ウィートランド王国6
無知とは、それだけで罪になるようなものではない。
だが時として、その無知がどんな罪よりも重くなることがある。
特に、影響が本人だけでは及ばないほど計り知れなくなる時。
ウィートランド王国では、そういう状況が今まさに起ころうとしていた。
「——どういうことだッ!?」
剣術大会の夜。
逃げるようにして会場を去ったラインハルト王子は、ティタニアに『来い』とだけ伝えて、会場を去った。
王城まで黙ってティタニアが付いていき、城の自室に入って人払いをした第一声目がこれであった。
全体会準々優勝者の、初戦敗退。
しかも秒殺。
ラインハルトが積み上げてきた信用が大きすぎるが故に、その一戦は困惑で迎えられていた。
「強化魔法は、確かに使ったんだろうな!?」
「使いました。それは間違いありません」
「ならば今日の結果はどういうことだッ!?」
怒鳴られたティタニア自身も、少し違和感があった。
今日の調子が悪かったことは認めているのだ。
確かにここ最近、魔力がいまひとつ回復しきっていない気がする。
少なくとも、来た直後はこうではなかった。
もっと調子が良かったはずなのである。
「少し、書類仕事が重なりすぎたかもしれません。昔の三倍ほどの量をこなしていますし、改善もされませんから」
「ぐ……ッ」
ティタニアの言葉に、ラインハルトも言葉を濁らせる。
実際問題、未だにその部分を自分が全く担当できていないのは由々しき問題であった。
やってみようとは思っていたし、実際に書類の内容を見た。
書いてある文字は読めた。ただ——何も分からなかった。
現在は父である国王陛下が最終チェックを行っている状態だが、当然将来的に自分もその内容を把握できなければいけない。
だが、ラインハルトにとって今はそんなことに考えが回るほどの余裕はなかった。
「しかし、剣術大会は何よりも優先させなければならなかった! 俺の敗退は、国家の恥だ!」
(あなたの恥でしょうに)
と口に出したら後が面倒そうなので、ティタニアは心の中に浮かべるだけで吞み込んだ。
薄々気付いていた。だが、なるべく考えないようにしていたし、一度考えてしまうと書類仕事が滞りそうだったので後回しにしてしまった。
そう。
つまり……この王子、物凄く弱い。
(分かっていた。以前の魔物討伐で逃げ帰っていた時点で)
兵士達が特に頑張るでもなく活躍する姿を見ていた身としては、王子の動きは明らかに精細を欠いていた。
確かに魔物に挑んでいく姿は勇気があるものだが、自分の力量を知らない様は無謀とも見えた。
いつでも自信満々な姿に『勇気と無謀は違うと言うが、行動自体は一緒なのだな』とそんなことをぼんやり思っていた。
尚、それに伴って……言うまでもないことだが、ティタニアの心は王子からとっくに離れつつあった。
仕事しない、練習しない、この上で弱い。
もしも多少なりとも出来が悪くても、優しく友好的であればこんなに落胆することはなかったであろう。
(見ている分には最高の美男子やったなー)
昔を嘆いてみても仕方ない。
ティタニアは頭を切り替えて、今後のことを考えていた。
「私の強化魔法で不足なのなら、別の聖女にでも変えますか?」
「お前より上の強化魔法の使い手がいるのか!」
「いえ、いません。というより、強化魔法を専門としている聖女はいません。聖女は遠征地を守ったり、怪我を治療したりするのが専門ですので」
「……」
ティタニアの返答に、再びラインハルトは言葉を詰まらせた。
「質問なのですが」
今度は、ティタニアからラインハルトへの質問が始まった。
「強化魔法というのは、通常どれぐらいのものだと考えていますか?」
「強化魔法は、その者の能力を数値分だけ倍にするものだろう」
単純な答えだと、腕を組んでラインハルトは堂々と答えた。
その返答を聞き……ティタニアは頭を押さえて溜息を吐いた。
「一番は譲らなければならないようです」
「何?」
それから、ティタニアは残酷な答えを示した。
「強化魔法は、あくまで補助魔法。能力を1.1倍するのを基本として、小数点以下の数値を上げていくのが強化魔法の基準となります」
「……小数点以下、だと」
「当然です。だってそうでなくては、二倍と三倍では大人と子供ぐらいの差がついてしまうではないですか。そうなってしまえば、『誰に強化魔法を受けるか』で勝負が決まってしまいます」
それは、至極当然の答えであった。
特にラインハルトの場合は、他の参加者の強化魔法が四や五、つまり、同じ体格だったとしたら体重換算で70kgと150kgぐらいの差があることになる。
そんな者同士で力任せにぶつかり合えば、結果は言うまででもない。
(アンバー様は……通常時で十から二十ほどの強化能力を持っていたのですね)
今更になって、あの表情の薄い聖女の凄さを思い出す。
書類仕事にしてもそうだった。やればやるだけ、前任者の有能さが思い知らされる。
話を聞けば、アンバーは仕事が早く、計算のミスもなかったらしい。
そんな者、専門にしている人達でもどれだけいることか。
「だとしたら——」
ラインハルトが何かを言おうとしたところで、部屋の扉が開かれる。
通常、王子の部屋を勝手に開くようなことは許されない。
当然ラインハルト王子も、遠慮なく開かれた扉に怒鳴りつけた。
「王子の部屋に! ノックもなく入ってくるとは一体誰——」
振り返った瞬間、その声が完全に止まった。
部屋に入った人物は、そのまま許可を取ることなく足を踏み入れた。
「こうして会うのが、随分久しぶりな気がするよ」
ラインハルト第一王子より明確に偉い存在。
ウィートランド王国、国王陛下その人が入ってきた。




