何もないはずの壁の中は、綺麗な城
石で出来た巨大な崖、その途中に現れた鋼鉄の引き戸。
入った先にはもう一つ扉があり、そちらは壁に埋まったリング状の取っ手を握って回すタイプの扉でした。
外側の扉は引き戸でしたし、恐らく魔物が開けられないようにしたのでしょう。
こんな場所にあるのだから、きっと中は薄暗い魔王城。
……そんな私の予想は、いきなり裏切られました。
(思ったよりも明るいですね)
二つ目の扉を開けると、そこは石を丁寧に積み上げた、巨大なアーチ状のトンネル。
王城の地下通路と、大差ない……というより、むしろ立派なぐらいのものでした。
ランプが灯っており、足元が見えないことはありません。
この様子なら声も響きそうなので、極力声を出さない方向で進んで行きます。
通路の横には、扉のない部屋がありました。
(部屋の中には、武器……ここは武器庫ですか)
量産品ではなく、誰かの私物という感じの武器が沢山あります。
これだけ特徴的なものなら、迂闊に触れると侵入がバレかねないので取らないようにしましょう。
他、防寒着や、寝具などが置いてある部屋。
大型の木箱が大量に積み上がっている部屋。
大量の麻袋が分けられている部屋。
最後に現れたのは……上り階段。
(この先が、地上と考えるのが自然ですね)
何が出るか警戒を怠らず、階段を上っていくこととします。
廊下に出て、まず最初に驚いたことがあります。
——とても、綺麗。
落ち着いた屋敷のような雰囲気で、規模としては王国にあるどの城よりもきちんとしている感じがします。
美術的に優れた造形をしているものの、豪華絢爛で装飾過多ということもなく、日々を暮らすのに良さそうな雰囲気です。
これが魔王島にある城?
こんなに綺麗で大きな城、王国にもなかなかありません。
かつて魔物がいない頃に人が建てたのでしょうか。
——何者かの気配を感じます。
そうだ、この城の中に魔物が入り込んでいる可能性もあります。
今の私は残り魔力がもう少ない。避けた方が無難でしょう。
正面、何かがいます。右も足音が聞こえます。左も。
三方向の全てが気配ありですか、厄介ですね。
再び地下に潜ろうか考えながら後ろを振り返ると……なんと、上り階段がありました。
この城は地下から上まで一気に繋がっているようです、これは助かりました。
(逃げられる確率は一気に落ちますが、引いたところであの森の中。ならば今は前に進むのみ)
私は階段を急いで上り、難を逃れました。
二階も足音がしたので、結果的に三階へ。
三階の廊下は、何もいないようです。
廊下を進もうとして——真っ先に、私の本能が何かを察知します。
これは……間違いありません。
——甘い物の匂いです。
幸いにも三階には人の気配がありません。
逸る気持ちを抑えながら、私は誰もいない廊下を慎重に進みます。
匂いの出処は、奥の部屋でした。
扉に耳を当てて、ゆっくりと扉を押しながら中に入ります。
三階最奥の部屋はとても広く、ラインハルト王子が住んでいた部屋を更に一回り大きくしたぐらいのものでした。
本当に綺麗な部屋ですね。
仕事用の机、大型のベッド、大きな窓と綺麗なカーテン。
そして……来客用に部屋中央に置かれた石造りらしき机には、何故かクッキーが一面に並べられていました。
「おいしそう……」
ふらりと、テーブルの傍にあったソファーに座ります。
食事用に並べられているというより、規則的に間隔を空けて整理しているみたいです。
罠なのかもしれません。
ですが、魔王島に着いてから何も食べていない、甘味だけでなく食事そのものに飢えていた私にとって目の前のものに疑問を持つような余裕はありませんでした。
ひとつ手に取ると、クッキーの暖かさが指に伝わります。
その一枚を口に入れて、さく、と割り入れました。
「…………!!!」
瞬間、生地が口の中で融けながら、体中を幸せな甘味が走り抜けます。
十分すぎる甘さの中に、何か凄く良い香りが鼻から抜けていきます。
甘いだけじゃなく、爽やかさがある……何なのでしょうか、これは。
勿論生地も美味しく、食感は固すぎず柔らかすぎず。
「ほぁ……」
溜息を吐くと、その瞬間にも何か凄くいい香りが漂ってきます。
紅茶でも飲んだかのような感覚で、クッキーを一枚食べただけというのに、本当に不思議。
そして、何より。
「魔力が、戻っている……」
私の『蜜の聖女』としての能力である、甘い物を摂取した際の魔力が入ってきています。
蜂蜜のスプーン二つ分ぐらいでしょうか。
……今の、この一枚のクッキーだけで?
口の中から、甘さが消えていきました。
食べ切ってしまったのです。
お腹が鳴ります……ただでさえ空腹なのに、こんなに美味しくて、こんなに一枚が小さいものを食べてしまったら……!
私は目の前にある二枚目に手を伸ばしました。
再びあの甘さが口の中で広がります。
すぐになくなり、三枚目、四枚目と食べます。
七枚目を口に入れたところで、段々と考える余裕が出てきました。
石の机にあったクッキー。
間隔を空けて置かれた状態。
何故か温かい。
——これ、もしかして焼きたてクッキーの粗熱を取っていたのでは?
「はぁ……さすがにもう断られるよなあ」
そう思った矢先、部屋の中へと一人の男性が入って来ました。
片手に袋を持ったまま……私と目が合います。
「……どちらさま?」
部屋の主らしき人に見つかってしまいました。
さすがに今回ばかりは、がめつい食い意地聖女でした。反省です……。




