アンバーと色鉛筆
ふわふわとした気持ちで、お部屋にいます。
なんだか最近は色んなことがありすぎて、常にふわふわしている気持ちになります。
バスルームで体を洗っている時。
ベッドに入っている時。
頻繁に、目を閉じるとセシル様がいらっしゃるのです。
……瞼の裏に瞬間移動するような技術でも身につけられたのでしょうか?
昨日は、美術館に一緒に行きました。
他の方もお誘いになったのですが、皆様『どうぞどうぞ』みたいな感じで、私とセシル様のみでお出かけすることをおすすめなさいました。
何故でしょうか、と思っていたところでセシル様からお声をかけられました。
『僕と二人きりじゃ嫌?』
……。ふわふわ……。
はっ、いけません。また何やらふわふわした気持ちになりかけました。
問題ない旨をお伝えして、一緒にお出かけすることとなりました。
美術館は、二回目の体験でした。
とはいえ一度目も全部を見ることはできませんでしたし、見ていない絵も見られるのではと思って向かいました。
——それは、不思議な体験でした。
二度目の絵画の全てが、一人で見に来た時と全く違う印象だったのです。
一度目は、細かく絵画の詳細な部分を見たのです。
技術的な上手さに感心し、細かい部分を分析して見て回りました。
二度目は、なんとなく……全体が見えたのです。
それはきっと、セシル様が解説してくださったからなのだと思います。
『この作者は、幼い頃に両親が離婚して——』
片親になった画家の、青色一色で描かれた悲しげな雰囲気。
新進気鋭の作家に揉まれるうちに、全く違う作風に変化していった画家の情熱。
それに……あの、サトウキビ畑の絵画。
『喉から手が出るほど欲しかったのでしょうね、この光景が』
自然と口に出た感想に、セシル様が笑って頷いた。
『また次の年、この光景を一緒に見よう』
そう言われて、私は一も二もなく頷きました。
……そうですか。来年のセシル様の中に、既に私はいらっしゃるのですね。
では、私も来年の予定に、セシル様を入れておきます。
もう、この島を離れる予定はありませんし。というより、これほどお菓子の充実したスロープネイト城下町を一度体験したら、ウィートランド王国の派手に見えた城下町が急にモノクロに見えてきましたね……。
ありがとう、サトウキビ畑の画家さん。
あなたの情熱が、未来の国を守っています。
……なんて言ってしまうのは、さすがに傲慢が過ぎるでしょうか?
そこで、以前私に話しかけた男性と、再びお会いすることができました。
私は以前と同じようにご挨拶したのですが、セシル様の顔を見て固まっておられました。
そうですね、第一王子の隣にいる人というだけで、大体お城側の人って察してしまいますよね。
その方の緊張を解くためと、あとはセシル様と一緒に来たから折角なのでということで、私は一つお願いをしました。
『画材を買ってみたい。簡単な色鉛筆類です』
そうお答えしたら……セシル様ったら、気合いを入れて百色以上入っている色鉛筆をお買いになろうとするのですもの。
慌てた解説の方が『あまり大きいと、最初は選択肢が多すぎて選べなくなりますし、取り回しが難しいです……!』とお答えして、代わりに三十色の色鉛筆になりました。
……三十色でもかなり多いと思うのは気のせいでしょうか?
とにかく、そんな思い出の色鉛筆が目の前にあります。
「綺麗……」
どうやって作っているのか分からない、もはや並んだ色鉛筆そのものが美術品のようです。
ですが、あの美術館の方も『使ってこそ』と言ってらっしゃいましたね。
折角ですので、色とりどりの鉛筆を白い紙に触れさせてみます。
「……」
集中して、鉛筆を触れさせます。
強弱をつけると、濃い色と薄い色が大きく異なるのが分かりました。
これが三十色……。
(なるほど、確かに百色以上では持て余しそうですね)
その差が分かるようになって、初めて必要となる道具なのだと思います。
今はこの細かい色の差を見て、一色ずつ色の名前を覚えていきましょう。
ふと、私はとあることに気が付きました。
(そういえば、蜂蜜以外で自分から何かを欲しがったことは、生まれて初めてかもしれませんね)
さらさらと黒い鉛筆で、大体の輪郭を取っていきます。
今は目の前にある、小さな花瓶と一輪の花です。
美術館の方も『まずは見ながら描くのが基本』と仰っておりました。
集中して、集中して……。
…………。
——そうして、夜の余暇を全て使って描いたものは。
「すごく微妙な絵ですね」
思わずそう呟いてしまうような絵でした。
ですが……自分が興味を持ってやってみて、自分の力が全く及ばなかったこの最初の絵に、どうしようもない愛着を感じてしまいます。
何だか、今初めてセシル様がクッキーを作る気持ちが分かったような気がします。
何かに惹かれて、手を動かすというのは、こういう気持ちなのですね。
「次のモチーフは……」
一瞬、セシル様の顔を思い浮かべて……私は鉛筆を置きました。
何故浮かんだかはわかりませんが、今の私では間違いなく下手に描いてしまう。
それがどうしようもなく嫌です。
——自分の中に、これほどまでに『嫌』という感情があることに驚いています。
これも初めてのことではないでしょうか。
私は、自分の知らない一面を引き出した色鉛筆を眺めて、今後を少し楽しみになりながらケースに仕舞いました。
また明日からが一層楽しみになりそうです。




