アンバーとコンサート
サロンに入ると、何やらセシル様が執事の方とお話をなさっていました。今日は、メイドのナタリーではなく執事のセバス様がサロンのお供です。
私が入って来たことに気付いた瞬間、お二人はこちらを向き話を止めました。
「やあ、アンバー。遅かったね」
「少しグスタフ様の所に寄っていまして」
「……グスタフの所に?」
話題を出した所、セシル様は訝しげな表情をしました。
「あっ……そういえばセシル様は、グスタフ様の三階のお部屋でのことを知っていらっしゃるのでしょうか」
「部屋…………あ、ああー、もしかしてアンバーは見たのか?」
セシル様が、両手で何かを持つような姿で両手を体の前に置きます。
その姿がローホイッスルの演奏姿勢であることは明白で、首肯しました。
「知っているかと言われれば勿論。何だか僕のお菓子作りと似ていてね。それで」
「はい。すぐ下が私の部屋なもので、薄ら聞こえてきまして」
「そうか、アンバーは部屋でも静かだろうし、否応なく聞こえてくるだろうね」
この話をするということは、セバス様もご存じなのでしょうか。
「隠しているわけじゃないと思うよ。ただ、剣に比べて人前で練習する姿を見せたり、練習途中の音を聞かせたりしたくないと言っているんだ」
「何だか職業演奏家の方々みたいな意識の高さですね」
「でしょ? 僕もそう思うよ」
セシル様が私の感想に笑います。
「セバス様は、演奏をお聴きになったことがありますか?」
「……自分ですか?」
あまりお声を聞かないセバス様に、話を振ってみます。
聞かれると思わなかったのか、珍しくセバス様は驚いていらっしゃいます。
セミロングの黒髪を傾けながら、赤い瞳で私の目を覗き込みました。
よく見ると、独特で不思議な瞳をしていらっしゃいますね。
セバス様は、セシル様に許可を貰うように視線を向けると、セシル様が微笑みながら頷いたことでこちらに向き直りました。
几帳面な方でいらっしゃいます。
「自分ももちろん、演奏を聴いたことがあります。昔、酒場でも働いていた時に楽団の演奏を聴いたことがあるのですが、遜色ないですね」
「ですよね。とても慣れてらっしゃるのが分かりました」
ふと、セバス様に話を振った時に、興味深い話題が出ました。
「ところで、楽団というのは演奏会ではなく酒場にいらっしゃるのですか?」
「はい。小規模楽団ですね。大規模な楽団は演劇の伴奏をしたり、もちろん劇場でコンサートをしたりもしています」
「大規模なコンサートですか」
「コンサートに興味ある?」
セシル様が、今日のスイーツをお渡しになりながら質問してきました。
私は頷いてから、タルトを口に……まあ、今日のはザクロのタルトです。
もぐもぐ……。
「それじゃ、今度行ってみようか」
「(もぐもぐ……)はい、是非。行ったことがありませんので」
「……行ったことがないのか?」
私は、ふと『音の聖女』のことを思い出しました。
あの方は、私が王家に入る代わりに私の領地に来た聖女です。
あまりお会いしませんでしたが、弟の相手を何度かしているのを見かけたことがありましたね。
音楽、歓声、騒音……その全ての音という音で魔力を得るため、喧噪の中に身を置く方です。
あまりお屋敷にいらっしゃらなかったのは、それが理由でした。
お給料は確か国からも補償していただいているので、私が居なくなった後もいらっしゃるとは思うのですが。
「そんな聖女が自分の侯爵家に来ていたのなら、一緒にコンサートに行ったんじゃないのか?」
「いえ。開催されたコンサートの全てに弟と聖女は行っておりましたが、私は一度も体験したことがございません。経験した音楽と呼べるものは、路上で行われる方が、街中で踊っている方のために鳴らすものだけですね」
そう答えると、セシル様は目を閉じて頭を抱えながらうずくまりました。
……大丈夫でしょうか、タルトが何かお当たりになっていなければいいのですが。
うずくまったセシル様がセバス様を見上げると、セバス様は「私ですら、ありますよ……」と、よく似た表情で仰いました。
「決めた」
セシル様は、手を叩きました。
「一緒に行こう、コンサート。それに、今度は美術館にも一緒に寄ろう」
「まあ」
セシル様が、いろんな場所へお誘いになってくださいます。
これは、街の人気店でケーキを食べて魔力補充、というものとは全然違います。
一切の打算なく、私と一緒にいてくれるというのです。
こんなに表情の変わらない私に、ここまでしてくださるなんて、本当にお優しい方です。
やはり、何かお返しでもしたいですね。
「そろそろ他のお仕事も回して下さってもいいのですよ」
「前も言ったけど、そこまでしなくても」
「そうではなくて、セシル様のお仕事が早く終わる方が、遊びに行く時間が長くなっていいかなと思っただけです。以前の場所では王子の事務仕事を全て私が引き受けていましたし、役に立てた方が効率的かなと」
セシル様、今度は上を向いて目頭を手で押さえながら「天使かな?」「女神かもしれません」と、セバス様と会話なさっています。
……どういう感情での会話なのか、私には読み取ることができませんでした。
なにぶん、ただ私が沢山遊びたいというだけの提案でしたので。
「そういうことなら、この後部屋に来る?」
「是非。でもその前に」
私は紅茶の一杯目を飲み干して、テーブルの上にあるタルトをもう一つ手に取りました。
これは、梨でしょうか。美味しそうです。
セバス様が、空のカップに紅茶を追加で注いでいます。
心なしか、来た時よりも楽しそうな表情をしているのは、私の気のせいでしょうか。




