良き伴侶として頼りにしている。
三女アリーヌはあらゆる言語に通じ、人間だけでなく精霊族、魔族、獣人族、動物にいたるまで意思疎通が可能な異能を持つ。
そして、四女フェリシーは人の嘘や悪意を見破ることができる。
これがグレゴワール伯爵家四姉妹の異能なのであった。