ウィートランド11
「前方包囲網、負傷者十名!」
「下げて。騎士団の方には悪いけど、全員下がって。あれはまずいよ」
海岸線である辺境伯領から北東部に、騎兵隊を下がらせながら指示を出す人物がいた。
尖塔に立つのは、緑の長い髪を風に靡かせながら走る『風の聖女』シルフィである。
「《ロックショット》……見る限りノーダメだね。参ったな、自信なくしそう。あ、防御用意!」
シルフィが声を荒げた瞬間、サンダードラゴンの口から太い電流が地面を焼いた。
魔道士のうち一人に、その電撃が触れそうな辺りで、巨大なバリアがドラゴンの攻撃を防ぎ、ものの数秒で破壊される。
寸前に、もう一発の魔法を放ちサンダードラゴンの顔を逸らしたので、当該の魔道士は無傷で済んでいた。
「やってられないね……こんな状況は」
今の状況が最悪であることは、口にしなくとも誰もが気付いていた。
一撃一撃が処刑寸前の攻撃力で、防御は常に全力。
こちらからの攻撃は、相手にどれだけ当てても効果が見えない。
常に崖っぷちなのに、いつまで経っても出口が見えないところを歩かされてるようなものである。
向こうから騎兵が一名やってきて、シルフィと並んだ。
情報を持ってきた兵士だ。
「救援は?」
「公爵家は出さないみたいです」
「……誰も? 音の子どうしたんだい?」
「いないみたいです。娘のドレス代とコンサートで前者を取って、それ以来帰ってないと。ちなみにドレスは三桁ぐらいの数を買っているそうです」
「……そりゃ私でもキレちゃうね」
最初は無責任な聖女に怒ろうと思ったが、その条件を聞けば同情の方が強い。
聖女は、互いの能力がどれだけ自分達の名前に強く関連付けられているか、よく知っていた。
「昔いた『太陽の聖女』は夜に戦えないし、逆も然り。私も自分の力が風だから、魔道士の騎兵隊と相性がいいわけだし。これが城内の防衛戦なら、私だって逃げるよ」
風の聖女シルフィは、馬に乗って駆ければ当然のように風を受ける。それによって強力な魔法を使う聖女であった。
平原における魔物との戦いにおいて無類の強さを誇る能力であると同時に、弱点も顕著であった。
室内にとても弱いのである。
「また撃ってきそうだね。《ストーンランス》、《ウィンドバリア》。とりあえず、私が持たせる。他の救援は?」
「花の聖女は、来ないようです」
「……流石に私も怒るよ? 今は冗談を言っている場合じゃないよね」
「ラインハルト第一王子が、中庭に冬の花を一つも植えておらず、王城の庭園には一輪も花が咲いていないようです。来るとしたら、男爵領からかと」
「……。あの王子ときたら……」
シルフィは、ラインハルトのことを思い出していた。
何と言っても、あの剣術大会ではシルフィも出ていたのだ。
フェルグリントンの代表として、ラインハルトの試合もしっかり見ていた。
すぐに分かった。あれは、王子の剣術の能力が完全に劣っているのだと。
その意見は、火の聖女とも一致した。
ちょうどその時に聞いたのだ。
『アンバーちゃんでしょお!? あの子はねえ、すっっごく、ポテンシャルあるのよお! 私、前見た時もね! 全然蜂蜜もらってなかったのよお! 私だったら、もう毎回マッチ一本で戦ってるようなものねえ!』
火の聖女フレイヤは、アンバーの実力を認めている一人だった。
自分は当時その話を聞いた時には、本当かと思っていたが。
『だから攻撃も防御も回復も、魔力が足りないとお、ぜえんぜん力を発揮できないの! 一方強化魔法はあ『感性』と『熟練度』だから、本人の上手さが露骨に出るのよお! ティタニアちゃんもそう、だから地味なお仕事も得意よねえ』
シルフィは、今になってようやくフレイヤの言葉が全て合っていたことを悟った。
あのラインハルト王子が準々優勝するような強化魔法を、果たして自分は使えるだろうか。
使えるはずがない。自分はもっと、イメージと違って大雑把な人間なのだから。
「とりあえず今は、風をどんどん感じていくしかないね。ああもう寒いったらありゃしない」
再びシルフィは、サンダードラゴンを攻撃する。
既に北東部、ソノックス公爵領の方まで来ていた。
街を巻き込まないよう位置を変更しようにも、ドラゴンはそんな人間の事情などお構いなしである。
公爵領に向かうサンダードラゴンをシルフィが追う形で、再び戦いが始まった。
シルフィは、もう何十回目かわからない攻撃魔法を放った。
その攻撃が当たったと同時に、もう一方から炎の矢が横殴りにサンダードラゴンを叩いた。
「あれは……!」
やってきたのは、赤い髪をショートに切った女。
左右には、松明を掲げた魔道士が四名、防御魔法を張っていた。
「久しぶり、ってほどでもないかあ!」
「フレイヤ!」
火の聖女が到着したことにより、にわかに活気づく魔道士達。
やはり救援が来てくれることはありがたい。
「事情は聞いてる。文句は後で言うとしてだ、ここからは私も参加するよお!」
「分かったよ! 君がいれば心強い!」
シルフィが隊を離れ、独立して動きながら魔法を放つ。
フレイヤが火の魔法を連発し、サンダードラゴンの攻撃を受け持つ。
今代の魔王島からの大災害による、決戦の地が決まった。
更に、現場がソノックス公爵領となったことにより、遠征に必要な食料などを考慮しなくても良くなった。つまり、公爵領からも魔道士達が参戦し始めたのだ。
とはいえ、領主も聖女も見当たらなかった。
シルフィはそのことに不満を持ちつつも、仕方ないと攻撃魔法を叩き込む。
フレイヤの調子は良かったが、最大の問題があった。
松明の火のうち一本が消えたのだ。
火の聖女フレイヤは強いが、その魔力維持の方法が非常に特殊なため、供給が絶たれた時の補助が非常に難しい。
「まずいなあ。つーかこっちの攻撃、これ効いてる?」
「分からない。というかもう三十分は戦い続けてるけど、一向に効いてる様子がないんだけど」
二人は、魔力的にはまだ大丈夫であるが、体力と精神力の限界が来始めていた。
火の聖女が、痺れを切らして強めの攻撃魔法を溜め、思いっきり相手に向かって放った。
ただ、その攻撃は……大きいが故に、避けられてしまった。
「……ありゃ、こりゃまずいぞお……」
焦りから、避けられることを想定していなかったフレイヤは冷や汗を掻きつつ思いっきり松明の中に手を突っ込む。
少し危険だが、それでも火の聖女はこのぐらいでは焼けたりしない。
多少無理をしてでも、防御魔法を張り直そうと集中する。
だが、サンダードラゴンの動きは速かった。
「フレイヤ!」
シルフィが急いで岩をサンダードラゴンに当てるも、まるでびくともせず、意に返していない様子だった。
剣技大会のために強化魔法を中心に練習していたことを、シルフィは後悔した。
ドラゴンの口の端から電流が走り、そろそろ限界か——と思った瞬間、そのドラゴンの胴体が一気に街の壁へと吹き飛んだ。
それまでびくともしなかったドラゴンを一撃で動かした魔法は、並大抵のものではないことはすぐに分かった。
「間に合いましたか」
二人が攻撃魔法を放った声の主を見ると、そこには信じられない人物がいた。
美形の執事が御者をしている大型の馬車。
その荷台から、魔王島へと送り込まれたはずのアンバーが、いつものように無表情のまま顔を出していた。




