アンバーは自覚した感情を伝える
サロンに入ると、そこにはセシル様が。
と思ったのですが、誰もいませんでした。
「……?」
そんな誰もいない部屋で一人首を傾げながら、私は部屋の中央に歩いていきます。
いつもの豪華絢爛として綺麗な丸テーブル。日光に照らされたそのテーブルの上にあったのは。
「クッキーです」
思わず口に出ました。
見た目はとてもベーシックな感じで、ところどころ小さな黒いものが入っています。
手をかざすと、まだ温かい。
…………。
一枚、手に取り、食べます。
サクサクサクサク……。
(ああ、これは……)
私は、そのクッキーの美味しさと、その感じる風味に目を閉じます。
体の中に、魔力が満ちます。
ただの一枚のクッキーからは考えられないほど、質の高い魔力が。
目を開き、私は後ろを振り向きました。
「懐かしいですね、ベルガモットフレーバーの紅茶クッキーは」
「すっかりアンバーも、味覚が鋭くなったね」
「お陰様で」
セシル様が部屋に入り、ワゴンカートを引いてナタリーが入室します。
元々用意してあったであろう種類豊富なクッキーの載った大皿に、テーブルにあった紅茶クッキーが載ります。
ナタリーは続いてテーブルからミルクティーを注ぎ、ポットををテーブルに置きました。
次に私の後ろに——控えずに、そのまま一礼してお部屋を出て行きました。
扉を出る直前、私に向かって拳を小さく握り、口をぱくぱくさせてから出て行きました。
——が ん ば っ て。
そんな風に見えました。
何に頑張るのでしょうか?
とは言いません、今日は。
きっとナタリーみたいな子には、私の気持ちは最初から分かっているのでしょうね。
はい、ナタリー。何ヶ月も何者でもない私を一切手を抜く事なく丁寧にお世話してくれた、あなたの期待にも応えたいです。
……誰かの期待に応えたい、ですか。これも今まで知らなかった感情ですね。
「それじゃ、アンバー」
「はい」
特別な一日を、いつも通りの私達らしく始めましょう。
紅茶のクッキーから、全てが始まりました。
それから色々なお菓子を食べて、外のお店にも一緒に行って。
結局、セシル様のお菓子に戻って来てしまいました。
バタークッキーの美味しさに頷き、チョコチップクッキーの甘さに目を閉じます。
そんな今日のクッキーの中でも、一つ気に入ったものがありました。
「これ、美味しいですね」
「自然な風味になるように蜂蜜を入れたものなんだ」
「なるほど、きっとこれは私の味ですね」
以前もここぞという場面でいただきましたが、蜂蜜はやはり私の名前を冠しているだけあって、体が求めているのでしょう。
そんな蜂蜜でも、ラインハルト王子に貰っていた時と、まるで私の中に入る魔力が違います。
「ずっと不思議だったんです。どうしてセシル様のお菓子は私にこれほどの魔力を与えてくれるのか」
「それは僕自身も不思議に思うんだけどね」
「ですが、今ようやくですが、セシル様を見て分かった気がします」
私は再び、もう一枚のクッキーを口に入れます。
「このクッキーは……好かれているのです」
「好かれている? 誰に? アンバーに?」
「いえ、セシル様にです」
私に、ではありません。
だってそれなら、最初に忍び込んだ時点で既にセシル様のクッキーが完成されていた理由になりません。
「普通の商人は、沢山作って沢山売るためにお菓子を作ります。贈り物として作る方は、相手の為に作ります」
「そうだね」
「セシル様は、クッキーを作るために、クッキーを作っているのです」
「……どういうこと?」
曖昧な答えになってしまいましたが、つまりこういうことです。
セシル様のお菓子作りには、他の人とは違うものがあります。
作るのが、魔力も高いセシル様であること。
お菓子に対する『好き』という感情が、お菓子作りそのものに全力で向いていること。
それにちゃんと技術が備わっていて、まるで万能薬のように完璧な形で調理されること。
これによって、セシル様のお菓子には、まるでドラゴンに挑んだ時の魔力解放のような、物凄い『好き』という感情が込められているのだと思います。
「故に、セシル様はただの一つも手を抜かれませんし、どんなに独特なお菓子を作っても魔力が落ちる事はありません」
私の説明を聞いて、セシル様は驚きとともに拍手をしました。
「なるほど……説明してくれてありがとう。確かに僕は、集中力の全てを使ってお菓子を作っている。お菓子を作っている時には、何より僕が楽しいと思いながら作っている」
「はい。その結果——私にとって最高品質のマジックポーションが生まれたのです」
クッキーひとつで、街を守るバリアを張る。
これほどまでに効率的な携帯アイテムを持つ者はいません。
利便性を考えると、全ての聖女の中でもかなり恵まれた能力です。
その恵まれた『蜜の聖女』という肩書きに、ラインハルト王子は何一つ寄与しなかった。
「今も、思うのです。あのウィートランド王国のまま一生を終えていたら、此程の能力を自認することもなく私は一生を終えていたでしょう」
「……アンバー」
「終わった事なのですけどね。それでも時々、恐ろしく感じるのです。無知で甘さを捨てられなかった自分が」
利用されるだけで終わる人生。
全てを流されるまま何も考えないのはある意味では楽ですが、限度があります。
「私は、私が思ったよりも能動的に動きたくて、自分の要望にわがままで、欲が深い人間でした」
「そうは思わないけど」
「いいえ、思ってしまったのです。セシル様とは、お菓子を貰うだけの仲。それで十分過ぎるぐらい恵まれている。ですが私は……もう一歩踏み出したい」
私はそう宣言し、手を上げます。
指輪が、日光に光ります。
「私は未だに、この感情を正確に理解できません。スロープネイトで出会った人は、誰もが全体的にほんのり好きなのです。ですが、一人ちがう感覚の人がいました。——セシル様、貴方です」
今度は自分の気持ちを誤魔化さずに、自分の言葉で伝えます。
「セシル様。正直なところ、かなり早い段階でセシル様と一緒にいると、謎のふわふわした感覚がありました」
「そ、そうだったんだ」
「もっと言うと、セシル様とラナ様が兄妹と知らなかった時、謎の痛みもありました。不思議でした」
「……それ、は」
「はい。この感覚に気付いたのは、最近です。生まれて初めてであるが故に、正直全く知識も自覚もないのですが、これはきっと……『恋』なのですね」
私がそう宣言すると、セシル様は覆いっきり赤面しました。
私も赤面しそうです……いえ、赤面しているのでしょうか?
こんな時でも、自分の事はなかなか分かりません。
——ですが、今はそんな自分も含めて、好きになれそうなのです。
「セシル様。私が望むのは、あなたのお菓子。今はそれだけでなく、あなたのこうした時間も望みます。あなたは私に何を望みますか」
「僕は……僕も、同じ。お菓子を食べてもらうこと、一緒にいること。後は……ううん、この先は僕の一存では決められない」
「はい」
なんとなく、分かります。
きっと一人では決められないということは、国に関わる難しい内容なのでしょう。
こんなに自然な形で結ぶまでの道筋が見えるのなら、互いの相性を知る前に家同士の問題で関係をさっさと繋いでいた過去が、結果的には逆に回りくどく見えてしまいます。
だって……こんな私でも、こんなにすぐに心を通い合わせることが出来たのだから。




