セシル 1
何もない、ということはそれだけで幸せなことである。
かつて争いがあった頃の人は、そう言った。
それでも僕は、何か日々の変化が欲しいと思っている。
城の窓から見渡せる、平和な城下町。
何よりも尊い、変わり映えしない一日。
僕は一通りの書類仕事を終え、日課を始めた。
——そんな『スロープネイト王国』に、本日新しいお客さんがやって来た。
「……(サクサクサクサク)」
彼女の名前は、アンバー。
金髪金眼の、名前がその容姿を表していると言っても過言ではない、琥珀のような少女だ。
僕の部屋でクッキーを食べていたことには驚いたけど、悪意のある侵入者じゃなくて良かった。
というか、そんなことで驚いていられなかった。
アンバーは、なんと北の大陸から来たらしい。
この国の周りには強い魔物が多く、特に海岸付近は強い魔物の巣窟でもあるので、わざわざ海にまで出ようとは思わない。
だから、まさか海の向こうの国から人が来るなんて想像も出来なかったよ。
「……(もぐもぐ、ごくん)。……(サクサクサクサク)」
無言で、無表情でクッキーを食べていく様は、幼い少女のようで微笑ましい。
見た目からは、恐らくそこまで子供ではないと思うのだけど。
「……(ごくん)。……あの」
アンバーが、食べるのを止めて話しかける。
「私みたいな女を見ていて、面白くないでしょう。ご自分の時間をお使いになられては」
——そう、これだ。
アンバーは、頻繁に自分の容姿を下げる発言をする。
正直聞いていてあまり気持ちのいいものではないし、何より彼女本人は凄まじく整った顔立ちをしている。
こういう場合、傾向としてあるのは親からの刷り込み。
そして……ほぼ間違いなく、婚約者から日々言われて来た影響だ。
男が、女性の容姿に言及するだけでも憚られるというのに……こんなに可憐な少女を、ここまで洗脳するほど言い続けるなど……。
「アンバー、何度も言っているけど君はかなり容姿はいいし、あまり言うと嫌味に感じてしまうよ」
「……? 不思議なことを仰るのですね。でも確かに、世界最下位でもない限りはどこで嫌味になるかは分かりません」
基準値が一体どこにあるのかというほど、自己評価が低い。
傲慢なよりは余程いいとは思うけど、さすがにちょっと気になるなあ……。
アンバーに興味を持ったのは、もちろん僕だけではない。
「『北部討伐隊』特別隊長の私がお手本を見せるから、それに続いて自由にやってちょうだい。——《フレイムアロー》!」
ラナが、(普段よりお姉さん振りながら)アンバーに魔法訓練所で実技を見せている。
火の玉が人の頭ほどに大きくなった瞬間、一直線に鋼鉄の的へと着弾した。
高速で高威力、ラナの攻撃魔法だ。
「あれと近い感じでやればいいのですか?」
「ええ。ブラックスライムを倒したという魔法、本当なら是非ともお目にかかりたいもの」
「分かりました。でしたら同じ魔法を実演します」
アンバーは無表情で頷くと、片手を上げた次の瞬間。
————バシュッ!!!
右手から、明滅したかのように魔方陣が表れ、光の線が一直線に鋼鉄の的へと吸い込まれた。
煙を上げている的からは、向こうの景色が見える。
……いや、ちょっと待ってくれ。
まさか、あの分厚い鋼鉄の的に穴が空いたのか……?
ラナの顔が、面白いぐらい驚愕に目と口を見開いている。
一方それを行ったアンバーと来たら、ラナの方を向いて無表情で首を傾げている。
可愛い。小動物系の最終兵器か何かかな?
「す、凄い威力だね……」
「あっ、申し訳ありません。壊してしまったので、驚かれましたよね」
「あー……いや、まあそれはいいんだが……」
驚愕から戻って来なさそうなラナを、軽く小突いて起こす。
はっとしたラナは、アンバーに掴みかかる勢いで顔を近づけた。
「ね、ねえアンバー? 今……どうして無言で魔法を撃ったの?」
「無言ですか? いつも無言なので、ちょっと分かりません」
あれ、そういえばそうだな?
魔法を発動するための言葉がない。
そうでなければ、体の魔力を定義させるのは難しいんだけど。
ラナが的に手を向け、「っぬんッ——!」と気合いを入れる。
その結果は……細い火の矢が出て、的に当たる前にスッと消えただけだった。
同じ魔法を撃って、相当な下位互換の魔法が出たんだろうなアレ。
「ええ、無詠唱って普通こうよね。アンバー、まさか魔法の名前、全部省略しているの?」
「はい、というか……もしかして、あの項目名って発音するものだったのですか? 確かに皆さん叫んでおりましたが」
「項目名じゃなくて発動トリガーなんだけど、発音したことないの? じゃあ、魔法の名前や他の人の魔法を何だと思っていたの?」
「物語の本に出てくる英雄みたいに、その……叫びたいお年頃だったのかなって。男性の方は皆さんそういうところありますし」
「私の魔法は、思春期の厨二病だった……?」
あまりにも斜め上の回答をされて、ラナは頭を抱えながらしゃがみ込んだ。
何だか可哀想になってくるぐらい、今日のラナは振り回されっぱなしだ。
「アンバーの国では、みんなアンバーみたいに強いのか?」
「あっ、違います。私は特別強い魔法が使える者でして」
話を聞いていて思ったんだが……。
……ウィートランド王国は、何でこんな優秀な大魔道士を追い出したんだ?
明らかにいなくなったらまずいでしょ。
「婚約者からは甘い物をいただけず、魔法は滅多に使って来なかったのですが」
「魔力の補充が出来なかった、ということ?」
「そういうことです」
驚いた。この子に甘い物を制限するメリット、皆無だろうに。
ってことは、その婚約者もアンバーの本当の実力は知らないってことか?
「……クッキー、食べる?」
「あっ、いただきたいです」
表情は変わらないものの、僅かに食い気味に身を乗り出した彼女に、くすりと笑う。
「いただきます。(サクサクサクサク……)」
とんでもない子が来たなあ。
僕はアンバーのクッキーを食べる姿を見ながら、無知な王国の婚約者に怒りと、それ以上の哀れみを感じていた。




