ウィートランド王国8
ウィートランド王国、辺境伯領。
隣接した敵対国家がないウィートランド王国では、魔物の侵入が多い南の港町に兵士を集中させていた。
アンバーを追放して半年近く。
もう既に、アンバーをここから魔王島に送り出したことなど、住人の殆どが忘れていた。
「今日が新年だっけ?」
「お前そこも曖昧なのかよ……そうだ、今日が新年だ。ったく、俺らに全部の負担を押しつけやがって」
「そう言うなよ、けっこーいい金なんだからさ」
年末年始といえども、南の魔王島方面を無視するわけにはいかない。
常に誰かが見張りをせねばならず、その役目にはそれ相応の臨時手当が出るようになっていた。
「俺はもう十年だからなー。お陰様で、年の頭を特別な日と全く思わなくなった」
「そうはなりたくねえな……」
ぼんやり話をしながら再び海を向く二人。
見張り塔に備え付けられていた望遠鏡を覗き込みながら、海の向こうをぼんやりと見る。
「今の時間じゃ、なーんも見えないぞ」
「そうだな、すげえ遠いし真っ暗だし。……新年早々魔物なんてことは考えたくない」
「言えてる。あいつらも年休取ればいいんだよ」
ハハハと力なく笑い、次いで溜息を同時に吐く。
「……そういえば、お前知ってるか?」
「その言い方じゃ知らん」
「ソノックス家のこと」
「ソノックス家は誰でも分かるだろ」
暇を潰す一環として、男は噂話を始めた。
「あそこのソノックス公爵の一人娘がここで島流しに遭ったんだけどな。それで」
「いやそこから説明してくれ、俺今年からここに移り住んだから全く知らん」
「そっかお前は知らないヤツか。そいつは『蜜の聖女』っていってな——」
勤務の長い男は、新人として転属してきた男にアンバーのことを話す。
仏頂面だったこと。
能力が低く言われていたこと。
王子との関係が冷えまくっていたこと。
そして……ここ南端部より『魔王島』目がけて魔石のボートで一直線に送り出されたこと。
「処刑じゃねえか」
「そうだ、処刑だ。まったく酷いことをする王子もいたもんだぜ」
「おい、そんなこと言っていいのか?」
「いいんだよ。……アンバーに至ってはな」
男はトーンを落とし、窓の外を見る。
「巷じゃ『無糖の聖女』なんて言われて、甘い言葉の似合わなさそうなブスッとした女だと言われていたが、いなくなった途端に第一王子の調子がガタ落ちしてな」
「第一王子って、ラインハルト王子か?」
「そう。剣術大会の結果なんて、貴族でも迂闊に口にしないよう周りの目を気にしてるが、それでも結果が出ていないわけじゃない」
「結構強いんだろ?」
「一回戦秒殺だ」
噂好きの男の言葉に、もう片方の男は一瞬間を置いて「え?」と眉を顰める。
「前回は準々優勝とかで知られてたろ」
「それがこの話が事実である理由だよ。お前さん、あれだけ去年の剣技大会の結果が大々的に喧伝されたにも拘わらず、妙に今年の剣術大会の情報は出ないと思わないか?」
「じゃあ、聖女が弱かったのか?」
「今の聖女は『花の聖女』ティタニア様だ。強化魔法において国内随一の使い手と聞く」
「……。お前それ以上は」
「ああ。貴族連中が何も喋れない理由が分かったな」
息を吞んで、新人の男が黙る。
それ以上を言わなくても、『王子が弱い』ということを迂闊に口に出すのは誰も聞いていなくても危ういことは互いに分かっていた。
「そうか……その『蜜の聖女』が、今はあの海の底か」
「惜しいよなあ。で、そのアンバーが優秀であったという話も、どうやら噂になりそうだ。それがソノックス公爵家ってわけ」
「そうそう、そっちの話をしよう」
急いで王子の話題から離れたい男は、話を最初に切り出した男へ公爵家の話を促す。
「ソノックス公爵家なんだが、どうやら元々いた『音の聖女』様が離れることになったらしい」
「——は? 聖女が離れるって、お前そりゃ有り得ねえよ。あれ王家から配属先決められるんだろ?」
「そう。だから王家命令を無視した上で聖女が公爵家を離れた」
その解説の異様さは、男にとって常識の埒外だった。
聖女はそれだけで安定した生活が保証されているほど立場が強い。
それこそ、王家ぐらいしか上の立場の者はいない。
その聖女が、自分の立場を失うことを考慮に入れたとしても抜け出すほどの公爵家。
「一体何があったんだ?」
「金を使い切ったんだ。アンバー・ソノックスを追放して半年の間に、羽振りの良かった公爵家の金が、全部消えた。娘の買い物に重税を課そうとして、その前身として『音の聖女』の給金カット……なんて噂」
「さすがに噂の域だろ」
「ハハハ、そこまで行けば適当に言ってると分かるよな! だが、聖女がいなくなったことと、ソノックス公爵がかなりヤバいっていうのは事実だ」
「……お前、よく今まで死なずにいるよ」
「俺が死んだら、この役目を殺したヤツがしてくれるからかな?」
「いい性格してるぜ……」
新人の男は溜息を吐いて、再び望遠鏡を覗き込んだ。
夜中の、何も見えない海。
真っ黒で波が立っているかどうかも曖昧な広い警戒場所を——その時は、見ていなかった。
「おい……」
「ん?」
男は呆然と、望遠鏡を一点に止めて見つめる。
もう片方の男は——裸眼で確認した。
「おい、おいおいおい何だあれは!」
見える。
明らかに、魔王島方面に小さくも眩しい光が。
慌てた男が立ち上がり、もう片方の男に様子を見せる。
望遠鏡を覗き込み、熟練の男はそれが何か、すぐに察した。
「ドラゴンだ……サンダードラゴンだ!」
見張り塔の鐘が、新年の真夜中にけたたましく鳴った。




