嘘
レオンティーヌ・バロワンの代理人から『縁』に手紙が届いた。
見合いに都合の良い日時が記されており、知らせを受けて駆けつけたアルノーは感激に打ち震えた。
「本当に見つけてくださるとは⁉ 万難を排して馳せ参じます!」
「はい。ではお見合いのご予約承りました。こちらが日時とお名前を記したカードになります」
アルノーに予約カードを手渡すと嬉しそうに礼を言いながら去っていった。クロードは大きく息を吐いてフェリシーに声をかける。
「予約しましたよ。いいんですかね? 本当に?」
会計デスク脇の掲示板を眺めていたフェリシーはきょとんとした顔で振り返った。
「何が?」
「いやだって……どう考えたっていわくありげじゃないですか? あのカロリーヌ嬢も食えない感じの令嬢だし……」
「赤い瞳は王族に多いっていうのは高位貴族なら知っていてもおかしくないし、それ以上は何も言われなかったんでしょ? 気にすることないわ」
「思わせぶりに『噂は本当でしたのね?』なんて、俺は何の噂だかまったく分からないんだけども!」
「グレゴワール家は一番上の姉が誕生して以来、ちょっと腫れ物に触る感じだものね……。お父さまは領地にこもりっきりだし、ウチに関して変な噂が流れていてもおかしくないわね」
「いや、そんなことよりも! レオンティーヌ・バロワン嬢に会ってもアルノー殿が幸せになれるとは限らないのに!」
「アルノー様は当然その可能性だって考えていらっしゃるはずよ。何か問題があるから姿を隠したんだろうし。それでも、何も知らずにいるよりはずっとましだと思ったのよ」
フェリシーのしんみりとした口調にクロードが切ない表情を浮かべる。
「……知らないほうが幸せだとは思わないってことですね?」
「ええ。辛くても真実を知りたい。私もそちら側だわ」
クロードは凛々しい顔つきのフェリシーに魅入られたように目を離せない。
「レオンティーヌ・バロワン嬢は見合い当日、時間より早く来て俺たちと話がしたいとも書いてありましたけど……」
「私は厨房で忙しいから。クロード、任せたわ」
「へいへい。こんなに頑張ってる俺へのご褒美に今度一緒にお出かけくらいしてもらえませんかね?」
「いいわよ」
「え⁉」
切れ長の赤い瞳がまん丸く見開かれた。
「いいんですか? 本当に? 店の定休日にですよ? 丸一日?」
「ええ。ちょうど料理に使う香辛料が足りなくて隣町の専門店まで行かないといけなかったの。一緒に来てもらえたら助かるわ。少し遠いから」
「ああ、はい……。そんなことだろうと思っていましたよ」
フェリシーのあっさりした返答にガクリと肩を落とすクロード。
「ありがとう。それじゃ、今度の定休日にね」
いつもより少しだけ悪戯っぽい表情を見せるフェリシーに『ま、いっか』とクロードは頭を掻いた。
*****
「いらっしゃいませ!」
クロードの爽やかな声が店に響き渡った。
入り口には小柄で細身の男性が所在なさそうに立っている。
「おひとりですか? ただいま満席なので少々お待ちいただいて……」
「いえ、あの、見合いのほうで……これ」
囁くような小さな声と共に予約カードを手渡されてクロードの動きが止まった。
「え、あの、えーと、少々お待ちください」
会計デスクの帳面をめくりながら『あれ?』と混乱する。
予約カードには確かにレオンティーヌ・バロワンと書かれていた。
「……僕がそのレオンティーヌ・バロワンです」
クロードにだけかろうじて聞こえるくらいの小さな声だ。
「申し訳ありませんでした。ではご案内いたします」
すぐに体勢を立て直しクロードは平常と変わらぬ表情で客を個室に案内した。
「お飲み物は何がよろしいですか? お相手がいらっしゃるまでまだ時間がありますのでこちらでお待ちください」
「あ、じゃあ、水で……」
オドオドと視線を外す客は細いシルクのような金髪に薄水色の瞳の超絶美青年だ。
クロードは慌てて厨房のフェリシーに知らせた。しかし、彼女はまったく驚いた様子がない。
「お嬢さま、まさかご存じだったんですか?」
「まさか。でも、何か事情があるんだろうってクロードも言っていたじゃない?」
「そりゃそうですが……」
「とりあえずこちらを持っていって。きっと緊張して喉が渇いていると思う。この料理で注文は最後だから、終わったらすぐに行くわ」
「はい」
フェリシーが用意したのは冷たいソーダ水にライムを絞りレモンの輪切りを加えたドリンクだ。いかにも涼しげに炭酸が微かな音を立てている。
調理を終えクロードがそれを運んでいる間にフェリシーは個室に向かった。
***
「ど、どうぞ……」
ノックすると小さな声が聞こえてフェリシーは扉を開けた。簡単に挨拶をしてレオンティーヌ・バロワンの向かいに腰をかける。
「あなたはカロリーヌ様の弟君でいらっしゃいますか?」
フェリシーはアリーヌから得た情報を基に単刀直入に尋ねた。
「は、はい。そうです。やはりご存じだったのですね……」
「いいえ。でも、何か事情がおありのようでしたし、カロリーヌ様には弟君がいらっしゃるのは姉から聞いていましたので」
「僕はレオンハルト・アスランといいます」
彼は頭を下げて事情を説明し始めた。
子供の頃からレオンハルトは内気で引っ込み思案。本だけが友達という生活だった。
「本と……それからもう一つ興味があったのが可愛い服や化粧品だったんです。変だと思われるでしょうが」
「いいえ。好きなものは人それぞれ違います。人殺しが好きとか、人を傷つける『好き』でない限り私は尊重しますわ」
「あ、ありがとうございます!」
レオンハルトは感激に目を潤ませて深く頭を下げた。
「それでこっそりご婦人用の服装で化粧をするようになって……。両親と姉は眉を顰めていましたが、一時的なものですぐに飽きるだろうと、大目に見てくれていました」
「なるほど」
「姉は僕がもっと社交的になれば変な女装癖もなくなるだろうって……。仮面パーティを主催する時に女性に仮装してもいいから参加して人と交わることを覚えろって言われたんです」
「そこでアルノー様と出会ったんですね」
レオンハルトは膝に置いた両手をぎゅっと握りこんで俯いた。
「はい。すごく楽しくて。あんなに本の話で盛り上がったのは生まれて初めてでした。彼ともっと仲良くなりたくて、名前を聞かれた時に思わず偽名を使ってしまったんです。正直に話したらきっと彼にも敬遠される……。嫌われてしまうって怖くって」
フェリシーは黙って聞いている。表情筋は動かないがその目には見守るような優しさが宿っていた。
「でも、アルノーから真剣に告白されたんです。騙しているのが辛くなって、それで……もう会わないほうがいいって思って、姿を消しました。まさか彼がこんなに必死に捜してくれるなんて思ってもみなかった……」
「それで今度は正直に真実を伝えようと思ったのですね?」
「はい。ただカロリーヌには別な思惑があったようです。姉は他の貴族に僕の性癖を知られるのを恐れています。しかも、あの国王陛下にまで伝わる可能性があると焦っていました。姉からは、女装してアルノーと見合いをし正式にお断りして二度と会わないと約束してこいと言われました。まさか僕がこの格好で来ているとは思ってもいないでしょう」
自分の着ている仕立ての良いスーツを見下ろしながらレオンハルトは苦笑いを浮かべた。
「でも、もう嘘はつきたくないんです。きっと驚かれるでしょう。裏切られたと怒られるかもしれない。嫌われるかもしれない。気持ち悪がられるかもしれない。それでも、もう嘘をつくのは嫌なんです」
レオンハルトは必死に訴えた。
「怖い気持ちを押さえて真実を告白しようという誠意を尊敬します。あなたはとても勇敢な方ですわ」
それを聞いたレオンハルトの瞳が潤み、目尻に涙が浮かんだ。
その時、扉をノックする音がした。
「アルノー・ルブタン子爵令息がお越しです」
クロードの声がして個室の扉が開いた。