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アンバーが初めて選んだ、変わった行き先

 指輪をもらって、一週間目の朝です。

 寒い冬の空には雲一つありません。


 今日は、以前より約束をしていただいていたお出かけの日。

 私は意気揚々と、セシル様に選んでいただいたコートを着込みます。

 ポケットには何も入っていませんが、問題ありません。


「セシル様」


「もちろん用意しているよ」


 ふふっと笑い、セシル様は私にクッキーを渡して下さいます。

 種類は二つ、量は十分です。

 昨日はアップルパイでしたが、シナモンだけでなく蜂蜜や見たことのないスパイスが並んでおり、自分で選んで量を調整出来ました。

 なんだか調理に参加しているみたいで新鮮でした。


 というわけで、魔力補充は十分すぎるぐらいなのですが、それはそれ。


「いつもご用意いただきありがとうございます」


「全然。僕にとってはもう遊んでいるようなものだからね」


 そう仰いますが、クッキー作り自体は決して簡単ではないことぐらい分かります。

 苦でないのなら余程慣れているか、余程好きかの……いえ、これは両方でしたね。


 それでも、第一王子の労力が毎日私に向いているというのは、やはり望外の待遇です。

 金銭をいくら積んでも、これを超える報酬はないでしょう。


「それでは、今日はアンバーからのリクエストだったね」


「はい。是非とも向かいたい場所がありまして」


 私は今日、自分から希望の場所を決めました。

 少し変わった場所かもしれませんが、セシル様なら嫌がらずに一緒に来てくださると思います。

 完全に甘えておりますね。いえ、最初から甘えてばかりだったように思います。


 そうです。

 セシル様はいつだって、最初から私の全てを全肯定なさっています。

 一度も否定的な意見をもらった記憶はありません。


 ああいえ、以前の国に関しては完全なる全否定で通していましたね。


 以前は、何か自分で考えるような余裕はありませんでした。

 ある意味では人形に徹していて楽でもあり、同時にそれは生きていると呼べるものではなかったようにも思います。


 自分で考えると、思った以上に私は『当たり前の事』を知らないのだなと実感しました。

 その一つが、自分で決めて自分で動く、という当たり前の事でした。


 今日、思い切ってその一歩を踏み出してみます。

 なんとなく誰かのおすすめ、ではなく、私が今行きたいと思える場所へ——。




「まさか、あそこが目的地なのかい?」


「はい」


 私は坂道の途中で、セシル様に頷きます。

 既にほぼ道の全てを終え、後は頂上に辿り着くだけとなりました。


 そうです。

 ここは、スロープネイト城の北側、あの岩壁の上となる山の頂上です。


「どうでしょうか」


「びっくりしてるよ。アンバーがまさか、こんなに何もない場所を選ぶなんて」


「そうですね。この場所は何もありません」


 私はセシル様の意見に頷きながら、クッキーを一枚手に取ります。

 それを……自分ではなく、セシル様に向けます。


「えっ」


「あーん、してみてください」


「ッ! は、恥ずかしいな急に……」


「どうしても、だめですか?」


「その言い方はずるいよ……断れるわけないでしょ」


 セシル様は赤面しつつも、口を開けてクッキーを口に咥えました。

 そのまま自身の手で持って、お召し上がりになります。


 これを、外でやってみたかったのです。

 ですが街の方では、絶対に出来る場所はないでしょう。

 だから多少変な場所でも、ここを選ぶ必要があったのです。

 何より、城下町を城以上に一望できるほど景観が良いですからね。


「如何ですか?」


「ん……んー、以前のクッキーより甘さを多めにしただけあって、なかなかに甘い。固い砂糖が生地に混ざってるんだけど、柔らかい生地にして正解だった」


「……」


 セシル様の感想を聞いていると、何か話す前に食べたくなってきました。

 私はクッキーを手に取り、


「いやちょっと待って、僕にだけ食べさせてそれはないでしょ」


 と仰って、私の手からクッキーを取り上げ、こちらに向けます。


「は、はい、あーん」


 自分で言っておいて、セシル様の方が真っ赤になっております。

 慣れない様子なら、しなくてもよろしいのに。


 ……いえ、違いますね。

 私と同じです。

 慣れてないけど、今どうしてもやりたくなって、思い切っているのでしょう。


 私はセシル様からのクッキーを咥えます。

 サクサク……とはまた違い、しっとりしています。

 中の大粒砂糖が、歯の間でザリザリと削れていきます。……こういう食感もいいですね。


 そういった細かい感想も出てきますが。


「美味しいです」


「そっか、良かった」


 まずはそれが一番に来ます。

 普通は来るはずなのです、これだけ美味しければ。


 セシル様は、言いませんでした。

 それはきっと、美味しくないからではなく、自分に対する評価が厳しいからであると思います。

 そんなセシル様だからこそ、いつもこれだけ美味しいものをお作りになるのでしょう。


「セシル様。以前この指輪をいただいた時のことを覚えていますか?」


「! そ、それは勿論、だよ」


 手を胸の近くまで上げ、指輪を見せて話を進めます。


「正直申し上げると、最初からずっと違う感覚はありました。セシル様といると、不思議と浮いたような心地になるのです」


「……そ、それって」


「セシル様以外にはなりません。私はこの感覚に、自分で辿り着こうと思ったのです。それでお時間をいただいておりました」


 改めて、セシル様を見ます。

 緊張していらっしゃいますが、本当は私も自分で気付かない程度に緊張しているのでしょう。


「セシル様、私は——」




 何か、言おうと思った直前。

 左の方で大きな音がして、森の向こう側で巨大な土の衝撃が上がりました。

 土煙ではありません、衝撃で掘り起こされた土が、天高くまで跳ね上がっているのです。


「セシル様、あれは」


「分からないけど……今日は、『北部討伐隊』が動く日のはずだ。でも、これほどの規模の魔物、報告に上がったことは……!」


 私は先程までの緩んだ空気を切り換え、クッキーを一枚口に入れます。


「セシル様、私は今からあちらへ向かいます。お帰りを」


「出来るわけないだろう! アンバーが向かうなら、僕も向かう!」


 セシル様が、私だけ送り出して我慢出来る方だとは思えません。

 その事実に対して、今は浮ついた気持ちにならないよう意識して集中します。


「ではセシル様、一緒に降りましょう」


「分かった! って、降りる?」


「はい。私の魔法で、飛びます」


「え」


 私は追加でもう一枚クッキーを口に入れ、残りをポケットに突っ込みました。

 セシル様の手を取り、スロープネイトと北端部の魔物の住処を隔てる壁の上で、魔法を発動させます。

 次の瞬間私達は浮かび上がり、再び土が森の中より吹き上がった場所へと向かいました。

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