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アンバーの好きなこと

 やりたいこと、やりたいこと。


 やりたいことという言葉の意味は分かります。

 つまり『私が何をしたいか』ということですよね。


 それは分かるのですが……。


「思いつきません」


 私の返事に、セシル様は表情を固めたまま聞き返します。


「思いつかない? アンバーは海の向こうで、普段は何をしていたの? 何が好きだったかとか」


「遠征時は村の守護と騎士の治療ですが、最近は王子専用の強化魔法を使うと、魔力切れを起こしてばかりでした。普段は政務官のお手伝いです」


 そうですね、ここ最近は特に忙しかったと思います。

 引き継ぎするべき仕事もそのままでしたし、滞っていないと良いのですが。


「せ、政務の仕事以外の時間は? そこで気に入ったものは」


「政務のお仕事以外でしたら、勉強でしょうか。後は魔法の練習……も最近は魔力切れを起こすので全く」


 勉強に使う時間も政務の仕事に使う時間が侵食してきていたので、本当に本はしばらく読んでいません。

 元々どんな本が好きだったのかも忘れてしまいました。

 今すぐ必要なもの以外は、どうしても後回しにせざるを得ないですから。


「……子供の頃の、夢とか……」


「物心ついた時には、もう弟の方が愛されていましたし」


 もっと幼い頃ならまだ交流していた頃があったのかもしれませんが……今となっては分かりません。

 家の中には、弟が遊ぶための道具と、多分母上の宝飾品が沢山ありました。そのアクセサリーの数々は、随分と少女趣味だとは思いましたが……。


 私がそこまで話すと、セシル様は目を覆ってしまわれました。

 黙ってらっしゃいますが、もしかするとお話しする内容が失礼だったのかもしれません。


 ズキリ。


 ……何でしょうか、今のは。

 分かりませんが……この感覚を放置していると、どうにも心が落ち着きません。


 会って初日ですけど、このセシル様が普段からとても明るく、それでいて仕事を丁寧にこなしているのは分かります。

 話している内容が本当なら、私に会った時点で仕事を全て終えて、その上でクッキーを空き時間で焼いていたのですから。


「何か、ないのか……? 好きな物は……」


 そういえば、さっきからずっと同じ問いをしてらっしゃいます。

 好きな物、好きな物。


 ——あっ。


 私は手を叩き、セシル様の目がこちらに向きます。

 彼の紫の瞳と目を合わせると、テーブルにあったものを手に取りました。


「敢えて言うなら、これです」


「これ……って、クッキー?」


「はい」


 私は口に含み、その生地を歯でさくりと割ります。

 あっ、今度はナッツが入っています。何のナッツなのでしょうか、とても香ばしいです。


 サクサクサクサク……。


「私は、甘い物を得ると魔力が補充出来る体なのはお話ししたと思うのですが、必要最低限しかいただけませんでした。一番好きな物は、それこそその瞬間にいただけるスプーン一杯の蜂蜜ぐらいで」


 それでも、あの蜂蜜を口に入れている瞬間だけは幸せでした。

 私が『蜜の聖女』という力を得られた中で、一番感謝したい部分かもしれません。

 火や水や花では、なかなかお腹は膨れませんからね。


「お部屋で最初にいただいたクッキーは、一体何を使っていらっしゃったのですか?」


「えっ? あ、ええっと。あれはね、紅茶の葉を生地に練り込んでいるんだ。紅茶にベルガモット、柑橘系の香りを載せているので、それが相乗効果としてクッキーの中に入っているんだよ」


「まあ」


 お茶が、お菓子の中に。それだけであんなに優雅な味になるのですね。

 食べている間、新しい味ながらどこか馴染みがあって手が止まらなかったのも納得です。


「今食べているこちらは?」


「これはね、松の実……針山みたいな葉っぱの木から採れるナッツを入れているんだ。生地はバター多めだから、紅茶にも合うと思うよ」


「はい、仰るとおりです」


 私は、少しこってりしたクッキーを食べ終えると、紅茶を飲み干しました。

 満足感が段違いですね。

 あっメイドの方、追加の紅茶をありがとうございます。食い意地ばかりでお恥ずかしい。


「これらのクッキーは、どれも私が食べたことのないもので、何よりウィートランド王国で食べた市販品よりも美味しいと感じました」


 これはもう、掛け値なしに事実としてそう思います。

 私でなくてもきっと同じことを思いますね。


「思えば王子の手作り品を、国外からやってきた私のような女が独占している時点で、かなり贅沢と言わざるを得ないですけど」


「アンバー」


 話の途中で、王子が身を乗り出して私の目を見る。

 その目はこれまででの特に真剣な目でした。


「君は——」


 セシル様が何かを言いかけた直後、サロンの中にけたたましいベルの音が鳴りました。


『警告! イビルグリフォンが石山を超えてきた! 手の空いている物は討伐に参加を!』


 何やら大きい声で、城の中に声が広がります。凄い技術ですね。

 って今はそんな感心をしている場合ではなさそうです。

 メイドが頭を押さえてしゃがみ込み、セシル様が警戒を露わに立ち上がります。


「魔物が越えてきたのか! アンバー、君は」


「——セシル様」


 私はそこで手の平を前に出して、セシル様の発言を止めます。

 今の言葉……この国の事情を知らずとも、何が起こったかぐらいは分かります。


 これだけ、沢山いただいたのです。

 普段の私から考えると、想像も出来ないぐらいの恩恵だと思います。


 甘い物をいただいた時は、役目がある時。


 だから。


「その魔物、私が倒しても構いませんか?」


 ここからは、『蜜の聖女』の出番です。

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― 新着の感想 ―
前話感想での失態、申し訳ありませんでした。 アンバー、感情の振れが希薄なせいか欲というものも生存本能レベルしかないみたいですね。 加えて趣味のようなものに目覚める機会も、環境のせいで与えれなかった…
ひょっとしてアンバーの母上さんはアンバーのアクセサリーを取り上げていましたか?何かアンバーに彼女自身も知らない秘密がありそうですね。
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