第70話 人になりたい
虚淵と真白が部屋を出て行った後もガマはその部屋に残り続けた。自分は不老の存在だと思っていた。少なくとも人並みの人生を送れると思っていた。火野真理に救われ、人として生きた数年の記憶がそう自らを錯覚させていた。
冷たく押された死の宣告は、ガマの精神を大きく削った。彼に救いがあるのなら、それはまだ彼が生きていること、そしてまだ家族と言える人、友達と言える人がたくさんいること、たったそれだけだった。
「どうした兄弟?へこたれた顔して、なんか嫌なことでもあったのか?」
ガマの耳に入って来たのは、聞き慣れた土蜘蛛の声だった。膝をつくのを止め、フラフラとしながらも立ち上がったガマは、崩れた顔を戻して答えた。
「何や、来とったんか……何のようや……」
その声は、ドスの聞いた声ではなく、どうしようもなく震えていた。一言で正気ではないことがわかるほどだった。土蜘蛛は、静かに歩み寄ると、ガマの胸を叩いた。
「しっかり、人間やってるじゃねえか。大丈夫だって、お前はまだ生きてる。」
「何を言うとるんや、ワシが人間やと?笑わせんなや、吐き気がするわ。」
「いつかのことを思い出すな……お前と初任務に行った時だったか。」
そう言って土蜘蛛は過去を振り返る。
「俺たちは、狩人育成機構に従属している企業の社長を殺す任務を受けて、路地裏で暗殺を決行した。お前が元暗殺用だったおかげで、任務はすぐに終わった。お偉いさんを始末してトンズラかこうとしてた矢先、お前の足が止まった。お前の目線の先には幸せそうな家族が歩いている姿があった。それを見て、お前は何で言ったか覚えてるか?」
「さあな、忘れたわんなもん。」
「お前は、「人間になりたい」そう言った。俺ら人造人間は、本来なら感情を持たないし、よっぽどのことがないと進化なんてしない。お前があの時溢した言葉には感情なんてない、ただのバグかもしれなかったが、お前が行方をくらませてから、何故だが知らないが一丁前に感情を持つようになって帰ってきた。」
「何が言いたいんや……」
「俺みたいに言動を真似てるのは、本当に感情とは言えないかもしれないだろうが、さっきの一部始終でお前は感じたはずだ。絶望や、恐怖をな。」
「生きるっちゅうことが、そんな悲しいことしかないなら、今すぐにでも死んでやらあ!」
自暴自棄となったガマは、自らの喉元に槍を突き立てる。その行動に土蜘蛛は焦ることなく、続ける。
「だが、お前がここに来るまでの間に色々経験したんじゃねえか?さっきのとは違ういっぱいのポジティブな感情ってやつをよ。それら全部ひっくるめて感じられるのが、生きてるってことじゃねえか?」
「……」
「兄弟、お前はまだ生きたいはずだぜ?覚悟がとっくに決まってんなら、お前は突き立てるよりも突き刺すを選ぶはずだ。それも喉でもなく、心臓をな。お前の回復能力があれば喉の怪我なんてすぐに癒せれる。保険をかけたんだよ。自分が死なないための万が一のための保険をかけたこと、自分でも気づいてんだろ?」
震えた手から槍を落とし、今にも泣きそうな震えた声で土蜘蛛に問いかける。
「わ…ワシは、どうしたら……いい?どんな顔してあいつらのところに帰ればいいのか、分からへんのや……なあ、教えてくれや。本来なら敵対組織の傭兵が、どんな顔をして帰ればいい……!」
「うーん、そうだな……」
土蜘蛛は、少し考えた後に返答した。
「いつもの顔でいいんじゃないか?」
「いつもの……」
「そうだよ、いつもの顔だ。今ここにいるお前は大蝦蟇だ。だから、切り離せ。仕事とプライベートぐらいな。常時どっちもつけっぱは疲れるだろ?切り替えていこうぜ。」
ガマを元気づけるように、胸辺りを軽くたたくと。出口の方へと土蜘蛛は歩いて行く。ガマは、ようやく落ち着いたのか一度深く深呼吸をし、胸を撫で下ろすと土蜘蛛に向かって声をかける。
「おおきにやで、土蜘蛛。」
「そりゃどうも、兄弟。」
そう言って、その場から去ろうとする土蜘蛛は、あることを思い出し、ガマに何かを投げ渡す。
「餞別の品だ。受け取りな。」
「USBか、何のデータが入っとるんや……?」
「EDEN財団が量産に成功した新兵器「鎧亜アーマー」の設計図と量産化に伴いオミットされた特化スーツのコピーデータだ。」
「何でそんなもんをワシに持たせる。ワシの気分次第では、お前は敵に塩を送ったことになるんやで?」
「勘違いすんなよ。これは情報屋もとい、「ナンデモート」の支配人として一番の仕入れ先の星谷世一に渡してやってほしい。ZONE未発現ながらに頑張る彼へのプレゼントってところだ。」
「土蜘蛛……お前、どこまで事を知っている?」
「俺は情報屋だぜ兄弟?子蜘蛛たちを経由すれば情報はいくらでも入ってくるんだぜ……」
土蜘蛛は、シルクハットを前に押さえながら話し始める。
「正直な話を言うと、EDEN財団は最近活動を活発化してきた。そろそろデカいことをやるってのは事実だ。俺ら人造人間にそんな恐怖とかいう感情は無いと思ってたが、情報を知れば、見れば、次第と怖くなってきたんだ。大蝦蟇、お前にこれを託すのは、俺はまだ信じてるからだ。人間が起こす希望ってやつをな。」
「何や、成長しとらんと思っとたが、しっかりと人間っぽくなってきとるやないか。ええで、受け取ったる。EDEN財団のことはそっちに任せるで。」
「ああ。またな。」