買い出しデート?
次の『縁』の定休日は快晴だった。
フェリシーは髪色に似た薄桃色の膝丈のドレスに革の編み上げブーツ姿である。ピンクがかった金髪はポニーテールにしてブーツの色に合わせたチョコレート色のリボンで結んでいる。どこからどう見ても儚げで妖精のような美少女だ。
「お嬢さま、随分可愛い恰好ですね! もしかして俺のためにお洒落してくれちゃいました?」
「支度はできましたか?」と部屋を覗きこんだクロードの軽口に冷ややかな視線を送るフェリシー。
「朝から冗談はいらないわ」
「冗談じゃないですって。こんなに可愛い女性を見たら口説かずにはいられないでしょう?」
「…………」
フェリシーは無言で買物用の袋を持ち直すとスタスタと歩き始めた。
***
『クロードとお出かけ⁉ それってもしかしなくてもデートじゃない⁉ じゃあ、ちゃんとお洒落しないと!』
グレゴワール伯爵家三女アリーヌとたまたま実家に遊びにきていた次女ベアトリスが悪ノリしてフェリシーを着せ替え人形にしただけだ。
『お嬢さま』と呼びながら軽い口調でからかうクロードは『縁』では機転が利く有能な給仕でフェリシーも大いに助けられている。平民向けの店なのに嫌がりもせずに働いてくれるクロードに心から感謝しているが、常に一緒にいるからといって恋愛関係にあるとは限らない。
ただ、わざわざ定休日に買い出しに付き合ってくれるクロードには何かお礼をしなければ、と律儀なフェリシーは考えていた。
前世で管理栄養士(兼調理師)として働いていたフェリシーにとって料理は生きがいでもあった。この世界で和食を含め前世の料理を作る理由の一つは、自分以外にも日本から転生している人がいるかもしれない、という微かな希望をこめてのことである。
材料にもこだわりを持つフェリシーは質の良い香辛料や調味料を買うためにわざわざ隣町の専門店まで行っている。
王都から十キロほど離れたところにあるリールの街は香辛料だけでなく多くの専門店が軒を並べる問屋街で、リールと王都をつなぐ機関車を走らせる計画も進行中だという。
***
「あ、お嬢さま、ちょっと待っててください! 俺、馬車を手配しておいたんで!」
クロードが外に駆けだしていってしばらくした後、グレゴワール伯爵家の正面玄関前に目立たない馬車が止まった。御者席から降りてきたのはなんとクロードだ。
「クロード⁉ あなた、御者までやってるの?」
次女のベアトリスが呆れたように叫んだ。
「フェリシー、いくらなんでも……。グレゴワール伯爵家からお金を出すからちゃんと御者を雇って……。もしくはうちの馬車と御者を使いなさいよ」
アリーヌからも非難めいた口調で言われて、フェリシーは気まずそうに俯いた。
「違うんです。俺がやりたくてやってるんで。気にしないでください」
「そうなの?」
「でも……ねぇ。フェリシーが困らせてない?」
「全然そんなことありません! 大丈夫ですよ。さ、お嬢さま! 乗った乗った!」
クロードに急きたてられてフェリシーは慌てて馬車に乗りこんだ。
「ま、いってらっしゃい!」
「楽しんでくるのよ!」
仕方ないなと子供を見守るような視線で手を振るベアトリスとアリーヌ。四姉妹は生まれた時から事情があり母親とは一緒に暮らしていない。フェリシーにとっては姉たちが母のような存在だった。
***
「こちらでよろしいでしょうか?」
香辛料店でフェリシーが希望したスパイスの箱をカウンターに積み上げると店員は穏やかに微笑んだ。
壁一面に引き出しがある薬種箪笥のような作りの店には常に漢方のような匂いが漂っている。
「やっぱりこの店のスパイスは質がいいわね」
フェリシーは無表情で淡々と香辛料を量り、密閉容器に入れていく。店員が重さを全て記録しており、最後にまとめて会計すれば良いことになっている。
「毎度ありがとうございます! さすがお目が高い」
常連でいつも気前よく買ってくれるフェリシーに店員も嬉しそうだ。
「シナモン、クローブ、ナツメグ、パプリカ、ブラックペッパー、ホワイトペッパー、ターメリック、サフラン、クミン……。これくらいでいいかしらね。あと東洋の調味料もほしいのだけど」
「はい、いつもの鰹節、干した昆布、唐辛子と山椒ですね。八角もどうですか?」
「あら、八角も入荷したの。ええ、少しいただくわ」
この店の良いところは世界各国の調味料を取り扱っているところだ。
「いい買い物ができたわ」
満足げなフェリシーを眩しそうに見つめるクロード。
「良かったです。じゃ、帰りますか」
馬車に向かって歩き出そうとするクロードの袖口をフェリシーは咄嗟に摘まんでしまった。
「ど、どうしました? お嬢さま?」
「せっかく来たのだから、この町で美味しいお店を探してみない?」
能面のような顔で告げるが、クロードは奇跡が起きたといわんばかりに大きく目を見開いて片手で口を覆った。手の隙間から見える頬から耳まで真っ赤に染まっている。
「はい! もちろんです!」
クロードは香辛料の店に戻り店員に美味しい店を聞いてきた。
「一番のおススメはこの先にあるアップルパイとアップルティーのお店だそうですよ。いかがですか?」
「クロードはアップルパイ好き?」
「ええ。一番はお嬢さまが作ってくれたアップルパイですけどね」
無表情は変わらないがまんざらでもない空気が醸し出された。クロードは少しずつ彼女の感情の動きが分かるようになってきている。
「ではその店に行ってみましょうか? もちろん、私がご馳走しますわ」
「はい! ありがとうございます!」
アップルパイは評判通りの美味しさだった。表面はサクサク、フィリングはしっとり濃厚なソースに風味のあるリンゴがみっしりと包まれている。
「美味しかったわね」
「そうですね~。ご馳走様でした。ついでに他の店もちょっと見てみませんか? 可愛い雑貨の店もあるって香辛料の店員さんが言ってましたよ」
「いいわね。じゃあ、行ってみましょう」
なんだかんだ二人で楽しく過ごし、遅めのランチまで食べたところで「そろそろ帰ろうか」と顔を見合わせた。
馬車は香辛料の店の裏手に許可を取って停めてある。そちらに向かって歩き出した時に「クロード様?」という艶のある女性の声が聞こえた。
(この声は⁉)
クロードの肩が大きく揺れて呼吸が荒くなる。フェリシーは彼を庇うように立ちふさがった。