グスタフ1
専用のケースに入れて、細い銀色の棒を拭いてメンテナンスする。
見た目はシンプルなものでも、なかなかのいい品物だ。
細かい傷は増えたがずっと大切にしている、俺の相棒だ。
スロープネイト王国の王城は、でかい。
いや、でかいのは当然なんだが、この城は王族のみが使うもようなものではなく、実用性重視でいろいろ使えるようになっている。
巨大な訓練場が、城の中にしっかり組み込まれているのもその理由の一つだ。
この訓練場が中にある理由を体現するのが、あの王女様である。
第一王女ラナ。セシル王子の妹。
まだまだ最初の頃、俺も体格がまだまだ小さく、年上の兵士達に揉まれていた頃があった。
その頃からセシルとラナの二人は、途轍もなく強かったのだ。
何と言うことはない。
王城は、王族のためのもの。この訓練場もその一つ。
他国だとどうかは知らないが、この国の王族は実に効率重視で自分達に厳しい実力主義だった。
訓練場を最も効率的に使えンのが、王族が兵士達に解放して一緒に練習することだったってわけだ。
俺とセシルは、それよりも前に出会っている。
『歳の近い人がいるって聞いたけど』
『わっ……王子、殿下……!』
親が遠方での領主の一人をやっていて、何度か一緒についていったことがある。俺が城の中に入ったのも所謂特権ってやつだった。
セシル王子は、頻繁に城の中に入る俺を見て、話しかけてきたわけだ。
今思えば、この王子サマは結構大胆なことやってンなって思う。
幼い頃の年齢差は大きい。俺よりかなり小さいセシルは、最初にこう言った。
『敬語とかなしで』
『無理ですよ、そんなこと許されない。父上は怒る』
『強くなって何かの隊長になったら大丈夫だと思う。近衛とか、あと城の常任のリーダーとか』
『じゃあ、なれたら……』
そんな約束を取り付けたんだが、それでも当時の俺からしたら凄い出来事だと思ってな。
親に話して、三人兄妹の次男坊だったから、それで城の常任になれるのならやってみろとお墨付きを貰った。
そこからの日は、本気の訓練の日々だった。
当時は、セシルも訓練相手だった。
ラナも訓練相手だった。
そんな日々を過ごしていると、当然田舎領主の場所から都会に出た俺には、様々な文化が一気にやってくる。
音楽もその一つだった。
基本的に地方の音楽といえば、収穫の時の麦刈り唄とか、後は焚き火の唄とか……まあ、農業に関するものだったな。
みんなで歌ってリズムを合わせて作業する。それが土着の民俗音楽における歌の役目。
都内の街中で、ホイッスルと弦の演奏を見たのは、そんな認識をふっとばすほどのものだった。
軽快で楽しい音楽。歌以外の音楽。
俺はその楽器を初任給で買ってやろうと、ますます練習に力を入れるようになった。
細かいことは割愛するが、それで俺グスタフが城の防衛隊長を任されるようになったのは数年前のこと。
約束通り、セシルは数少ない幼馴染みの友人として、ラナは『じゃあ私も!』と譲らず、今の関係となった。
その間に——ラナは全ての戦士の頂点に立ち、セシルは訓練場から姿を消した。
セシルにとって、ラナは妹だ。
その妹に剣で敵わなくなるというのは、どういう感覚だろうか。
うちにも妹がいるンだが……本を読んでダンスの練習をするようなヤツだ。
もしも剣をぶつけて力負けしたらと想像すると、自分の心をどう維持したらいいか分からねえな……。
ラナも気が付いた時には、対外的には妹と分からないように……いっそ姉っぽい雰囲気で振る舞うようになっていた。
あれは、ラナ自身も思うところがあるのだろう。
ま、それでも仲は良好だ。
セシルはクッキーを焼き、ラナは一人で鍛錬し、俺は二つの練習をする。
時々現れる魔物を討伐し、地下の裏門から『死の森』へ行く。
頻繁に魔物を間引いたり、あとは良さそうな素材をそこで回収したりな。
ラナがキングリザードをいくつも刺し、俺も随分と倒した。
うまくいかないこともあり、部下が怪我をして帰ることも多かった。
——そんな死の森から、俺の妹とほとんど差がねェよっていう見た目の美女が現れやがった。
武器なし、鎧なし。ドレス姿のお嬢様だ。
こっちは警戒心丸出しで話しかけるんだが、驚いたことにこいつは全く苦労らしい苦労をせずに死の森を抜けてきたらしい。こっちが驚いてることそのものに気が付いてねえ。
しかもあのブラックスライムを討伐したと聞いて、ラナがもう跳び上がって驚いた。あんなに驚いた姫は初めてだった。
まあ、あのスライムはマジで倒した記録が残ってないレベルの魔物だからな……。
兵士達に怪我を負わせたブラックスライムは、凄まじく強い上に、明らかに知能が高すぎる。
熟練の剣士を相手にしているような緊張感があるが、ラナが致命傷を与えようとした瞬間に土に潜りやがる。
地面の中は追えねェよ。パンチ一発でクレーターを作るぐらいのパワーか、あの即死レベルの攻撃を全部防いでブラックスライムを空中に投げるしか方法がねえ。
そのブラックスライムを、初見撃破。
ラナが全力で城への招待を切望したのは当然だろう。
何もラナにプライドがないわけじゃない。
それでも『守れなかった場合』を常に考えているのが、あのお姫サマなんだよな。
自分が国で一番強いのを分かってる上で、冷静に自分に対処できない相手と対峙した時を考えている。
アンバー・ソノックス。
あれだけ優秀な魔道士が、あんなに敵意も何もなく話をしているのだ。
味方にしないなんて嘘だよな。
ただ、味方にするといっても難しいのが、アンバーが完全に無表情なことなンだよ。
好意的なのか、最初はかなり怪しかった。無表情つったら、完全に警戒してるヤツの顔だからな。
ところがアンバーは、全く事情が違った。
正直、俺としちゃアンバーの能力の高さとか家柄とか聖女とかより、その生い立ちの不気味さの方が信じられねえ。
公爵令嬢家なのに無休で事務仕事をして、聖女の力を封じられた状態で強化パーツ扱い。
しかもそれを全部封じられた影響で無能として扱われ、クラーケンの海へたった一人で島流し。
……人間のやることじゃねえよ。
この城の兵士の誰に話したとしても、全員が復讐の炎を燃やすだろうさ。
だが、アンバーは違った。
(サクサクサクサク……)
こいつは喜びの感情を表さない分、悲しみの感情も表さない。
こっちとしちゃもどかしくてしょうがないんだが……アンバー自身がセシルのクッキー食ってりゃ全ての生い立ちを許してしまいそうな感じで、こっちの気勢が削がれちまうんだよな。
そうだ。
クッキーだ。
セシルの趣味が暴走して、特にここ数日は明らかに余らせ気味だったクッキー。
少しずつ配って、残りは本人が消化しようとするもんだから太らないか心配してたんだよ。
聞いてびっくりだ。アンバーは太らないらしい。
それどころか、甘い物は全部魔力に変えちまうらしい。
俺が一番アンバーの成果とみているのが、このクッキー消化してるだけで魔力が生成される瞬間だ。
以前からセシルが過剰に作りすぎた時の顔っつーのは、どうにも見てられなかったんだよな。
自分が良くない趣味をしているのでは、と言わんばかりでよ。
とはいえ街の店にもレシピの需要があるし、本人はやりたいと言ってるし。
黙って陳列するという案は……それで一度大変な目に遭ったのでお蔵入りとなった。
ここに、まさかぴったりの消化役が来るとはな。
セシルとアンバーは、パズルのピースだ。
あまりに歪な突起をしており、どんなピースを隣に持ってきても全然入りやしねえ。
ところがこの特殊な条件を持った趣味のセシルと、意味不明な魔力補充方法のアンバーが、ぴったり嵌まりやがる。
俺にとって、これが一番アンバーの存在を喜ばしいと思えることだった。
お陰でセシルが活き活きしてるんだよ、ここ最近は。
申し訳なさそうにしていたあの感じがなくなって、以前はセバスに運んでもらっていた具材を、堂々と胸を張って自分が運んでいる姿を他の人に見せている。
俺もそれを体験した。
ローホイッスルの時がそうだ。
アンバーは趣味を否定しないし、感想に表裏がない。
忌憚なく思ったことを言ってしまうが故に、こちらに対して配慮しているような、忖度した回答がないンだよ。
そんなアンバーだからこそ。
『女性もみんなムキムキマッチョ楽団、どうでしょうか』
もう大笑いだよ!
こいつ、間違いなく大真面目に良い楽団だと思って答えてやがる!
最高だ、そんな楽団なら確かに俺は無個性な普通の一メンバーになっちまうな!
セシルの菓子作りと同じように、俺もこの趣味を堂々と披露していい気になってきた。
次の給料は、大楽団向けの楽器でも買うか?
今の気分の俺なら、チューバではなくフルートを選んでも、胸を張って演奏できるぜ。
すっかり俺も、アンバーというスロープネイト王国の台風の目に注目してしまっている。
停滞した時間に変化をもたらす者。
大陸から現れた聖女。
これだけ、いいキャラしてンだ。
セシルの変化も、当然すぐに分かった。
女っ気のなかった王子があれだけ積極的に関わろうとしていれば、近い者でなくても否応がなく分かる。
王子にとっては、『蜜の聖女』なんて名前がなくても聖女サマだろう。
人生を全肯定してくれるような女なんだから。
ただ……問題もある。
(それは……アンバーの気持ちを読むのがすッッッッッッッげえ難しいことなんだよなァ……)
というのも、アンバーの感想が本当に忌憚なさ過ぎるのだ。
感情がどこにあるのか、判断できねえ。
『セシル様は一番好きです。一番美味しいクッキーを作りますから』
なあ、これどう見るンだよ?
俺にはとてもじゃねーけどわかんねェよ……。
悪いことにはならないとは思うが……二人の未来は全く読めねえなと思いながら、俺は楽器をケースに仕舞った。




