アンバーと、アレクサンダー王
アレクサンダー国王陛下は、シルフィ様に話をかけました。
「緊急の用事というのは、やはり例のドラゴンの件か」
「はい、国王陛下。久しいですね」
シルフィ様がカーテシーを優雅に取り、フレイヤ様は気さくに手を振りました。
この自由さが許されているのが、フレイヤ様の彼女らしさでもあります。
私は——礼をしません。
シルフィ様が頭を下げたことにより、自然と私の姿をアレクサンダー陛下が見ることとなりました。
目が合ったと同時に、分かり易く目を見開かれる国王陛下。
「アンバー!」
こちらに駆け出そうとするアレクサンダー陛下を、シルフィ様が胸元から短めのステッキを振って止めます。
「彼女に話したければ、まず私の用事から済ませていただきたいですね。一応これでも、王国の安全を預かる身ですので」
「……! 分かった、報告を聞こう」
ただならぬ様子に、周りの文官も会話を止めて、私達の話に聞き入っていました。
「まず第一に。サンダードラゴンは討伐されました。ソノックス領の門近くです」
「おお……!」
その報告に、にわかに騒ぎ立つ皆様。
これは間違いなく懸念事項だったと思われますので、喜ぶのも分かるというものです。
「ただし」
と、ここでシルフィ様が皆の声を強めに止めます。
「決してこちらの損害が軽いわけじゃない。片手に電流の模様のような火傷をもらった子が今後前線に立ってくれるかも分からないし、直撃した馬は確実に損害だ」
シルフィ様の声は、明らかに固いものでした。部下のことを大事に思っていますし、風を感じさせてくれる馬は相当に好きと聞きました。
「ソノックス領からはまともな兵が現れなかったどころか、ドラゴンが瀕死になってから肥満の令息がしゃしゃり出てくる始末。ドラゴンはアンバーが始末したけど、それがなければ今頃あのおぼっちゃんは電流受けて即死だね。付き合わされる部下はたまったものじゃないだろう」
戦い方を見ていても思いましたが、シルフィ様はかなり部下を大切にしていらっしゃいます。
防御魔法が外れないよう、常に気を配っているのもすぐに見て取れました。
だからあれだけ仲間達から信頼されるのでしょうね。
「それに。何より気になるのは、ティタニアが居なかったことが問題だ」
その言葉に、周りの文官達が一斉にアレクサンダー陛下の方を見て、すぐに視線を逸らせる。
……面白いぐらい『目は口ほどにものを言う』という感じでしたね。
「陛下、お聞かせ下さい。ティタニアは、今、どこにいるのですか?」
「……」
「陛下!」
シルフィ様の珍しくも強い語気に、陛下は冷や汗を流しながらも絞り出すように答えました。
「『花の聖女』ティタニアは、領地に戻った……ブルーファーム男爵領だ」
その話を聞いても、恐らくみんな驚かなかったのは、予想できていたからでしょう。
「ブルーファームの所に戻ったのは、恐らく花を植えてなかったから。違いますか?」
「分かるのだな」
「——そりゃあもうねえ」
シルフィ様にかかっていた言葉に、フレイヤ様が代わりに答えました。
「アンバーのことを考えるとねえ、何というか王城では『聖女』というものの執着を軽く見ていますねえ。……執着ですよ、シューチャク」
「……執着?」
陛下の言葉に、「そう!」とフレイヤ様が答えます。
「私達は、聖女の名を冠したものが好きで好きで、そりゃもー好きで。力を得るようになっているんですよお。だって魔力の元となるものが嫌いだったらあ、不便すぎますからねえ」
「な……ならば、ティタニアは」
「王国よりも花の方を優先しちゃうぐらい、花の方が好きなのですよお、陛下。——だから言ったではないですかあ。王城では、聖女の執着を軽く見ている、と」
国王陛下は思い悩むように眉根を寄せ、何かに気付いたように顔を上げました。
「ならば、アンバーは」
「そゆコト。アンバーの話を聞いてあげてくださいな」
私の名前を挙げられ、さすがに反応します。
さすが自由人フレイヤ様、ここで私に投げるのかなりキラーパスですよ。
別にここで話を引き継ぐ予定とかなかったと思いますが。
とはいえ、言いたいことがないわけではないので、この流れは有り難いです。
質問しやすい空気になっています。
「アレクサンダー陛下、まずはお久しぶりです」
「……本当に、アンバーなんだな」
「私と同名の偽物がいなければ、本物だと思いますよ」
何だかこうやって会話するのが、とても久しぶりな気がします。
いつもラインハルト王子に振り回されて、なるべく会わないようにさせられていた気もしますから。
「実はな、ティタニアからアンバーに関する報告を聞いていた。城を出る前のことだ」
「まあ、ティタニア様から?」
「そうだ。……知識、知能、知恵ともに並び立つ者なし、あの者を追い出した時点で第一王子に文官をまとめる才なし……と、はっきり言われたよ」
驚きました。
ティタニア様は、むしろ私を貶して追い落とす側の人間かと思い込んでいましたが、誰よりも仕事内容の理解者でした。
「魔法に関して、制限されていたということを恐らく一番理解していた。自分が同じ状況になったからなのだろう。烈火の如く怒ったティタニアは、ラインハルトを問い詰めて蜂蜜の量を制限していたことを聞き出した」
怒るティタニア様というのも想像つきませんが、あのラインハルト王子をそこまで追い詰めたとなると凄いですね。
私も婚約者とそれぐらいの関係になれれば……いえ、最初はちょっと憧れる強さと思いましたが、幸せそうな夫婦ではありませんね。
「蜂蜜を、制限されていたのは……やはり、相当に辛かったのか……」
陛下からの問いに、私は何と答えればいいでしょうか。
「正直、分かりません。私はこんな人間なので、喜怒哀楽が薄いのです。ただ、毎日欲しいとは思っていました。聖女として遠征していても、甘いものがもう少し欲しい。書類の処理をしていても、甘いものが欲しい。毎日、ずっとそんな日が続きました」
「……裏切ろうとは、思わなかったのか」
「思いつかない性格でした。快不快の、快だけが与えられない毎日でした。言うなれば、ただそれだけです。毎日灰色。それだけ」
私の話を聞き、手袋を握りしめる音が後ろから聞こえてきます。
セシル様でしょうか、グスタフ様でしょうか。
アレクサンダー陛下は、静かに息を吐くと、黙って私に頭を下げた。
周りの文官達が騒ぎ出します。一方、シルフィ様とフレイヤ様は黙って腕を組んで左右に控えていました。
……それだけ、このお二方は私の為に怒って下さっているのでしょう。
「謝ったところで、罪が許されるわけではない。だが、ウィートランド王国のために、どうかもう一度戻ってもらえないだろうか」
これは、異例の対応です。
国王陛下が聖女と対等に会話することはあれど、ここまで明確に頭を下げた例は知りません。
そんな大事な問いですが。
「それはちょっと無理になってしまいました、申し訳ありません」
私の言葉に、陛下は顔を上げます。
「私は、実は既に別の国の住人となってしまったのです。そこには……そうですね。私の十年分ぐらいの魔力が得られるだけのお菓子が、毎週のような単位で出てくるような場所なのです」
「量が、やはり足りなかったのか」
「量もですが、質もでした。特に美味しくて、魔力の馴染みが凄まじいんですよ、そのお菓子は。でも、それは二つ目……いえ、三つ目ぐらいの理由かも知れません」
私の言葉が分からないようで、陛下が先を気にするように黙ります。
「その国ではですね。私が甘いものを食べると魔力を補充出来ると知った途端に、仕事がなくても沢山のクッキーを持ってきたんですよ。その対応を『そんな性質を聞いたら、普通こうなる』って言ったんです」
「……」
私の言葉に、遂に陛下は黙ってしまわれました。
「今、ここで対応の一つを改善しても、別の不整合が起こるでしょう。この国で一つ一つ改善するには、何もかも遅すぎました。私自身の問題でもあったので、陛下を悪いとは言いません。ですが、敢えてお詫びに何かしてもらいたいというのなら、そうですね……」
私は、ひとつ条件を付けました。
「もしよろしければ、ラインハルト王子にも一言言いたいです」
「それで、いいのか?」
「はい。それで私はこのまま去ろうと思います。よろしいですか?」
「……分かった。ラインハルトは西の塔の二階にいる」
「分かりました。それでは陛下……あなたは悪い人ではありませんでしたが、甘い人でした。お元気で」
私は礼をして、一歩下がります。
セシル様が「もういいのかい?」と仰ったので、頷きます。
アレクサンダー陛下とセシル様は目が合い、私の肩を抱いて静かに礼をして背を向けました。
それだけで、聡明なアレクサンダー陛下は全てを察したのでしょう。
諦めたように小さく笑うと、「馬鹿息子の完敗だな……」と呟いて背を向けました。
そんな陛下の背に向かって、私はかすかに呟きます。
「……甘い人という意味では、人のことは言えないのですけどね」
「ん? 何か言ったかい?」
「いいえ、何でもありません」
そう首を振り、セシル様の手を握って歩き始めました。
アレクサンダー陛下とは、もう二度と会うことはないでしょう。




