セシル2
幾度となく、夢に見てきた光景。
自分が避けてきた、決勝の舞台。
最初にその舞台に憧れたのは幼少期で、諦めたのはその数年後。
あれから何年経ったのか——。
「思ったのですが」
昔のことを思い出していると、ここ最近ずっと僕の隣にいた声が聞こえてきた。
冷静で、どんな時でも落ち着いた綺麗な声。
アンバー。
この決勝まで、一気に僕を持ってきてくれた少女。
一見どこか機械仕掛けの人形じみた完璧少女は、一方で誰よりも人間的な要素を秘めている。
「うん、何かな」
「(サクサクサクサク……)魔法についてです」
気が付いたらクッキーを食べている。
僕が作ったものを特別に気に入ってくれて、いつも食べている。
美味しいものに対する感想は素直で、それがこの人の感情がきちんとあるということを表している。
だから、そんな彼女が何かしたいと考えたのなら、積極的に協力したい。
でもまさか、アンバーの希望が僕の剣技試合参加だなんて。
始めは、強化魔法に関する話からだった。
「魔法について、というのは?」
「私とセシル様の強化魔法は、最初からいい相性だったと思います。練習も慣らしも、何もなくても」
「そうだね、僕自身こんなに馴染みがいいなんてびっくりしてる。ちょっと今日は不調もあったけど」
「何故か、分かりました」
今日最大の懸念事項を、アンバーはあっさりと解決してみせたらしい。
冷静だ、驚く他ない。彼女は舞台の外でもずっと真剣だった。
やはり二人一組の名前で出したのが正解だった。ずっと一緒に戦っている。
「原因は」
サクサクサクサク。
小気味よい音が控え室に響く。それは試合前の緊張感には似つかわしくなく、それでいて緊張をほぐすようなどこか滑稽さもある。
「(サクサクサクサク……)……つまり、これです」
アンバーは、半分まで食べたビスケットを見せた。
「……これ?」
「はい。思えば最初からそうでした」
アンバーはそこで、さらりととんでもない真実を話す。
「セシル様のクッキーを最初に食べた時、妙に魔力の回復量が多いなと思ったのです。数枚食べた頃には、普段以上の感覚がありました」
「それは……確かに光栄なことだが、甘い物なら何でも魔力を回復させるのでは?」
「もちろんそうです。ですが、強化魔法の相性があるように、防御魔法も食べた物の影響を受けるのです。これは魔力量だけに限った話ではありませんでした」
魔力量だけに限った話ではない?
「以前、ラナ様と城を守る防壁魔法の耐久実験を行ったのですが、ウィートランド王国にいた頃よりも、明らかに精度が上がっていたのです。具体的に言うと、ラナ様の中級魔法を十発ほど耐えました」
「じゅっ……!?」
アンバーの何気なく言った言葉は、とんでもない情報だった。
ラナの魔法は、半端なく強い。城勤めの魔法兵士では、バリアで一撃防いだら合格というラインなのだから。
それを、城全体覆って十発……魔道士としての基本性能が違いすぎる。
「この精度の魔法を発動できなかったのは、第二回戦です。その理由もはっきり分かりました」
「で、では、その理由は……?」
アンバーは、残りのクッキーを食べ切って、さらりと言った。
「セシル様です」
「……僕?」
「はい。セシル様が作ったクッキーでないと、セシル様のケーキでないと、アイスやティラミスやタルトでないと、何故か魔法が従来の性能に戻ってしまうのです」
そう言われて、完全に納得がいった。
確かに第二回戦前に食べたものは、街の人気店だった。
しかし、まさかそれだけの理由で……?
困惑する僕の前に、アンバーが歩み寄る。
僕の胸に、その小さくも温かい手が触れる。
「さっき食べたのはセシル様のクッキーです。ですので」
瞬間————莫大な力が、一気に体に湧き上がってくる。
頭の中までクリアになっている。体中を電流が走っているような。
本当に、自分が全くの別生物になったような感覚すらある。
最後にアンバーは、一歩引いて淡々と言った。
「セシル様のクッキーを食べた私は最強なので、私の強化魔法を受けたセシル様は最強です。……多分。とはいえ、勝っても負けても私の中では、料理の上手いセシル様が一番ですよ」
そんな、エールを送っていると言い切るにはふわりとしたアンバーらしいコメントで、彼女は静かに観客席の方へと向かった。
——勝っても負けても、料理が上手いから一番。
ただ、これほどこの戦いにおいて緊張しない言葉があるだろうか。
実にアンバーらしい、熱は全くないけど冷たさも全くない、等身大の言葉を貰えた。
あとは、全力で戦うだけ。
「もうちょっと長話してるかと思った」
「ま、聞きたいことは全部聞けたから」
正面には、自分とよく似た女性。生まれた頃から一緒で……自分が追うのを諦めた相手。
第一王女にして、前回優勝者。
ラナ。僕の妹。
強化魔法を使って貰って勝つのは、正々堂々とは言わないのかもしれない。
それでも、彼女の希望で、彼女と一緒の力で挑みたいと思ったのだ。
「妬けるね。アンバーは私も大好きだから、兄妹で取り合いかな?」
「それじゃあ——尚のこと、渡せないね!」
その言葉と同時に、踏み込んで振り抜く!
木剣同士がぶつかり、ミシリと音を立てる。
軽量でありながら耐久性も上げている特別製だけど、長期の戦いには耐えられなさそうだ。
「つぅ……! 本当に、半端ない、ねっ!」
ラナが体を流れるように沈め、逆袈裟で斜め下から振り抜いてくる。
直撃したらあばらが折れて呼吸困難では済まないであろう一撃を、僕は予備動作の段階で更にしゃがんで避けた。
頭上に振り抜いた風圧の音が響き、髪がいくつか靡く。
「そこッ!」
外すとは思っていなかったのか、やや大振りになってしまった振り抜きざまの胴に向かって、突きで攻撃する。
点攻撃は防御しにくい。だがラナは、腕を引くことによってダメージを二の腕で受けた。
「……ッ!」
それでもかなり痛みがあったのか、剣を片手で持ち——視界から消えた。
地面には、砂煙で弧を描いたような跡。
——後ろだ!
僕はラナがいた場所に飛び込みながら、後ろを振り向いて剣を構える。
両腕に、ミシリと強い痛みがある。ラナが大上段から一気に脳天目がけて振り下ろしてきたのだ。
「ちょっ、判断早すぎない?」
「強化魔法受けてから、頭の回転も速くなったみたい」
「マジ? 仕事中に使ってもらえば?」
そんな軽口を叩きながらも、幾度となく剣で打ち合う。
技術はさすがで、受けて防御してのスピードが拮抗していても、肩や腿に細かく攻撃を受けている。
かなり危ない状態だ。
「そこ!」
自分の体に気を散らしていた瞬間、ラナの突きが頭を打つ。
痛みと衝撃に、一瞬頭が真っ白になった。
走馬灯にも感じる痛みの中、控え室の姿をフラッシュバックした。
『勝っても負けても』
アンバー、君は感情が薄いから、何気なく言った自分の言葉に深い意図はなかったのかもしれない。
だけどね。
僕みたいな男でも、そう言われたら——。
——意地でも勝ちたくなるんだよ!
「なっ……!」
追撃で決めようとしたラナの袈裟斬りが振り下ろされる直前、その手を僕の木剣の先端が綺麗に捉えた。
指先に直撃した攻撃に、ラナの木剣がスローモーションで飛んで行く。
その剣が地面に突き刺さる頃には、僕の木剣がラナの喉に振れていた。
自分の状況を察したラナが、両手を挙げて高らかに宣言した。
「…………は、ハハハ! 凄い! 降参降参! 完全に私の負けよ!」
ラナは、自分が負けたというのに。
まるで自分の事のように嬉しそうに、僕の勝ちを喜んだ。




