最後のブラックスライム
「まあ」
目の前に現れたスライムさんの姿に驚いてしまいました。
まさか人の形を取るとは思っていなかったので。
それに、この形は……。
「……私ですか?」
人型のスライムは、妙に私の姿に似せているように見えました。
背丈も髪の長さも。
この長い髪を再現するの、結構大変かなと思うのですが。
「確認している最後の個体だろうけど……気をつけて、アンバー。こいつかなり強いよ」
「どうやって入って来たのでしょうか」
「厄介なことに、器用にも扉を開けて入って来たっぽいのよ。ドアが壊れていなかったでしょ」
ラナ様の返答は、驚くものでした。
確かに、人としてドアを開けていたら破壊する必要はありません。
少し魔物に対する認識を改めた方が良さそうです。
私の形をしたブラックスライムが、片手を上げました。
「来る!」
やってくることは基本的に変わらないようで、伸ばした右手から針がいくつか飛んで来ました。
バリアで防ぎますが、やはり何度受けても強いですね。
今度はこちらから、相手を囲むよう以前と同じバリアを出そうと手を出します。
すると、すぐにその場を離れました。
攻撃前に動くだけの一見無意味な行動ですが、厄介なことにこれで私は相手を捉えられません。
妙に相手がこちらを凝視しているように見えたので、左右に動いて相手を観察します。
やはり、目に当たる部分がこちらを見ています。
「どうやら……これは私を狙っているようですね」
広い廊下とはいえ、この場所は戦うには狭いです。地下から出てきた場合、行き先としては……そうですね、あの場所がいいです。
「ホールに向かいましょう、入口です」
私は皆に聞こえるよう宣言すると、ブラックスライムに向かって駆け出します。
こちらから相手に魔法攻撃をし、ブラックスライムが手を刃物のような形に変えて切りかかってきたところを防御して……走り抜けます。
当然相手は追ってきます。
「アンバーに続く!」
セシル様がすぐにそう仰り、ラナ様とともにブラックスライムを追う形で並びます。
エントランスホールに辿り着き、ブラックスライムを中心に置いた形で振り返ります。
すぐ後ろにラナ様が武器を構え、グスタフ様も同時に着きます。少し遅れて着いたセシル様は、すぐに私の意図を察してブラックスライムの右側に移動しました。
「なるほどな。よし、君らはアーヴァイン陛下を確認してきてくれ」
グスタフ様が、一緒に来ていた近衛兵の二人へ指示を出します。
二人が上に向かうのを確認し、グスタフ様は左側へ。
四人で囲む形となりました。
ここから、派手な乱戦が始まりました。
ラナ様が真っ先に斬りかかり、ブラックスライムの手になった剣と打ち合います。
あれと打ち合うだけで、半端ない強さなのが分かります。
セシル様とグスタフ様が同時に仕掛けますが、僅かな切っ先の隙間を避けて攻撃を全て回避します。
私としては上手く戦いやすいポジションを取れたと思ったのですが、少し見通しが甘かったのです。
「これなら」
皆が相手を釘付けにしているものと思い、相手の動きを封じる魔法を使います。
空振りを考えて、少し抑え気味に。
「……!」
ところが、私が手を向けると私の姿をしたスライムの髪がぶわりと上がり、そこから針が大量に飛んで来ました。
ホールの壁を削り、階段にある手すりの一部が砕けます。
……そうでした、この魔物はブラックスライムです。
心臓部にあるコアが本体であり、顔は目の役目を持っていません。
手が武器とは限りませんし、背中に隙があるわけではなかったのです。
「参りましたね……」
こうなると、この混戦に参加するのはなかなか難しいです。
枯渇状態に近い私では、これ以上の活躍は出来ません。
時々ブラックスライムの腰から出た針が、セシル様の腹部に大きな衝撃を与えています。
その度に、私は防御魔法を遠隔で補強しているのです。
……これを維持できなくなるのは、非常に拙いです。
かつて蜂蜜をギリギリまで減らされた聖女としての仕事を思い出します。
回復させたくても力及ばず、応急処置程度で終わってしまった街がいくつもありました。
どんなに治したくても、魔力が無ければどうしようもありません。
魔力が無ければ救えないと訴えても、追加の蜂蜜が出たことはありませんでした。
どうすれば——。
「アンバー様、これを」
後ろからの声に振り返ると、そこにはセバスがいました。
その手元には……ああ、あります。
クッキーをいつも入れている、セシル様のお気に入りの袋です。
私がすぐ袋を受け取り、中にあったものを手に取ります。
シンプルな形と色。でもとても綺麗な出来です。
サクサクサクサク……。
「先程、セシル様がアンバー様の魔法を使う様子を見て、すぐに自分に部屋の予備を回収するように言ったのです。恐らく枯渇寸前であることを見抜いたのでしょう」
ああ……やはりセシル様は、私のことを誰よりも理解して下さいます。
何も言わずとも、魔力があれば救えると分かっているのです。
ほのかな蜂蜜の香りがするクッキーを食べ終えると、自分の身体の中に一気に魔力が満ちてくるのが分かります。
これです、この感覚です。
ようやく本来の自分で戦えそうです。
ブラックスライムの方を見ます。
まだ三人と戦っていますが、今の私には解決方法が見えます。
「三人とも、そのまま戦っていて下さい。勝てるようにします」
私はそう宣言すると、もう一枚クッキーを食べながら頭に二つの魔法を同時進行させます。
最初は、防御魔法に伴う防寒魔法。
そしてもう一つは……凍結魔法です。
「滑らないように注意して下さい。相手の攻撃を受けてもダメージはありません」
少しひんやりしてきたクッキーをまた食べ、この一瞬で部屋の温度が一気に落ちたことを確信します。
もちろんセバスにも防御魔法はかけています。
ブラックスライムにだけ、かけていません。
この魔物は、最大の特徴がその核以外の弱点のなさ。
体の全てが同じ水分で出来ているので、攻撃が通らない上に変幻自在なのです。
ですが、それ故に弱点もあります。
人と違って火には強いですが、冷気には滅法弱いのです。
動きが鈍くなり、肩をラナ様の剣技で切り落とされ、腕をグスタフ様の力業で叩かれてヒビが入ったところで、ようやく今の原因が私であることに気付いたのでしょう。
首が回るのではなく、形がゆっくり変化するように後ろ髪が私の顔に変化します。
「あなたは私の姿を学習したのでしょう。それで、ドアを開けて侵入したりした。手を伸ばして攻撃を発動したのも、私の動きを真似ているのですね。最後なので言っておきますが、その動きはある方がいいというだけで、別になくても魔法は使えます」
その言葉を理解したのか、ブラックスライムは私の形を保たなくなりました。
液体状になり、再びイガグリのような姿で最後に全方位攻撃を行おうとしたところで——セシル様に核を一刀両断されました。
「それは僕に対して悪かったね。アンバーの顔をしていないのなら、剣を入れるのに躊躇はないよ」
セシル様の言葉を最後に聞き、ブラックスライムは赤絨毯を濡らすだけの氷混じりの水となりました。




