アンバーと夜の屋上
当たり前ですが、夜を更かしてしまいました。
本当に当たり前すぎて、表情が動かない私ですら笑えてくる気がします。
朝に二度寝をした結果、ぐっすり昼を過ぎて眠気を吹き飛ばした状態でサロンに向かい、紅茶をたくさんいただきました。
夜、セシル様のことを見ると……その、思い出してしまいそうでしたので、今日は遠慮しました。
まあ遠慮も何も、セシル様は早くに就寝なさっているのですけどね。
ゆらりと揺らめくろうそくと、光る指輪。
今日は何度もその指を撫でてしまいました。
不思議な気分です。
これまでとの私とは全く同じはずです。
変わったことなど、この防寒着でもない、魔法の装具でもない指輪一つ。
だというのに、どうにも私の体調は変わっている。
『もしも僕が、他の男性と違う感覚だと思ったら』
(言うべきなのでしょうか)
違う感覚なのは、ずっとなのです。
それはセシル様が、特別私にとって有利に働く人物だからだと思っていました。
セシル様にとっても、私が自分の趣味に条件として非常に合うから、こうして意気投合したのだと。
ですが……改めて考えると、何故なのでしょうか。
甘い物を食べるだけなら、街のパティシエの方でもいいはずです。
それでも、以前の街でお見かけした、恐らくセシル様より遥かに大量のお菓子を作り上げるパティシエの方に、近いものを感じることはありません。
不思議です。
これをセシル様に伝えるべきなのだとは思うのですが。
(何故でしょう、この秘密は自分で解き明かさなければならない気がします)
その理由は、これからの私にとって重要なものである気がするのです。
それにしても……眠れそうにありません。
困りましたね。少し、風に当たりましょうか。
私は少し着込んで、屋上へと上ります。
城の周りをバリアが覆っていますが、傍目にはほぼ不可視です。
思い切って外に出たはいいものの、やはり当然のことながら寒いです。
気分を変えに、なんて言っておいて、これでは却って目が覚めてしまいますね。
とはいえ、ウィートランド王国に比べたらまだまだ温暖な方ですね。雪もまだ観測していませんし。
「……綺麗な街」
城の屋上から、南に広がる城下町を見下ろします。
まだ明るい家がぽつぽつあり、夜中まで起きている人達が少なくないのが分かります。
空は晴れており、星がいくつも見えます。
夜空の月には雲もかかっておらず、年一回クラスの格別綺麗な満月が、光で輪郭を滲ませるように輝き——。
——何か、います。
空を見上げる途中で、私と同じように空を見上げる人影がいます。
何か、というのは、その者が明らかに人ではないからです。
向こうも、こちらに気付きました。
体は大きく、明らかに人のそれではありません。
ゆっくりとこちらに近づくように、一歩ずつ歩いてきます。
警戒するでもなく、また急ぐでもなく。
近づくにつれて、姿が狼のそれだと分かります。
凄いですね、絵本にあった狼男そのものでした。
本物がいたなんて驚きました、新鮮な気分です。
戦ったとしても、恐らくブラックスライムみたいな厄介な魔物ではないとは思います。
いえ、違いますね。
魔物かどうかは関係なく、敵ということはありえないです。
『……逃げないのですか』
存外、丁寧な声で話しかけられました。
「だって、害意がないでしょう」
『危機感が足りませんね』
「それは言われます。ですが、危なくなったことはないですし、危なくなったからどうということはないです」
『……』
狼男は膝を突き、顔の高さを私の位置に合わせます。
じっとこちらの目を見ています。
『この私が害意を持っていないと断言できた理由は?』
「私のバリアの中に入ってきていること。城の中にいるということは、少なくとも敵ではありません。このバリアは、野盗が来ても『入った』ことが分かるように作っています。害意ある者は魔物に限りません」
私の回答に納得したのか、狼男さんは腕を組んで頷きます。
『納得のいく回答です。ですが、もしも私の目的が……たとえばあなたの誘拐だったりすれば、どうですか』
「まあ」
面白いことを仰る方です。
伝承では人を食べるような狼男が、私を誘拐したいと。
『本気にしていませんね?』
「ええ。だって私、勝手に帰っちゃいますから」
『……成る程、確かにその実力なら』
狼男さんは、屋上から城の塀まで跳び下がりました。
もうお帰りになるのでしょうか。
「また何かお話しできますか?」
『……本当に、面白い人だ。満月でなくても、私はここにいる』
狼男さんは、黒い影になるとそのまま城を飛び降りました。
今日はこれまでですね。
「不思議な体験でした。私も帰りましょう」
あの狼男さんを見られただけでも、夜更かしした甲斐がありました。
スロープネイトは、本当に面白い国です。
さて、明日も夜更かししすぎないよう、私も眠りましょう。




